現代ダーウィニズムをめぐる N個の対話  難長文!!

ソクラテスによって始まった西洋の愛知活動は現代ダーウィニズムによって実質的に終了させられた? 190925開始   190926a  200225a    ver. 200226

                      桜井芳生(遺伝子社会学・文化社会学)
                            yoshiosakuraig@gmail.com


未決定稿。

【要約】

ソクラテスによって始まった西洋の愛知活動は

ジョン メイナード スミス

ロビン ダンバー

ジェフリー ミラー

を代表とする現代ダーウィニストらによって実質的に終了させられた

(要約 終わり)



【第一対話】愛知活動の2500年弱の歴史は現代ダーウィニズムによって実質的に終了させられた?!

――インタビュアー: 桜井さんは最近、西洋のいわゆる愛知活動フィロソフィーーの2500年弱の歴史は現代ダーウィニズムによって実質的に終了させられた、、、、とかいったことをおかんがえのようですが、、、、、



桜井:はい。西洋のいわゆる愛知活動フィロソフィーの2500(弱。以下同様)年の歴史は

実質上

ジョンメイナードスミス
ロビンダンバー
ジェフリーミラー

らを代表とする現代ダーウィにストたちによって

実質的に終わらされたのだけれども

おわらされた方も

終わらせたほうも

そのことに必ずしも自覚がなく

2500年続いてきた愛知活動(フィロソフィー)

の末裔たち、

その一部にはわたくしたち社会科学者・社会学者も含まれるわけですが

現代のその末裔たちによってなされるべき

そして残された仕事とは

その実質的な終了を明確にし、自覚させることであって

その作業を行うことによって

もし終了されていない部分があるのだとしたら

それもまた明らかにし自覚させる、と言う仕事であると考えています


ちょっと誤解を招く表現ですが

複雑な迷路の中の袋小路を一つ一つ潰していって

もしかしたら全て袋小路なのかもしれないのか

それともまだどこかへ至る道があるのか

明らかにしていく作業であると考えています

*    *    *

まずソクラテスがやり始めた事の確認からしておきましょう

哲学史的には正確な言い方ではないと思いますが

その後の2500年の長い愛知活動の流れから振り返ってみると

ソクラテスが行った事は、真理とは何か、真理を認識することはどうして可能か、とかいった問であって

でその探求の中でソクラテスが暫定的に行き着いた回答は

少なくとも自分1人は自分が真理を認識していないと言うことを認識している

と言うものだったわけです


以上の2つの問

一つの回答、またそれ自身がまた何かのパズルとなってしまうかのような回答

この3つが後の2500年間の愛知活動の発端となった、と単純化して言えば言えるのではないでしょうか

(もちろん西洋愛知活動といってもそもそも西洋と言うもの自身が地理的にかなり移動していますし、いわゆる古代の終わりから中世

さらにイスラム圏における実質的なギリシャ哲学の継承

さらにそのイスラムから西洋への「逆輸入」愛知活動の

といったいろいろ複雑な事情がありますが、今のところは単純化しておきましょう)

