先日、仕事の合間に国分寺のタイ式マッサージ屋さんに行って来ました。
先月リラクゼーションというのを初体験し、マッサージに興味を持ったというのがひとつ。もうひとつは腰が悲鳴を上げているので一秒でもいいから楽になりたいという思いから足を運んだのでした。

前回の所でもよかったのですが、この「タイ式」というエキゾチックさに惹かれて今回のところを選びました。ネットで知り、昼ごろ電話で予約しますと、女性の声で「夕方は予約でいっぱいなのですが、今これからなら空いていますよ」と仰います。仕事が忙しくて二日間ほどお風呂にはいっていなかったので、相手にくさい思いをさせてはいけないと思い、「あ、じゃあこれからお風呂はいってから行きます」というと「ぶっ、そんな気を使われなくても結構ですよ~」と笑われました。「ぶっ」て。このお姉さんのツボがわかりません。


そんな感じで足を運びますと、ドアを開けたら異国情緒溢れるインテリア。なんかヒーリングっぽい南洋の音楽が流れいてお香の臭いもします。「すみません、予約していた榎本ですが」というと受付の若くて綺麗なお姉さんが「承っております」とニッコリ。奥へと通されました。板間に布団が敷いているだけの薄暗い個室(カーテンで区切られてるだけ)の場所に案内され、「こちらで着替えてお待ちください」と言うので薄いTシャツと綿のパンツに着替えて待ってましたら、登場したのがさっきの受付の綺麗なおねいさん。「本日担当させていただきます○○と申します」と深々と頭を下げられました。普通に受付のおねいさんと思っていたのでこちとらびっくりです。


まずは足浴といって、お湯の中に足だけ浸けて5分間温めました。これってこの季節には気持ちいいサービスなんだろうな、と思うのですが残念ながらお風呂上りの僕には既に身体がほかほかしており、そんなに気持ちのいいものではありませんでした。その間店のシステムなどの説明をうけて、最後に誓約書にサインをお願いされました。形式的なものなんだろうなぁと思ってさっと読むと、「当店は風俗店ではございませんので、性的なサービスは一切いたしておりません云々」の文字。サインをしながら哀しい思いがしました。形式的とは言え、こういう当たり前のことを書いているというのは、勘違いしている客が実際にいるからで・・・きっと過去にはマッサージ師さんたちが不快な思いをされたのだろうなぁと思うと胸の痛む思いです。(想像にすぎませんが)


いざマッサージが始まりますと、「これが女性の力か!」というくらいすごい勢いで押されたり引っ張られたりねじられたり。ツボ押しと揉み解しとストレッチの三段攻撃です。びっくりしたのはマッサージ師さんが、ほとんど全身をつかってマッサージされるその姿勢。これがタイ式というヤツでしょうか。たとえばうつ伏せになっている僕にガバっと跨るカタチで、腕で身体を支えて両膝で臀部から太ももをマッサージしたり、腰と足を曲げるストレッチの際には僕の足の裏をマッサージ師さんの腰にあてて身体をねじったり、上半身を引っ張られるときは腕を持たれるのですが、「私の二の腕を掴んでください」といわれるような塩梅です。「こ、、こんなにマッサージ師さんと密着するのか!」と高鳴る鼓動を感じつつ驚きと戸惑いの中で、誓約書の意味をあらためて思い返してました。なるほど誓約書、必要です。


「どういう方がよく来られるんですか?」と聞いてみると、「中高年の男性の方が多いですね~。けどカップルで来られる方とかもいらっしゃるんですよ」とのこと。なるほどなぁ・・・後者は理解に苦しみますが前者は納得、よく理解できます。さもありなん、言い得て妙といった具合です。

それはさておき、腰の具合を聞くと、「腰もそうとうキてますが、お客さん、肩と腕がものすごいですよ!」といいます。たしかに腕は酷使してますが、僕は不思議と肩こりなどの自覚症状が全くといっていいほど無いんです。それを告げると「えぇ!?こんなにガチガチに凝ってるのに自覚症状ないんですか?不思議ですね~」と驚かれました。とりあえず重症なのは腰ではなく肩と腕のほうらしいです。


60分で6,000円と安くはなかったのですが、終わってみてたしかに楽になっているような気はしました。筋肉がほぐされて間接に潤滑油が塗布された如く軽くなっています。最後にハーブティーのサービスがありました。ほどよく熱く、飲み応えがありました。


