こちらクラウドファンディング残り日数、あと4日になりました。


現在、目標額は達成していますけど、羽黒神社様は珠洲市正院町。
別口からも正院町はほとんど手つかずという情報も流れてきていました。

未だに人が戻って来られない、工事どころでないという状況。

GoogleMapより

珠洲市正院町の位置はコチラ

ほぼ震源地じゃないですか。


んで、どうして能登半島、輪島とか珠洲に大きい町があるかっていうと、江戸時代の流通、北前船が関係してるんです。

中国地方で言うと温泉津とかそういう感じ。


これからが正念場だと思います。

羽黒神社の神主さんは、アメブロのブロガーさん。


クラファンという形の呼び水は大事だと思います。
知って頂いて、現況を気にかける人を増やしてこれからに繋げるのが大切なんです。

拠り所、拠り所なんですよ。
その地区の心の支え、集まる場所なんです。
そこに、いっちょかんでみませんか。

年度末でバタバタしてたので、遅くなっちゃいましたけど、あと4日。
アメブロ繋がりで、もう一推しのご支援、宜しくお願いします。



桜桜桜桜桜桜桜
あとこちら。
本気賽銭。
お賽銭に関してはワタクシ、最近周囲に『語呂合わせ縁起担ぎじゃなくてもっと奮発しようよう』などと言う事が多くなってきました。

金融機関の手数料の話と高騰する諸経費の話です。
はっきり、奉書紙一つにしても値上がり著しいんじゃないですか。
そこで、語呂合わせでなく年の始めや気合の入ったお願いには見合った額のお賽銭をという話をするんです。

そうすると、
[縁起のいい語呂合わせで何が悪い]
[神社ではなく神様への奉納]
[金融機関の都合は関係ない]
という、大反撃にあうのが常。

今年も2回くらいやらかしてます。

あと、有名神社とかで並んでいると、後ろから
『お賽銭いくら出す?』
『十分ご縁がありますようにで十五円』
なんて会話が聞こえてきて、思わず振り向いて口をはさみそうになったり。

さすがに、知らん人には言いませんけど。

そうそう、あまりにもで振り向いたのは去年の太宰府天満宮の菊花展の時です。
この人達、そのハイブランドの財布から十五円はないやろ?
ってイラッとしたので、仮の拝殿前でも何だか集中出来ず、そのイラッの勢いで檜皮を奉納してしまいましたよ。
イラッなのに御神饌と菅公歴史館の無料チケットを頂いて、なんだか申し訳なかったですわ。

それはまた別の話ですけど。

例えば、十五円という相手がゲーム友達だと、

[じゃあさ、アナタ人に十五円でお願い事されたらお願い聞きます?昨今、チロルチョコだって15円じゃ買えませんよ。アナタのお願いはチロルチョコ以下デスか。社殿維持するのもタダじゃないし。]

と書きますね。

そうすると、

[信仰のかたちはそれぞれで、金額じゃない。]
[古代は社でなく磐座を拝んだ]

なんて方向に話が進むんです。

だから

『ご祈祷の時にはお米、お酒、塩、あと果物とかお菓子とか御供えするし、お祭りの祭典では鯛などの魚や昆布など干物、野菜とかお餅とか御供えするでしょ。日本の神々はそうなのよ。仏様にだって線香あげるし花は飾るしお菓子を御供えするでしょ。その資金はどこから?』
『で、磐座ならわざわざ拝みに上がらないっしょ。』

と振ると、
[初詣は習慣だし。気持ちだけの事だろう]
[ご祈祷は個別案件]

と[あ、自分は神様がいるとか考えてないや]と意識されてしまう。

→単なる習慣だから
そう、神様じゃないのよね。
だいたい、神社にお参りする時には御祭神が何と仰る神様かに気をつけていない。
運営もなんか勝手にやってるんだし(と考えている)、と気づくんですわ。

ワタクシの言い方があかんばっかりに。

ぶっちゃけ言うと、ワタクシがザラザラしてるからこんな感じになるんでしょう。
そして、言う相手が違うんじゃないかと最近思うようになってですよ。

ワタクシがぼやくのは親しい相手で一対三くらいなんですよ。

そして、ワタクシが「正月くらいケチらんと」と言ってる相手はワタクシの事を、SNSにアップすると“気色悪いゾワゾワする”と苦情が出るような珍奇植物やらトゲのない変なサボテンを育ててる弱ゲーマーのパートのオバチャンと認識してるんです。

ゾワゾワする植物って具体的に言うとリトープスの事ですよ。

みんな可愛いやろ?

どこがキモイねん


今ちょうど脱皮でぱっかんしてて可愛いぞ!