*    *    *

それではその2500年間の大歴史をすっ飛ばして

現代ダーウィにストたち

ここでは特に
ジョンメイナードスミス
ロビンダンバー
ジェフリーミラー

たちの仕事がどういう意味を持つかを続けてみたいと思います


【ジョンメイナードスミスのタカハトゲームモデル】

ジョンメイナードスミス彼自身はどれほど自覚していたかは分かりませんが

少なくとも私桜井にとっては、例の愛知活動に魅力を感じてしまう自分を反省する上で、とても啓発的な刺激を受けました

ポイントは有名なたかはとゲームのモデルです

ある前提の下では攻撃的なたかと平和的なはと とがある比率で棲み分けが生じてしまい

それが進化ゲーム論的に安定でありかつ他の戦略の侵入を許さないと言うモデルです

言うまでもなくある1つのモデルですので世界や宇宙全般の典型的状態を表しているものではありません

あるゲームのルールとか条件並びにその条件の値によって初めて成立するものです


しかし少なくともわたくし桜井にとっては

このモデルは

なぜ世界には真理と誤謬が存在するのか

真理を認識していると思った人たちがなぜ複数の種類対立的に存在しているのか

なぜ善と悪とが併存しているのか

なぜ自分は善人と考える人が複数併存しているのか

なぜ世界には美しいことと醜い事が存在するのか

なぜ自分たちが美しいと考える人たちの意見が対立・併存しているのか

などなどといった考える上で非常に大きなヒントとなるような啓発を与えてくれました


(カントの二律背反(アンチノミー)の議論に似てますが、カントのその議論は、「認識論」におけるアンチノミーを指摘しては、「当為論」へ行き、、、、、という、いわば場面展開における狂言回しのおもむきがありますね。)


それはつまり以上のような2つ以上との2つ以上の対立がそもそも存在するように世界のある部分は条件の値が決まっているのではないか

ちょっと言い間違えました

ある条件のもとでのある値の下で
上述のようななかなか解決しないような2つ以上のものの対立が併存しあって安定的に存在し続けるということが非常にありそうなことではないか

と言うことです


言うまでもなく以上のような2つ以上のものの対立が併存しないことも宇宙や世界には多いでしょう


繰り返せば以上のような進化ゲーム論的と言えるような条件やその値が
2つ以上の戦略が対立併存するような範囲以外においては

ある一つのものが圧倒的にいわば勝利してしまいその場合われわれはそんなものが勝利しているということにさえ気がつかない

ほとんどの場合われわれは比較の中でしか物事を感じることができませんから

ということが、かなりありそうなこと(じっさいそうなっている)とおもいます。

 

 

(文献 純粋理性批判  (講談社学術文庫) イマヌエル・カント (著), 天野貞祐 (翻訳)  )


*    *    *

ここで愛知活動だと言っているのは

知ることを愛する フィロソフィー 哲学活動の事ですが

日本語で哲学と言ってしまうと

かなり狭くとられてしまうので

ソクラテス以来2500年間続く、知ることを愛すると言う活動

現代においては哲学も社会科学も自然科学も全て含むような「学問活動」のことです


(文献 進化とゲーム理論―闘争の論理 (日本語) 単行本 – 1985/7/1
J.メイナード‐スミス (著), 寺本 英 (翻訳), 梯 正之 (翻訳) )

*    *    *

【ロビンダンバーの150頭スペックの脳】

ふたりめの現代ダーウィにストとしては

ロビンダンバーを上げなければならないでしょう

「ダンバー数」と言う概念によって今や日本でも有名になったロビンダンバーですが

私にとって非常に大きなインパクト与えたのは

そもそもヒトの脳は150頭の群の中での「群れ」生活を前提にしてしか設計されていないのではないかと言うことです


*    *    *

したがって人の脳のスペックと言うものはそもそも150頭を超える群の生活

に対応して設計されていない(適応してない)

さらにその設計されていないと言うことを自覚する性能も設計されていない(適応していない)。

と言うことが非常にありそうなことだと言えるわけです

 

 

(文献 ことばの起源 -猿の毛づくろい、人のゴシップ- (日本語) 単行本 – 2016/7/11
ロビン・ダンバー (著), 松浦俊輔 (翻訳), 服部清美 (翻訳)   )


【「社会」とは、「社会学」とは?】

したがって

もし「社会」と言う概念が存在しうるならば
そして、
「社会」学と言う学問が存在しうるならば

それはこのような自身のスペックを超えたサルたちがどのような振る舞いをしてしまうかと言う

誤解ならびに誤解していることへの無自覚

を描く学問としてとしてしかあり得ないのではないでしょうか


先日ある社会学関連の学会がありました

そこである先生がヒトなどふくむ生物を始めとするプレイヤーたちが協力行動をもたらすにはどういう条件が必要かといいうことを

マルチエージェントシミュレーションモデルなどを使って分析されていました

わたくしはそのシミュレーションモデルでは何匹のプレイヤーでモデルを動かしていたのか

と言う質問をいたしました

発表者の先生の答えは
「100匹とか1000匹だったと記憶しています」と言うものでした

私はこのようなシミュレーションモデルにおいてもプレーヤが何匹かと言う数値は非常に大事なものなのではないかと思っています

★★★!!!!(桜井自身のシミュレーション実装論文に言及せよ!!)