寒風吹きすさぶ中、あったまった体に風を受け、「月一度くらいのペースで来るのもアリかな」と思いながら自転車を漕いで帰路についたのでした。


以上、ドキドキ☆タイ式マッサージ初体験記でした。(←なにそれ)

仕事が早めに一段落した日は、今日こそ早く寝ようと思ってベッドにもぐりこみ電気を消す。突如眼前に広がる漆黒の闇。疲れ目のせいかその闇が深く感じる。

目を閉じて、出来るだけ無心になり眠ることに神経を集中させる。
だがそれは多くの場合うまくいかない。
しばらくしてもΘ派が低いままの状態が続いているのに気づき、覚醒しきった脳は知らず知らずの内にさまざまな思考をめぐらせる。

その日、人に会っていれば、「ああ、あんなこと言わなければよかった」とか、「あの時の言葉はこういう意味だったのに、僕は誤解しておかしな返事をしてしまった・・・きっと冷笑されたのだろうな・・・」とか、まあネガティブなことばかり考える。結論など出ない。いつだって堂々巡りだ。

目の前に広がる闇の深さに比例するように、思考は心の深い部分を遠慮なく掘り巡らせる。

僕には人間がわからない・・・。皆なにを考えて生きているのだろう?何を目標にして生きているのだろう?例えば同年代。仕事をして、プライベートには恋人と一日を過ごすことで疲れを癒すのかもしれない。やがて誰かこの人という人を見つけて結婚、ささやかながらも披露宴。久しぶりに会う旧友の声援。今が人生至福の時、これからの長い道のりを考えて質素倹約。派手さは無いが美しく愛する妻とともに日々を送り、時を待たずして妊娠出産、俺にも家族ができたと赤ん坊の息子を抱き、希望と狼狽の中、必死に仕事をして家族を養い、やがて子供達は大きくなって自主独立、そのころになると財も蓄えるれて家をあたらしくし、孫の誕生に喜び、好々爺は目じりを下げて幼子を猫かわいがり。息子も真面目で長ずるに及んで立身出世。将来へ不安は微塵も無く、みんなうまくまとまる。多少のトラブルも家族の力で乗り越えてきた。それに愛する妻と連れ添ってきた長い年月が自信につながり、一族安泰、無病息災、輸入雑貨屋で見つけた洒落たロッキングチェアに腰掛けながら庭ではしりまわる孫達をながめる日々。不意に見つかる不治の病。しかしそのころになると最新鋭の医療器具によってさしたる苦痛を味わうこともなく、一家全員、一族全員に見守られながら、最愛の妻の歳を取った手をさすり、「いい人生だったよ」と一言。すすり泣きが響く病室。老人には薄れ行く意識の中で様々な人生の軌跡が脳裏をめぐり、平均寿命を超えて立派で幸せな大往生。これが一般的な人の持つ「生きてゆく目標」ならば、僕はそんな生き方が僕自身を幸せにするとは全く思っていない。

僕は所謂「家庭の幸福」というようなもののために有限の人生を消費したくないと考えている。もっと別な、もっと有意義と僕が感じるものに対して命を懸けて生きたい。「家庭の幸福」を守ろうとするその姿は立派だけれど、残念ながら、それは身内に対してのみだけだ。また、社会が不安定になっている要素は以外にも「嫁さんにもっといい暮らしをさせてやりたかったから」とか「子供をよりよい学校にいれたかったから」なんて理由もきかされており、大物政治家に至っては自分可愛い嫁さんつれてゴルフ三昧にするために国民の血税を使いたい放題。彼の脳裏にはこのような思惑が巡らされていたのではなかろうか。「わが家庭が安泰ならばそれでよし。世はなべてこともなし」なんというエゴイズム。
が、そういったエゴが社会を渦巻いている世の中においては、汚職政治家への個人攻撃もなんだか虚しく思える。「なんだ、みんな一緒じゃねぇか」という部分に落ち着く。