光るし

他に横から光を当てて窓が光る植物ありますか。きれいなモノでしょ。



そういう変な植物を可愛い可愛いと言って育てている変な人物から、
『神社の賽銭が十円玉銅+五円玉金+一円玉銀で十六円っていかにもケチ臭いし。そもそもアルミと銀は違う色味。金銀銅なら新五百円玉が銅挟みバイカラー硬貨でもっとイケてるやん!』
と言われて五百円は[これ以上ない]頭打ちで縁起が悪いと反論したら
『え?それ以上がない?お札は五百円より額面高額でしょ?』
って言い返されるんだから、信仰の問題に口を出すなで終了させないと賽銭の語呂合わせっていう[信念]を変える必要あり(少額過ぎると思っていても、変な植物のオバチャンから言われたくない)。
話なんて聞いて貰えませんよ(⁠・ั⁠ω⁠・ั⁠)

賽銭は投げてチャリンって音がするのが大事とか言ってんだもん。
[硬貨は効果に通ずる]とか、失礼でしょ?

何のために拝殿前に鈴が設置してあるんデショウカ?
何のために仏前におりんがあるんデショウカ?
って言うんですけどね。

まああれ、言ってる相手はワタクシと同年代かそれよりちょっと上かちょっと下。
そのくらいの年齢ならもうほぼ考え方は変わらないでしょ。

誰でも年を取って老境にかかってくると、身体ばかりでなく思考の柔軟性もなくなってくるもので、ワタクシの世代も若い時は散々っぱら年寄りの石頭に文句を言ってきたものだけれども、同じなんですよ。
なんぼハイテクからのアーティフィシャルインテリジェンスの世の中になっても、生体としての人間の機能には何の変化もありません。
古いものは変わらない、ああそうだねっていうところなんですよ。

すなわちターゲットは選ぶべし。
神々の存在を[不可視だからわからん]けど習慣だから、っていう人達の認識をダイレクトに変えるより(変わらんし、賽銭の金額の話題から心の問題を繋げる事は困難だし)、そこの意義や存在を感じている人達に訴えて、意識を搦め手する方が上の手。

そこで、本気賽銭って菊田さんは上手い事仰るなあと思って。

不特定多数ではあるんですが、神社に関心がある人達に対してのアピールなんですよ。
多少なりとも事情を理解して聞いてくださる人達に向かって話してコンセンサスを作って行くのが上手い。
それが、残りの人達を変えていくんでしょう。


神社との関わりだってそうです。

例えばまつりに関しては、今、年金生活している団塊の世代が既に神社と深い関わりを持ってない、その上の戦中生まれが長寿で神社仏閣と家との繋がりを支えていて下の世代に引き継がれていないんだなあと感じる事がしばしばあるんです。

上の世代を見て内心もっと神社と関わりたいと思っていても、地元では上がつかえていて何かしようにも[アナタはまだいい]とか言われてしまう。
そのまだいいと言ってる人達が慣例の意味も理解できず形骸化している→先細り

のところに奉納流行プロジェクト
ですよ。
思いつくかね、って話です。

[アナタはまだいい]って言われてた人達の気持ちを掬い上げてます。
だって、神社の総代会は無理、奉賛会の寄付額は結構しんどいと思ってる・・・・いやそれだけじゃない

総代会、公式な奉賛会←見えない資格とかの条件が厳しい
ぽっと飛び込みは信頼して貰えない。

そして、その他にあるチョイスは、
ご利益系霊能スピリチュアル←それも何だか違う

というところに
[推しの神社/神様に奉納出来る第三の選択を提示]
ですよ。

そりゃ、わっしょいしますよ。

菊田さんは乗り込む才能が凄い、素で上手い人なんだと思います。
そして発信。
あれだけ好き好き言われて、話もきちんと聞いて感動して貰えるんだから、嫌な気がする人は居ないでしょ。
性格がそうなんだと思ってます。

ワタクシみたいに様子見しながらジリジリ詰めて行くような手法じゃない、それは、その場所と元々の人間関係のアプローチの違いではあるんですが。
多分、菊田さんはそこに行くまでには胃が痛くなる程考えてるよ!と言われると思いますけど、行動は早いんですよ。

菊田さんは、自分の考えだけでなく信仰の方からしっかり聞いて、それをどこにいるのかわからない同志に向かってアナウンスして、(最初はモノを介しての奉納だったけどそれで実績を作り)浮き上がってきた同志が関係性を作るために出してきたご供物を受け取りまとめて信仰の方に還元していく。

上手いよなあ。


またそういうところで、珠洲市正院町を、日本で最初に[過疎]と言い出した、色々やってみたけれども結局のところになりそうな匹見の地からの目線でワタクシは見ていたいなあとも思っているところです。