またダンバーの視点は、愛知活動自体が、ヒトの 大脳新皮質の無駄遣いなのかもしれないという視点へとわれわれを導いてくれると思います。

 

 

(文献「グループソーシャライゼーション型パスワード改訂」仮説 ―「ただ乗り」問題対処としてのプラティーク変異の、. 計算機実験による検証―. 桜井 芳生.  ..)


【後期ウィトゲンシュタインとの同異】 

いま言ったことと関連しますが

20世紀中頃に活動したヴィトゲンシュタイン

特にその中期以降の思想は面白いものだと言えるでしょう

当時のヴィトゲンシュタインの思想を簡単に言ってしまえば

「哲学」と言うのはいわば病気であって

彼自身の仕事はその病気である哲学を治療すると言う作業であったと言うものです

しかしここにはウィトゲンシュタイン自身がある強い前提

強い希望的な仮定を持っていたのではないでしょうか

そしてそのことにウィトゲンシュタイン自身がほとんど気づいていなかったのではないでしょうか

ブッダの生病老死がまさに表しているとも思っていますが

病と言うものは生命にとってかなり付きものであって

それを「治癒しつくしてしまう」

し尽くしてしまうことが「できる」

という事自身が、

かなり傲慢な

かなり強すぎる仮定に基づく行いなのかもしれません

ジョンメイナードスミス以降の我々が出来る事は

むしろなぜ病的な行動が、こうもなくならないのかを自覚することなのかもしれません

!!!!!!(進化医学も参照)

 

 

(文献 ウィトゲンシュタイン全集 8 哲学探究 単行本 – 1976/1/1
ウィトゲンシュタイン (著), 藤本 隆志 (翻訳)

 

病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解 (日本語) 単行本 – 2001/4/15
ランドルフ・M. ネシー (著), ジョージ・C. ウィリアムズ (著), & 3 その他     )

 




【性淘汰の理論:哲学も犯罪も、ムシキングみたいなもの!?】
 
3番目としてジェフリーミラーを始めとする

現代ダーウィニストの特に性淘汰の理論を主張している人たちをあげなければならないでしょう

彼ら

セクシャルセレクション

性淘汰

の論者たちが問題とするのは

なぜヒトを含む両性生殖生物たち

の特に一方の性

ほとんどの場合はオス



ライオンのたてがみとか

カブトムシの角相撲とか

牛の相撲とか

古代や近代のオリンピックとか言った

何の腹の足しにもならないような、属性をもっていたり、行動を行ったりするのかという問いです

彼らの回答はすでにダーウィン自身がかなり言っていたことですが

もう一つの性に対して

自分が持っている外からは見えない適応力の強さの、指標となる物・事を、みせびらかす行為並びに属性

という機能をそれらがもっているから、

と言うものです


それらは、潜在的適応度指標の見せびらかし行為

といえるわけです


ジェフリーミラーの面白いところは

いわゆるヒトの「学芸」「芸術」とか呼ばれるものもほとんどもこの類なのではないかと言うことです

(文献 恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)(2) (日本語) 単行本 – 2002/7/15
ジェフリー・F.ミラー (著), 長谷川 眞理子 (翻訳))

 