例えば僕は「親バカ」という状態の両親の姿は、人間の最も醜い姿のひとつだと思っている。「我が子が可愛い」結構だ。しかし「我が子だけが可愛い」となるとちょっと待て。電車の中で奇声を上げて席の上で飛び跳ねる子供の姿、なるほど子供らしくて元気良ろしくて愛らしい、と貴方の目には映るかもしれないが、貴方以外の人からみたその子は悪鬼の如く不愉快で有害な存在だ。その社会秩序を大きく乱す愚行を親の権限でもって直ちに正したまえ!と思っても当の親は馬耳東風。ファッション雑誌をペラペラ捲っている。

こんなステレオタイプな例を出しても言いたいことは伝わらない気がする。
僕は成人になっている子供の面倒を親身になって見ている親もそれと変わらぬほどの醜悪さを感じている。親は子供に金を使うな。子供は親の金を当てにするな。若い頃は金が無い。それが当たり前なのだ。子供は苦労しろ。親はそれを木の上にでも立って眺めていろ。
以前、もうずっと前だが、会社員時代。大卒の新入社員が入ってきて、僕の後輩となった。恐ろしく物覚えの悪い男で僕は何度も怒髪天を衝いた。仕事のできない男が嫌いなのである。その男が「俺、最近車買ったんスよ」という。そりゃよかったね。と話を聞いていると、「僕、自分の金で買ったんスよ!」となんだか誇らしげに言う。はて?自分の車を自分で買う。それはあたりまえのことのように僕には思えるが、なにか特別なのか?と思いさらに話を聞くと、どうやら友達はみんな親に買ってもらっているらしく、そんな中、子供のころからの貯金(落とし玉らしい)で買った俺は偉い、というような論調であることが分かった。
僕は唖然とした。そうしてその男をますます嫌いになった。

多くの親は子供かわいさに子供の「車にのりたい」という欲求を叶えてやろうと思うのだろう。買ってやると子供は喜び、親に感謝。感謝された親もまんざらではない。「イサムちゃん、よかったわね。事故には気をつけるのよ」ととっくに成人すぎた息子に笑顔でささやき、美しい親子の交流、仲良し家族。我が家の家庭の円満っぷりに双方満足といったところか。

そういうところが醜悪だと僕は思うのだ。

人間は一人で生きていかなければならない。生まれた時も一人だし、死ぬときも一人だ。自主自立のための訓練をするために生まれ出でてから20歳までの月日があるのだ。自主自立の精神は20歳になったと同時に心に自動的に芽生えるものではない。自立しなければならない状況に追い込まれて初めて鍛えられる精神なのだ。その成長の機会を、親が奪ってどうする。人間を猫かわいがりして得られるものなど何一つ無い。可愛いのなら、突き放せ。支援をするな。自分で歩かせろ。それが出来ない所謂「駄目な大人」を量産している自覚とその罪の重さを感じろ。今、社会が不安定で、妙な子供が増え、妙な事件が多発している世の中に、少しでも「健全さ」を取り戻したいと思えるのなら、まずは「親バカ」精神を完全に封印するところから始めなければならない。

さりとて、こうすれば家庭は幸福というような定理があるでもない。そのことで親と子が対立してより不幸な結果を招くやもしれぬ。それを予感しているから「親バカ」にならねばならぬという人たちもいるかもしれない。

なんともはや、昔「家庭の幸福は諸悪の本」と断言する作家もいたが、単に虚無的思想、冷笑的思想によって得られた結論ではないのかもしれない。首肯せざるを得ない現実が眼前に広まっているではないか。

僕はそんなところに人生の目標を置きたくない。
もっと別な、もっと有意義と僕が感じるものに対して命を懸けて生きたい。
それは何か。
・・・


それはやはり絵だ。
僕にはそれしか無いし、それさえあれば僕は有意義な人生が送れると予感している。
僕には妻は居ないが、描いた絵たちは僕の子供だ。
それらを創出しつづけることで、誰かが幸せを感じたり、誰かを慰めたり、誰かが一時でも、世の喧騒を忘れて心を癒してくれさえすれば僕はそれが幸せだ。

