本年の豊作と生業の成就を
3月19日、
羽黒神社の祈年祭(きねんさい)を、午後2時より、齋館にて齋行いたしました。
記事タイトルどおり、祈年祭は、その年の豊作と生業(なりわい)の成就を神々に祈る祭りであり、
今、この震災によって、今日食べる食料を心配し、(私も含めて)今まで就業していた職業が、したくても出来るかどうかあやしい状況に於いて、
羽黒神社の祈年祭(きねんさい)を、午後2時より、齋館にて齋行いたしました。
記事タイトルどおり、祈年祭は、その年の豊作と生業(なりわい)の成就を神々に祈る祭りであり、
今、この震災によって、今日食べる食料を心配し、(私も含めて)今まで就業していた職業が、したくても出来るかどうかあやしい状況に於いて、
例年にもまして大切な祭礼であると思いますが、
前記事で何度も申しておりますとおり、今、避難のため、氏子地内に氏子がいない状態であり、
今日の大切な神事も、私と雅楽会だけの、極々簡素なお祭りになろうかと思っておりましたが、
祭典の数日前に、ボランティアで来られたある方が、神社前の案内看板を見て、わざわざ仮設住宅に玉串料を届けてくださり、
ありがたく、今日のお祭りにお供えさせていただきました。
そして、当日、
祭典前に、昨年、兼務社で地震終息を願って和太鼓演奏を奉納して下さった方がご夫婦で参拝に来られました。
時間の都合で、祭典には間に合いませんでしたが、神前にお見舞いと、御神酒等をお供えされました。
そして時刻。
母と、避難所から二人の氏子さんが来られました。
少ない参列とはいえ、
羽黒神社を気にかけてくださる方が、これだけおられる事は、心より嬉しく思います。
祭典には間に合いませんでしたが、その後、お隣の能登町から、遠縁の方が差し入れを持って来て下さったり、ボランティアさんも来られたりと、
なんだかんだ言って、賑やかなお祭りとなりました。
祭典後、こういう機会なので、本殿内から取り出した、ご神体近くの神具の説明をいたしました。
造営等の記録、棟札(むなふだ)には、80年前の慶賀祭の記載。
また、乙女舞を奉仕した(当時の)女の子の名前が記してあり、
和やかに、賑やかに、本日の祈年祭をお納めいたしました。
一月後の4月19日は、羽黒神社の春祭りで、
その時までに、少しでも人が戻り、神社にお参り出来る方が増えれば、
と、思います!
桜はもうすぐ満開です。