【愛知活動 と (一部の)犯罪との同根性?】

哲学並びに哲学者たちは

暗黙のうちに以上の愛知活動と言うものが何にも増して価値のあるものと考えがちのようです

プラトンの哲人王国家の議論が、典型でしょうか

しかしこれはニーチェ(元変換:やば兄ちゃん)的に言ってしまえば転倒した意識であって

クラスの中でスポーツのできる男子ばかりがモテてしまって、女の子にモテない根暗なヒトのオスの子供が、しょうがなくそれしかできないのでやっている

潜在的適応度指標の見せびらかし行為の、一部なのかもしれません

このようにミラーの視点は2500年間続いてきた愛知活動と言うものを、ヒトと言う生物のヨリ一般的な土俵の中で再び位置付けてくれると言えそうです


ついでに言っておくとサトシ・カナザワと言うアメリカ生まれ現在イギリスにいる進化心理学者は非常に面白いことを言っていて

ヒトの男性が行う犯罪行為の多くも

実は、上記のような、潜在的適応度指標の見せびらかし行為

なのではないかと考えているようです

そうでも考えなければ、なぜヒトのオスが、こんなに多く結局のところは割に合わないような犯罪行為をしてしまうのか

特にそれが青年期の一時期に大きな頻度を持ってしまうのか

メスへの見せびらかしと考えなければなかなか理解できないでしょう


やくざ映画がなぜこれほどまでに人気があるのか

やくざ映画の中でなぜ女性にモテることがもっとも大きなテーマとなるのか

等についても大きなヒント与えてくれるでしょう


善悪をもかたる愛知活動それ自体と、悪の典型である犯罪行為そのものとが、両性生物であるヒトにとってかなり根っこのとこで、機能的な等価物であることの可能性(というか蓋然性)を、ミラーとカナザワは気づかせてくれそうです。


(文献 Why productivity fades with age: The crime–genius ...S Kanazawa 著 - ‎2003 - ‎被引用数: 135 - ‎関連記事  )


190926【第二対話】【愛知活動の終わりそうのなさ?】

――インタビュアー:しかし、もし以上のことがただしいとすると、以上のような現代ダーウィニストたちによって、わたしたちにはむしろ、上記の愛知活動が終わりそうもないことがしめされるのではないでしょうか?


桜井:ああ、そうですね。表題ならびに上記での「終了させた」の言い方はまちがいでした。

彼ら現代ダーウィニストたちによって、「終わり」そうもないことの高い蓋然性をわたしたちは理解できるようになった、、、、、とでも言うべきでした。


190926【第三対話】【「持続」が、ある期突然、終了してしまう(他のものによって代替されてしまう)可能性が常に存在することをもしめしている、、、】


――インタビュアー:なかなか面白いお話でした

ですがちょっと待ってください

ジョンメイナードスミスが行ったのは戦うか戦わないかみたいな話であって

それと愛知活動とは

論理必然的なつながりがあるとは思えないのですが

桜井さんの好きな言葉を使わせていただければ強い蓋然性さえも見えないのですが



桜井:はい。そのとおりです。ジョンメイナードスミスの議論自体と ソクラテスによる愛知活動の開始とその2500年にわたる持続とは必然的な関係はありませんし、「高い蓋然的」な関係もありません。

むしろ ミラー から、逆に メイナードスミスへとかんがえるべきなのかもしれません

潜在的 適応度 の 指標 顕示 の ゲームに とって、 「つかえる ネタ」の 必要条件は いくつかあって、そのひとつは、「簡単にゲームの決着がついてはしまわないようなネタであること」(条件%)でしょう

こうして、(たとえば別の例をだせば)将棋は 約400年(以上)① 

愛知 活動は、 約2500年(以上)② の 「寿命」を もったのでしょう

 所与の 「ネタ」が、条件%をみたすかどうかは、事前には人知にはなかなかわからないのであって、 上記①や、②の 歴史を経たあとで、「事後的に」(しか)わから(ない)場合がほとんどではないでしょうか?

このような「事前には人知にはわかりそうもないこと」をも、(「科学的」に)かたってしまう

このようなかたりをも「科学」としてみとめてしまう

これがチャールズダーウィンによってひらかれた「進化論」、、、、、

(ちなみに、私自身は「進化」ということばは非常にミスリードとおもっておりますし、

たとえば http://www.f.waseda.jp/sidoli/Darwin_Origin_Of_Species.pdf

にある On the Origin of Species by Charles Darwin, the Pennsylvania State University, Electronic Classics Series

で、evolution  (進化) という単語を検索してみても ヒットするのは、すべて revolution という単語です

以上がもし操作ミスなど誤りでないとしたら、『種の起源』においては「進化」という語は一度もかたられていない、

というおどろくべき事実です。

もちろん、evolution  (進化)という英単語自身が ダーウィンの時代にはまだりゅうつうしていなかったという可能性がありますが、OED(オックスフォード 英語辞典)などで確認必要ですね!)