経済的に裕福にならなくてもいい。大御所と呼ばれる業界の著名な人たちに認められなくてもいい。権威ある賞を頂かなくてもいい。そんなことに僕はほとんど何の価値を感じない。僕は僕ができることをただ、できるまでして、そうして、生き飽きたらそこで終わりにするつもりだ。認知症の祖母たちの現状を見ていると、天寿をまっとうすることがかならずしも善ではないと思える。だから僕の死は、おそらく僕が決定づけたものになるだろう。批判する者もいるだろうが、生きてくる時代や環境を人は選択できないのだから、死ぬその瞬間くらいは選択できてもいいではないか、と僕は考える。諦めや絶望ではない。これが僕にとって自然な死だ。その前の日まで、人を喜ばせることを考えながら絵を描いていると思う。きっと、それが今の僕が考えうる最高の人生の送り方なのだろう。

と、極めて稚拙な結論ともいえないなげやりな結論を導き出したところで脳は疲れ、Θ派は高く安定し、いざ睡眠に入ろうとするとき、枕元でささやきかける男の声がする。


「本当に、そうか?」


僕は、はっ!として振り向く、男の顔は見えないが口元がいやらしく笑っている。これは夢だろうか。しかしそんなビジョンよりも驚くのは男の声が僕の声そのものだったことだ。

この短い言葉には折角今行き着いた結論の根幹を揺るがす力がある。お前は本当にそんなに人の幸せを望んで生きているのか?金は欲しくないのか?女は欲しくないのか?デカい家を見て「いいなぁ」と思ったことはないのか?自分の中にある欲望を隠すなよ。奇麗事だけじゃ、うそ臭くなるばかりだぜ。お前はうそつきで、自分自身をも騙そうとしているだけなのさ。認めちまえよ、その欲望の、限りない、ほとばしりを!

肯定したものが不安になる。否定したものも不安になる。家庭の幸福をエゴだと断定し、批判したが、なら僕の偏狭な人生観にエゴはないのか?自殺を肯定するような発言をしておきながら「人のため」なんていうのも立派なエゴだ。結局、どう生きるべきか、なんてのは分かりはしない。分かっているのは、あと3時間後に太陽が上って、次の日が始まる。そうして僕は仕事にとりかかる。それだけだ。肯定も否定も、思想も思惑も、結果的には不安だけが残るのだ。ああ・・・・僕はやっぱり人間がわからない。僕は、僕自身さえ分かっていない。

こんな風に、ベッドシーツをくしゃくしゃにして身悶えしているうちに、眠りにつく。
なんてことはない。いつも通りの「眠れぬ夜に思うこと」。

■イラストレーターとしての日々の始まり。


ジャイラから初めて受けた仕事は人材センターのパンフレットのカット数十点であった。報酬はグロスで15万円プラス源泉税。源泉税とは、源泉徴収される税金のことである。源泉徴収とは、報酬や給与などの支払者が、支払額から所得税などをあらかじめ差し引いて国に納付する制度を言う。これは報酬額の10%。かなり多い。だから支払いすぎることになる。よって会社員ならば年末調整、自営業者ならば確定申告を行うことで税金納付額を調整し、還付金が帰ってくることになる。この程度のことはフリーランスになった時点で勉強して知っていた。会社員時代は全く理解していなかったから、年末調整とは、年末のボーナスくらいの意味に捉えていたが、阿呆である。支払いすぎた税金が還付されるだけの話だ。


15万円プラス源泉税、ということは、15万の10%、1万5000円が追加されて16万5000円か、というとそうではない。10%足された金額のさらに10%が源泉徴収されるので、15万円の11.1111%がプラスされることになる。つまり、1,666円がプラスされ、実質企業側の支払いは16万6666円となる。そうして1,666円が国に徴収されて、僕の受け取り金額は15万ジャストという計算だ。企業側の良心的配慮と言えるだろう。ちなみに後に知ったことであるが、企業の方針でこれを行わないところもある(結構多い)。だから、事前確認が必要だが、個人的には、もともと無くてアタリマエ、くらいに思っておけば、源泉税をプラスしてくれる(「並び数字にする」などという呼び方もある。1万円の報酬ならば、支払金額が11,111円になるからだ)という話があれば、「ラッキー♪」と思えるからである。何事もポジティブシンキングが必要なのである。


さて、その初めての仕事は3週間で終わった。その間ももちろん派遣業務をしていたから、休みは全く無かった。大学の課題もまったく出来なかった。だが、納品したときの快感といったらなかった。請求書を作成し、切手を貼って送った。胸に充実感が広まっていくのを感じた。


