誰かが苦渋の決断をしなければ | 富山よしのぶオフィシャルブログ

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本日、東北復興支援会に誘われ参加してきた。

まだまだ沢山の方々が東北に気持ちを持ち続けていることを肌で感じることができ、本当に良かった。

福島の話。

必ずバトる。

原発でご飯食べている方がいる。

放射能に怯え、家庭内不和にまで陥る人がいる。

県外に出る人もいる。 なぜ残っているのかという人がいる。

県内に普通に暮らしている人がいる。 県外に出た人を裏切り者という人もいる。

福島の問題解決は何か?

発展途上国で内戦が絶えない国があったとしよう。

自分の家族が全員隣町の民兵武装勢力に殺されたとしよう。

憎しみは募る。

平和維持として外から国連がやってきて民兵の武装を取り上げたとしよう。

平和のために。

その時、自分の家族を殺した民兵は武装解除となり丸腰になる。

自分はどうしますか。 憎しみを我慢し、平和に向かうのか。

それとも、許せずに隣町に乗り込み、民兵だった人達を探し出すことに執念を持ち続けるのか?

それぞれ生きる理由があり、立場がある。

福島第一原発は働く人、住む人、農業、漁業、観光、プライド、命、お金、短期、長期、仲間、裏切り、妬み、羨み、自責、責任転嫁・・・・。

これを解決するためには大きなビジョンと構想が必要。

そのためには大きな視野で長期的展望に立ち、将来の子ども達の事を一番の念頭に置き決断をしなければならない。

誰かが苦渋の決断をしなければならない。

それは、政治家である。

その政治家に誰かがならなければならない。

そして、あえてその手を挙げようと思う。

誰も損な役はやれへんからね。