、、、という新しい科学(それ自身が「科学」の概念をじつは刷新している)といえるとおもいますし

このような「事前には人知にはわかりそうもないこと」をも、かたり、反証操作にかけるというのが、ダーウィニズムの「のり」というか「さとり」みたいなものだとかんじています。


*    *    *

メイナードスミス=ミラー主義的社会学者がありうるとしたら、

ありそうなゲームの諸条件を措定して シミュレーションモデルを建築して

そのなかで、愛知活動と解釈できるような戦略を措定して、

「愛知活動に参加しないで、べつのたとえば「運動部」的な活動で、異性にモテるように頑張る/あるいは愛知活動に参加して異性のモテるように頑張る」という二択に戦略を措定し、

後者(愛知活動に参加)の場合のさらにサブゲームとして「ある説に参加する/反対説を支持する」という二択の選択を措定し

それぞれの戦略を報ずるプレイヤーならびにその子孫が2500年と解釈できる「期」間(2500年だから約80世代ぐらい?)、棲み分け的に生存するということを

導出(derivation)する、あるいは以上のようなモデルを構築(construct)してみせる

ということぐらいでしょうか


ちなみに本稿が対話体のていをなしているのは

何もプラトンのひそみに習ったわけではなく

iPhoneのGmailアプリの口述変換が実用レベルになった事情がおおきいです

このように【ある活動が始まるのは事前に見通すことができない当事者にとっては偶然】によるところが大きい

 

と言えるのかもしれませんね


190930 第二対話でのべたのと一見反対したいいかたですが、

上述の 思弁(スペキュレーション)は、

運動部系活動にたいする文化部系活動において、後者において、愛知活動が他の文化部系活動に代替されてしまうこと(大ゲームにおける マイナー戦略自体が他のマイナー戦略にとってかわられること)、たとえ愛知活動が継続したとしても そのなかでの タカ戦略とハト戦略 との どちらか(もしくは両方)が、戦略ごと他のものに 代替されてしまうこと、

上記の将棋のたとえでいえば、文化部系活動としてのチャトランガ系(チェスファミリー)において、将棋がまったくべつのチェスファミリーのべつの部活動に代替されてしまうこと(大ゲーム)、将棋活動が存続していたとして、昨日まではやっていた戦法がまったくすたれてしまうこと(小ゲーム)に たとえることができるでしょう。


上述のようなゲームの二水準での「持続」が、ある期突然、終了してしまう(他のものによって代替されてしまう)可能性が常に存在することをもしめしているといえそうです。


191008【第四対話】進化ゲーム論的還元

――ちょっと待ってください

今までの話はまぁ面白いと言えなくもないですが

愛知運動を文化系の部活動みたいなものとして考えるなど

あまりに粗雑な見方であるとは言えないでしょうか

例えば愛知運動の中では

永井均さんの<私>の話などとても興味深いお話などもいっぱいありますね

上記の部活動的なストーリーでそれを締めくくってしまうのはあまりにそのような興味深い話を

水に流してしまう

よく言われる言い方で言えばたらいの水とともに赤子を流してしまうようなものをとは言えないでしょうか


桜井:その通りです。新しい科学、新しい学問と言うものは

以上のような何らかの「新しい無視の仕方」によって始まるものではないでしょうか

これこそ諸々の今まであった科学革命のひそみにならって

以上のような愛知活動を一種の「部活動」として見る見方を

進化ゲーム論的還元

あるいはダーウィニアン社会学的還元等と言う新しい種類の

科学的還元の仕方

学問的還元の仕方

の出現と考えることもできるかもしれません




191010【第五対話】これって、ミーム論ではないですか? ちがいます。


――でもこれってつまりは、ミーム論ではないですか?