イラストを描いて、報酬を頂く。


イラストレーターにとって当たり前すぎるほど当たり前であるが、僕にとっては初体験である。これを実際に行えたことに対する充実感があった。


その後、和歌山に絵本を作る会があることをネットで知り、話を聞きに言って実際に絵本「おまめくん」(和歌山名産のキヌサヤエンドウをキャラクター化したお話)を出版したり、ホームページを見たという企業や個人の方からの仕事をひとつひとつこなしていった。もちろん、それだけではとても生活できるほどの収入がなかったから、毎日の派遣業務の合間を縫っての作業である。さらにその合間を縫って通信大学の課題をこなしていった。この暮らしが2年近く続き、ほんの少しづつではあるが、実績を積んでいった。


その間、いろんな出来事があった。途中までメールで打ち合わせをして、ラフのヤリトリをしていたのに、ある日完全に音信不通になってしまう人や、制作料金の話になると急に態度を変え、中には「お金の話なんかする人には仕事を頼めません!」などと意味不明なことを言うクライアントも居た。


はっきりしたことは、「クライアントによって、考え方がかなり違う」ということであった。紳士的に対等に話をしてくれるところもあれば、「絵描きなんぞ社会的地位は下の下」という意識がひしひしと伝わるところもある。


僕が思うに、「変な人」は全国津々浦々どこにでも居る。


会社員時代もわりと幅広くさまざまな会社を見てきたが、企業の大小にかかわらず「変な人」はいる。「変な企業」もまた然りだ。本当に、意見を聞いても支離滅裂だったり、辻褄が合わない希望を真顔で要求してきたり、そもそも話しが通じない人など等・・・。
会社員時代はそれでも「大切な取引先の企業様」の社員の方には快く付き合っていかなければならない。付き合う人間を、自分個人では選べない。「嫌な奴だなぁ・・・」と思っても、笑って付き合う義務がある。


しかし、フリーランスには、それが無い。


「嫌な奴だなぁ・・・」と思って、今後付き合いを遠慮したいクライアントからの仕事は、自分の判断で断ることが出来る。付き合う相手を自分で選択できる。これは会社員時代、辛い付き合いを強制され続けてきた僕には非常に魅力的に思えた。


さて、当時の僕はホームページからの依頼が80%くらいだった。さらにその90%ほどが東京の企業である。僕の仕事のプロセスは、まずメールや電話で要求を聞く。サイズ、希望仕上がり形式、イラストのタッチ、予算、1色(モノクロ)か4色(CMYKのこと。フルカラーの意)かなど、あらかじめ聞いてからラフスケッチの制作に取り掛かる。A4のコピー用紙にシャーペンで描く。無論モノクロだ。完成したものを200dpiでスキャニングして、見やすいサイズに縮小し、jpg形式に保存したデータをメールで送る。こうしてラフ納品したあとは、電話で意見を聞き、修正箇所があれば修正する。そしてまたラフ納品。クライアントの了承をいただいてから本制作に取り掛かる。本制作とは、僕の場合、ラフデータを1.2~1.4倍に大きく印刷し、それをA4用紙にピグマのペン(0.05~0.6)を使ってトレースする。はじめのころは清書の際はケント紙を使用していたが、現在はラフと同じコピー用紙を使っている。CG処理する際、違いがないことに気づいたからである。そうして完成した原稿を高解像度350dpiでスキャニングする。PhotoshopやPainterを使用して微調整をした後、着色。完成したpsdデータを相手がwindowsユーザーならばzip形式、macユーザーならばsit形式などで圧縮をかけ、FTPソフトを使用してホームページ用サーバーにアップロードする。後はそのデータに直接アクセスできるURLをメールで連絡し、納品完了である。クライアントはそのURLをクリックするだけでいい。自動的にダウンロードが始まる仕組みだ。


専門用語が多いのでわかりづらいかもしれないが、要約すると、紙に描いたアナログ原稿をPCに取り入れてデジタル化し、メールで納品しているということだ。


つまり、全国どこにいてもPCがあれば作業可能なのである。実に便利な時代になった。心からそう思う。


だから関西の過疎化が進む地方都市、和歌山に居を構えながらも、日本の中心、東京の企業の仕事を請け負うことが出来たのである。
電話の声や、メールの名前しかしらない担当者が自然、増えた。一度東京に行って挨拶周りをせねば・・・と考えるようになった。しかし、東京は遠い。なかなか腰が上がらない。2004年当時の僕の感覚では、「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」と書いた萩原朔太郎の感覚に近かった。大げさではない。貧しく、暴れ者の父親を持つ家庭に育った僕は、「旅行」など生まれてこの方したことが無いのである。社会人になってからも、食べていくのが本当にやっとであった。


