戦国武将。進退の危機に陥った時、やれることをやり尽くし、クライマックスシーン(最後の場面)を迎える武将は多い。
伊達政宗もその一人といえるが、それにプラスして政宗はクライマックスシーンの前に「歌舞く(かぶく)シーン」を作り自らを演出する。最後の最後に美感ただよう一輪の花を咲かせて、それを見せるのだ。それはオーディエンス(聴衆)がいることを意識してオーディエンスに対して歌舞くのであり、そのことで、最後の最後に聴衆を味方につける。
小田原参陣。石垣山の陣所での豊臣秀吉との初謁見時には、髪を水引で一束にし決死の覚悟をもって死装束姿で登場、控える徳川家康・前田利家をはじめとする諸大名、秀吉の重臣・側近らオーディエンスの度肝を抜き、心を掴んだ。いや、命の振り子を握っている天下人秀吉の心をも掴んだに違いない。
【上掲画像2点…みちのく伊達政宗歴史館 提供】
葛西大崎一揆の弁明のための入京では、金の磔柱を先頭に死装束姿の行列であらわれ、京童を味方につけた。
朝鮮出兵の京からの出陣では、きらびやかな軍装行列で京童を驚かせ心を掴み、「伊達者」と言わしめ味方につけた。朝鮮出兵は政宗にとっても決死の覚悟であった。
未曾有の大災害「慶長三陸地震・津波」(史料には1,783人溺死、あるいは5,000人溺死)が起こった時には、その1年11ヵ月後に、洋式帆船サン・ファン・バウティスタ号を建造し、国の存亡をかけて支倉常長ら慶長遣欧使節をヨーロッパへと派遣してみせた。実に勇壮で美しい船体だ。
どんなに劣悪な状況下でも、政宗はその最悪の状況下の頂点(マックスクライマックス)にあって、美しい花を咲かせようとした。
そして、それにより、生存をかけた窮地をことごとく乗り超えた。
これらを通じて、伊達政宗はわたしたちに大切なことを教えてくれる。
どんなに劣悪な環境下にあっても、死を目の前にした淵にあっても、実は人は美しい花を咲かせることができるのだ。
状況のせいにしてはならない。
環境のせいにしてはならない。
他人のせいにしてはならない。
美しき花は咲く場所を選ばない。ただ凛としてそこに咲くだけ。
伊達政宗の一生を通覧する時、私はそんな政宗独自の美学をそこにみる。
そして、わたしもまた、そうありたい!
あなたにもまたそうあってほしい!
遅すぎることはない。
それは今からでもいい。
いや、最後の最後でもいいのだ。