桜井:ちがいます。

ここまで語ってみると

愛知運動を一種のミームとして語るっているだけであって

ドーキンスのミーム論によって

すでに40年以上前に語られていたこととほとんど同じことを語っているに過ぎないに見えるかもしれません

しかしドーキンスのミーム論の弱点は

ミームを自己複製するものとして捉える点は良いのですが

ミームがどのような環境のもとで存続していくのか存続していないのかについての視点が弱かったのではないかと思います

(もちろん、ドーキンス自身に聞けば「わたしが環境のことを無視しているはずがない」というでしょうが、、、、)

その点ミラーの『恋人選びの心』以後のわれわれは

性淘汰(セクシャルセレクション)の視点でもって

どのような愛知活動なり部活動のようなものが

存続しやすいのかあるいはどのような条件で持って急に存続が終わるのか

を教えてもらえるのではないでしょうか

 

 

(文献 利己的な遺伝子 <増補新装版> (日本語) 単行本 – 2006/5/1
リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆 (翻訳), 岸 由二 (翻訳), & 2 その他    )

(了)



本稿の前段階となった「対話」を企画してくれた桜井庸子に深く感謝する。

以下の方々との議論に大きく啓発された。深く感謝します。
科研費「遺伝子と文化の社会学(通称)」プロジェクトの諸メンバー。
その拡大公開研究会にご参加された皆さん。
鹿児島大学「現代文化論」公開セミナーご参加の皆さん。


















+++++++++++++++++++++
+++++++++以下、自分用の ディレイトしたゴミ の 保存庫


かなり狭くとられてしまうので
ソクラテス以来2500年間続く知を愛すると言う活動
現代においては哲学も社会科学も自然科学も全て含むような学問活動のことです
例えば愛知運動の中では
永井均さんの「私」の話などとても興味深いお話などもいっぱいありますね
上記の部活動的なストーリーでそれを締めくくってしまうのはあまりにそのような興味深い話を
水に流してしまう
よく言われる言い方で言えばたらいの水とともに赤子を流してしまうようなものをとは言えないでしょうか
桜井。その通りです。新しい科学新しい学問と言う



以下で「愛知」活動だと言っているのは口述筆記アプリの
変換くせのためで
知ることを愛する フィロソフィー 哲学 活動の事です


    9:39
    10:25 (1 時間前)      
    10:31 (58 分前)       
Re: 愛知活動その1その2その3
    10:41 (50 分前)    
例えば遺伝子におけるRNAに対するDNAの圧倒的な勝利です
(もちろん厳密に言えば生物界においても現在においてもRNAは不可欠なものとして機能存在していますが)

この記述は危ない??
Re: 愛知活動その1その2その3その4
    10:50 (42 分前)       
口述筆記アプリの

変換くせのためで
    10:57 (34 分前)  
    11:05 (27 分前)     
    11:26 (7 分前)          
(190926自分用 備忘: ゲーム論の定跡としては、以上の二重入れ子ゲームは、「愛知活動にしない/参加しつつある説に賛成する/参加しつつその説の反対する」という三択戦略として定式化するのが定跡だろう
が、メイナードスミス翻訳本 19頁にあるとおり 「三つ以上の純粋戦略が存在するときには」 二択の場合とくらべて、解析てきにとくのは、すこしやっかいそうだ。

190925え。しかし 哲学ゲームの 発達し を スミス 的に かんがえると ある論点にたいして、 賛成する と 反対する と そもそもそのゲームに参加しkない の 戦略が3つのゲームになっていしまう。あるいは、、、、

あるいは、

まず、ある論点についての哲学パズルゲームに参加するかしないかの二択ゲームで、

参加した場合に また参加するかしないかの二択

との 二重入れ子ゲームとなっている。

が、ゲーム論的には、「参加しかつ賛成する」「参加しかつ反対する」「参加しない」の結局、3択ゲームとなるか。       

自分用 備忘 終わり)



!!!突然おわる 大ゲームの終了(べつの文化系男子の戦略の発生)。小ゲームの終了(将棋に必勝法がみつかる)

も 書け!!!!