話はそれるが、当時の僕は通勤時間が勿体無いという理由で、大阪のCADオペレーターの仕事の契約更新を止め、地元和歌山のテキスタイルの画像処理業務に派遣先を変えていた。この企業は工場がメインなのだが、勤め始めて驚くことだらけであった。仕事が楽すぎる。工場の作業員もなんだか作業が悠長だ。完全週休二日制だし、それでいて時給はそこそこよかった。1日8時間の仕事が終わっても全く疲れていなかった。僕が思うに、その会社が特別楽だったのではないように思う。僕が高校を卒業して初めて勤めたあの家具製造会社が、あまりにも激務だったのだ。そして低賃金。最初にそれを経験したから、あとが楽に思えてしょうがない。


ある金曜日の退社時に派遣先の人間から、「お前、これからデートか」などと揶揄されたことがあった。僕はちょうどこの金曜日の夜と土日の二連休で今請け負ってるイラストをあれはここまで進めよう、あれは納品できる、などと考えていたところであったから、「いえ、これから家で仕事です」と言ったら、「ええ?!お前まだ仕事すんのか!」と驚かれた。

そういえば、年始に風邪を引いて1日寝込んだ以外、全く休みなんて無いな、と思った。


が、別に不満は無い。自分で選んだ道なのだ。まだその道だけで生活できない自身の未熟さが歯がゆくもあるが、着実に一歩づつ進んでいる実感がある。100%イラストだけで稼いで家族を養い、月一度か二度は母親を連れて外食したり、祖母も連れてドライブしたりする生活が送れる日が来るまでは、休みなど、むしろ無くていい。そう思った。


会社を辞めたころは本当にギリギリの生活であったが、このころになると少し余裕がでてきていた。一度は身内のトラブルがあり、大きく落ち込んだがそれも巻き返しに成功した。一時はアルコールを摂取するのも、格安焼酎「大樹氷」などに頼っていたくらいだが、今では仕事終わりに発泡酒を二三本あけることができる。大体、夜12時を回ったら晩酌タイムというような生活サイクルが出来上がっていた。深夜番組を見ながらあたりめをさぐる。こんなこと言ったら笑われるかもしれないが、至福の時だったりする。


が、当時まだイラスト制作で得られる収入よりも派遣業務のほうが2倍くらい多かった。はっきり言ってたいして稼げていないのだ。生活のための仕事に一日の大半を割かれ、ほとんど夜しかイラスト業務を行っていないのに、晩酌タイムで至福の時などと言ってる場合ではない。この収入のシェアを逆転させ、いつか近い未来、イラストのみで生活するのだ。この事業拡大のために東京への売り込みの必要性を深く感じていた。しかし、嗚呼、東京、汝はなにゆえかくも遠き地に在る・・・。


そんな時、一通のメールが来た。ジャイラからであった。「第二回イラスト進歩ジウム・ドリル」があるので参加メンバーを募集するというのである。このセミナーの概要はイラストレーターとして立ち上がったばかりの若手に対して、プロのイラストレーターや編集者が、業界の話や経営の話を聞かせてくれるというものらしい。会場は東京23区内。ほぼ毎月1回あり、8ヶ月で6回。時間は10:00~17:00。休憩1時間。参加費用9,000円。


9,000円!?


目を疑った。安くないか?いや疑問ではなく、実際安い。1回あたりほとんど丸1日の講義を受けれてたった1,500円ではないか。
プロで第一線で活躍しているイラストレーターからアドバイスを聞けて且つ同じ夢、目標を持てる仲間に出会える場が、ここにある。毎月東京まで足を運ぶのは大変そうだが、もともと東京に売り込みの必要を強く強く感じていたのだ。なかなか腰が重い僕には、ちょうどいい機会ではないか。


飛行機代などの交通費や、諸費用の計算をして、なんとか今の収入で捻出できることがわかった翌日、「参加します。」とメールを返した。

先の見えない生活に不安と焦燥を抱いていた2004年の暮れの話である。





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