だれかの言葉で。 | よしぞうアタック(ゆるゆる)

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CHAGE and ASKAと日記・語り・萌え・レポなど好き勝手に。 たまに絵。よく食べ物。

さいきんテレビをあまり見ていないのですが
NHK(主に教育)はちょいちょい見ています。
そうそう、おかげで昨夜の「ソロモン流」
すっかり忘れておりました。無念。
今もiTunesで音楽聴きながら(ヘッドフォン装着)
テレビはつけているだけの状態ですが
そこでちらりと見えたものに
「テレビ番組などはネット書評が無ければ見ない」
とかナントカ…。
これってテレビでもCDでも本でも映画でも
そういったものになんでも言えることですよね。
音楽だって「流行っているから聴く」
らしいですよね。
自分で決められないのかなあとか
そんなに評判が大事かなあとか
そしたら自分で判断ができないじゃないか、
とか色んなことを考えました。
なんて言うか、失敗してもいいから
自分で見て決めたりしないと良いとか悪いとか
考えるちからのようなものはつかないんじゃないかと
思うのです。
それなりに本を読んでいる方だと思っていますが
その時その時に「これだ!」という本を
見つける力ってやっぱり数をこなして
良いものも失敗もしないと「今読むべきもの」を
引き寄せることができない気がするんだなあ。

ネットでなんか買うときはレビューをしっかり
読んで買う方ですが、それでも「これは!」と
思えば買っちゃいます。
それで失敗するのは良くないけれど「良し」です。
痛い目って自分で遭わないと絶対わからないと
思うんですよねえ。
ううん、なんだかなあと思ったところです。

考えが古い?
古くてもいいよ。
持ってる方がいいもん。
ま、書評って見てる分にはおもしろいですが、
とんでもなく誰かを傷つけることもあるのに
書いている人に限って、やられると声高に
「傷ついた!」とか言うことが多いので
ちょっと、ね、と思っちゃったりもします。

まじめに書いちゃいましたが、
とってもとっても「なんだかなあ」と
思ったので恐れずに書いています。
でもこうしてネットで「だれかの言葉」を
読むのは本当に楽しいですよね。
わたしの書いたものでだれかが
なにかを感じてくれたらやっぱり
うれしいので「必要無い」とは
絶対に言いません。
でももやもやはするんです。わはは。