編集後記_「ステッピンアウト!#16_名球会_松原誠&柴田勲」 | 吉里颯洋オフィシャルブログ 「微風爽々」

編集後記_「ステッピンアウト!#16_名球会_松原誠&柴田勲」

「STEPPIN’ OUT!(ステッピンアウト!)」誌にて好評連載中の「名球会、伝説の名選手たちの肖像」。

山崎二郎さんがインタヴュー&撮影を、私こと吉里爽が「1文字入魂」の気合いで(笑)構成を担当しています。原稿をまとめつつ感じた印象を、つらつらとここに書き記しておきます。

 

さて、連載3回目にご登場いただいたのは、松原誠さん(大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ〜読売ジャイアンツ)と柴田勲さん(読売ジャイアンツ)のお二方。

 

今回に限らずですが、この連載企画の魅力は、現役時代には語られなかったエピソードの数々に触れられること。おそらくは野球マスコミの記者の方でも知らなかった、初めて知る事実、お話が度々語られます。

 

 
「名は体を表す」と言いますが、少年時代にブラウン管越しに観ていた松原さんの印象は、「一流企業の管理職も務まりそうな、誠実さがユニフォームを着て歩いているような品格のある方」というものでした。そのイメージどおりの穏やかな受け答えで、20年に及ぶ現役生活のあれこれをお話しいただいだいたのですが、驚かされたのは、「1971年のシーズンは、左手首を骨折したまま、四番打者の維持で試合に出続けた」という鉄人ぶり! さらには、デッド・ボールを頭部に食らった翌日の試合に代打で出場、「ここで踏み込めなければ、野球人生の終わり」と覚悟を決めてボールに向かっていったエピソードも胸熱!そんな松原さんの「ベスト・オブ・名言」をあえて選ぶなら、「僕は、バッティング、野球の絶対要素として、ボールに向かっていく『勇気』が必要だと思っています」で決まりですね。寡黙な印象の無冠の帝王、松原誠さんが胸の奥に秘めていたのは、燃えたぎるような勇気と闘志でした。その他、ジャイアンツ移籍後に王貞治さんから聞いて衝撃を受けた一言など、「ON」という巨大な壁に敢然と立ち向かった世代のスラッガーならではのお話もご紹介しています。
 
 
そして、日本球界初のスイッチ・ヒッターにして、赤い手袋の盗塁王、柴田勲さん。三拍子揃った名選手なだけに、取材時には、盗塁のテクニックはもとより、スイッチ・ヒッター転向秘話、外野守備のお話など、たっぷりうかがったのですが、スペースの都合で、テーマを「盗塁」に絞りました。インタビュアーの山崎二郎さんも盗塁を生き甲斐にしている「週末野球選手」だけに、ポイントを外すことなく、柴田流盗塁術の奥義に迫っています。そこそこの知識がある方なら驚かれるくらい、それはシンプルなのもの。ちなみに、この連載企画には、柴田さん以外にも、前回ご紹介した広瀬叔功さん(南海ホークス)、さらには福本豊さん(阪急ブレーブス)と、3人の盗塁王が登場、それぞれ異なる盗塁術のエッセンスをご紹介します。盗塁のスキルアップをめざしているアマチュア・プレイヤーの方も、よかったらチェックしてみてくださいね。
 
閑話休題。
 
当時は珍しかった赤い手袋で塁間を疾駆する柴田さんは、後の世代で言うなら、スイッチ・ヒッターとしては後輩になる松井稼頭央選手にも通じる華やかさがありました。自分が記憶しているのは、長嶋ジャイアンツ時代の柴田さんですが、とにかく「スイッチ・ヒッター」という独自性に憧れましたね。俊足は真似できませんでしたが、柴田さんの真似をして、自分もスイッチ・ヒッターになりましたから(笑)。「赤い手袋で盗塁しまくるスイッチヒッターとか、キャラ立ち過ぎだろ、この人。よっぽどの目立ちがりやのカッコマンなんだろうな」と勝手に思ってましたが、さにあらず。赤い手袋誕生秘話は誌面でお楽しみください!
さて、柴田さんの「ベスト・オブ・名言」は、「全盛時代に僕はがメジャーのチームでレギュラーだとして、年間100本以上のヒットが打てるなら100盗塁できますよ」という自信のコメント。実は、名球会メンバーと言えども、「現役時代にメジャーのチームにもし移籍できたら?」という質問には「当時のメジャーの方が今よりもハイレヴェルだったから、想像もつかない」と謙遜される方が多いのですが、柴田さん、よくぞ言ってくれました!誇り高きコメントをまとめつつ、「あぁ、子供の頃、柴田さんに憧れてよかったな」と思ったのでした。
 

この「名球会、伝説の名選手たちの肖像」では、引き続き、日本球界のレジェンド・プレイヤーたちの濃密な野球人生のエッセンスをお伝えしていきます。「プロアマ問わず、野球に関わっている方、すべての野球ファンに読んでいただけたら」と切に願う次第です!

 


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