コロナが下火になりつつあるようだ。
私が勤める病院でも、患者さんは減少傾向にある。
やれやれ、一安心…気持ちもわかる
制限の解除や規制の緩和…大事だと思う
ただ、この機会に医療現場やリエゾン機関の立て直しを行うことは、管理する行政にとっては、とても大切なことでは無いだろうか?


運悪く感染してしまった時、治療をするのは病院の仕事である。

感染しないような仕組みを考えたり感染者が増加しないように管理したりするのは、行政の責任だと思う。

そして自分が感染したり他人に感染させたりしないようにするのは、私達個人の仕事である。

それぞれが甘やかしても依存しすぎても良くない。

自分達が何もしないで行政に依存し過ぎれば、つまらない規則に管理され続ける事になる。


日本は地震や台風等、目に見える災害に対応するのは得意なようだ。それは豊富な実践経験があるからであろう。

しかし感染症の様な目に見えない災害に対しては、実践経験が不足していた。

故に行政や医療現場、そして私達個人も決して褒められる対応が出来た訳ではなかった。


現場が落ち着いてきた今日、それぞれの立場で振り返り、自分達がなすべき事は何かを自主的に考える必要がある。

でないと、更なるバカバカしい規則に縛られることになりかねない。

ワクチンパスポート制、飲酒規制、行動制限…そんなものに縛られない為に、私達はまず自主的にしっかり危機管理しないといけない。

自分の身を自分で守る、くだらない規則に縛られない為に、真剣に考えませんか?


8月で60歳になり定年退職、そしてそのまま再雇用となった。

お給料は半分くらい…

まぁ、このご時世では頂けるだけありがたいと思う。

 

自分が携わっている医療という職種に限らず、こういった立場で職場のためにできることってなんだろうって考えた時、思いつくのは物事が失敗してゆく過程や、そのリスクを上げてゆくことなのかなぁって考えた。

新しいことを「どうやったら上手くゆくか」を考えるのは、おそらく現役の若い人たちは得意だし、何より考えていて楽しい。

しかし、それ以上に「どうやったら上手くゆかなくなるか」や「何が原因で失敗が始まり、どのようなプロセスを辿って崩壊してゆくか」を想像し、あらかじめ対応策、いわゆるコンテンジェンシープランを考えておくことは、楽しくないけれどリスクを最小限にするためには必要なことだ。

 

まぁそんなことを言っても、今日の政治家や自治体のトップの方々にも出来ていないことなので、若い子たちにできるかといえば少々きついところもある。

緊急時には精度より速度が優先されるのは王道だ。

しかし精度より速度を優先した対策を取った時には、自己否定的な視点からのモニタリングとアセスメントを頻繁に行わないで、その都度場当たり的な対応を繰り返していると、現場のスタッフが疲弊し破綻してゆく。

これも良く知れたことのはずだが、どうして皆目を背けるのだろう。

 

数ヶ月程度の短期戦略で解決できるものであれば、現場の努力と場当たり的なサポートでも乗り切れる場合がある。

しかしコロナや大規模震災、原発事故などのように、長期間の対応が必要な事態では、一点集中的で狭く統合性やバランスに欠けた戦略では効果がないばかりか、末端の人々が疲弊し計画は破綻してゆくのは明らかだ。

病院、保健所、飲食店…末端の人々は疲弊し破綻しかかっている、何も終わってはいないし解決の光すら見えてはいない。

集団免疫が得られるまで、場当たり的な対応を繰り返すつもりなのであろうか?

選挙も大事であろうが、しっかりと考えて欲しいものだ。

 

来週から人事考課なるものがおこなわれる。
また、色々言われるのかなぁと考えると、今から憂鬱だ。「貴方の考えは間違っている!今の時代の正解ではない‼︎ちゃんと自覚しなさい‼︎‼︎」てな感じかなぁ…

でも前の所属長の時代では自分の考え方は正しいとされてきた、トップが変わって評価が変わる…まぁ仕方ない。ただ人の命を預かる仕事だから、変な事をする訳にもいかない…どうしたものかと悩んでいた時、ふとある言葉を思い出した。

「正しい事は時代や考え方で変わっていく。だから正しい仕事を行うのが大事なのではなく、仕事を正しく行うのが大事なのだ」と…

ん?「仕事を正しく行う?」
正しく…そこに意識をもって行き過ぎると、偏見が生まれるんでしたね!
間違った事をしない‼︎

謙虚に丁寧に…
頑張っていこうと思う。

昨日の感染者数が最大数となった。

Go toの実施は良かったのか、感染防止…それとも経済の復興支援か、ただウイルスにはそんな事はどうでもいい。彼等は平等に接してくる。
社長も大臣も関係ない…嫌な奴だが、多分悪いのは我々人間なのかもしれない。

誰かが言っていた
国と国の政策のバランスが崩れると戦争になり、文明と自然のバランスが崩れると感染症が流行するそうだ。
山を崩し、木を切り、海を埋め立て川を削る。
豪雨、海岸の崩壊、海面上昇…そして対策として、更に自然に手を加える。
堤防を高く、山を固める…ソーシャルディスタンス、三密…その前に我々は自然に対して謙虚にならないといけないのではないかなぁと思う。

空も飛べない、海で自由に動けない、全然早く走れない人間が、こんなに自由に生きていられるのは、自然が優しいから。
調子に乗ってはいけない、謙虚に生きるべきなのだろう。

3年前、東北地方に伝わる「てんでこ」って言う言い伝えをもとに、防災に関する意識について書いた事がある。

今年も自然災害で多くの方々が、その尊い命を亡くされた。心から御冥福をお祈りします。


「てんでこ」というと「自分の命は自分守れ」という所が強調され、他の人の事は感知しないような意味にとられてしまうかもしれない。だが真相は「自分は大丈夫だから、絶対生き延びるから、貴方は自分の安全だけを考えて!」という事なのだそうだ。これは極限状況における最大の思いやりだと思う。

ネットやTVからの情報がない昔は、こういう絆で人々は繋がっていたのであろう。その絆の強さは、SNS等の繋がりなんかより、遥かに強いものだったのてはないか?

切迫した情報は、適切に使用される事で初めて価値がある物になるが、TVのテロップより隣のおじさんの大声の方が効果は高いのではないだろうか。


情報を受けても人が動かなければ、それは単なる音で終わってしまう。

様子見は何もしていないと同じ事、時間だけが過ぎてゆく。

この災害で生き残った方々の言い伝えは、緊急避難情報より説得力ある物になると思う。5mに住んでいて家は流されたが助かった方は、「7mに住めば大丈夫」とは絶対言わない、そんな事言うのは現場を知らない人達だけだろう。

「愚者は自身の経験に学び、賢者は過去の歴史に学ぶ」は、ビスマルクの言葉かと


ビスマルクの言葉といえば

「正義とソーセージが好きな人は、それが作られる工程を見ない方が良い」という言葉もあった。

前回のブログを思い出してしまった。