メンバーからの報告。 | 富山よしのぶオフィシャルブログ

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メンバーの方が陸前高田、気仙沼などいろいろまわってきた報告です。

本当色んな人が頑張っていて、被災の甚大さを物語っています。

復興はまだまだです。

たくさんの人のお力が必要です。お力お貸し下さい。


以下転載いたします。

・気仙沼某避難所

朝野菜お届の電話

学校は文化祭

とりあえず正門にスタッフがいるのとの話

到着後保護者の車と間違われ学校裏の駐車場に誘導される。

そういえば保護者の車にしかみえないので仕方なかったかも^^;

じゃがいも20キロ
にんじん20キロ
玉ねぎ15キロ 
持参した冬物少しと 夏物少しも入用とのことでお渡し


・気仙沼某病院
 
11時半ぐらい到着

ゴミ箱(Mさん7 N友人 15)

文房具(N友人 ボールペン30 マジック2本 えんぴつ2ダース ボード10枚)

Mさんからの預かり物

看護師さんたちがゴミ箱かわいい~とか これ助かります♪とか口ぐちに。

こういう言葉って本当に嬉しい。

H師長さん

とってもおだやかで本当に素敵な方でした。

庭の石の話をしたら
忙しいのに中庭に案内していただいていろいろ話してくださいました。

今写真みてみると 説明が難しい^^;

池に通じる流れのところに どこからかほかの場所の石が流れてきてて水がせきとめられてしまったとのこと

庭師さんとかがいたら 綺麗に移動してくれるかもしれませんねーー
添付写真2枚


・M避難所

Mさんよりのなべ かま
文具(ノートボールペン鉛筆ボード類 N友人より)お渡し

青年団団長のSさんがお出かけのため

第3自治会会長
Sさんよりお話しを聞く

M会館避難所が指定避難所になった経緯

商店街の人たちのつながりで 震災後漁業関係の冷凍品をわけてもらえて

早いうちからお魚などを食べられたこと

第1,2,3の自治会長がいたので 第一会長を中心に役割分担が早くでき

避難所の運営がうまくいったことなどを聞きました。

商店街は、
中小企業事業団が手一杯でなかなか動けないそう。

店舗工事に遅れが生じてます。

店舗仮設と内装を同時進行にしたいのに

仮設店舗ができたら申請

その申請がとおったら内装・・・・

水道も早くいってくれればいいのに 3つ水道の蛇口がなければOKがでないなど
8,9月には出来そうと思ったが

10月になってもできるかどうか。。。。

何度となく言ってみるが やっと業者の入札?の段階とか

遅くなって困っているとの話。

災害の義援金など1家庭に渡される。

自分のところは自分が営業し 息子は息子で別な店をやっていたが

両方被災した。

義援金などは家庭ごとに渡されるので息子の分はない。

若い者が沢山職をなくし
援助もなく 困っている家庭が沢山ある。

現在52店舗が入る予定。

他のところに どんどん店ができてきて

みんなそこに飲みに行ったりしている。

早く商店街を復活させ客を呼びたいのに 仮設店舗がなかなかできない。

だいたいこのような話でした。

・陸前高田とうごう薬局

水2Lいり3箱
トイレットペーパー 12ロール 4個
チッシュペーパー 5箱いり 3個
冬物セーターなどお届

遠野から陸前高田に向かっていったんですが

ひまわりに囲まれている薬局はかなり目立ちました♪

薬局ない地域。

とてもたすかる薬局なのではないかと・・・・

突然の訪問でごめんなさいでした^^;

というわけで ミッション終了。

仙台までは多賀城塩釜近辺に2度ほど行っていたのですが

陸前高田も気仙沼もはじめてだったのでかなりの衝撃でした。

陸前高田のまだ残る瓦礫 ビル これが5カ月後?という印象でした。

そのなかに ポツンとたっている高田の一本松。

寂しそうだったけど 海と陸の間で街を見守って立っているようでした。

気仙沼では冠水した道路をジャバジャバ車で走り抜けました。

ナビ通りいった先には橋がありませんでした。

こういうなかにLOTSのメンバーが支援物資を持って走っているのだと

あらためて感じました。

そのなかに暮している現地の方々

病院の師長さん

丁寧に商店街の説明をしてくださった自治会会長のSさん

偶然にも文化祭だった避難所の学校の親御さん 

お子さんたちの笑顔

5か月がすぎ まだまだの復興 

動かない行政のなかで

人は強いですね。

きっと簡単には負けないですね。

なんか光を見たような気がしました。

そして少しでもそのお手伝いをしていきたいと思いました。

とりとめもない長い文章、ごめんなさい。

なかなか見たこと感じたことを文章で書くのは難しいですね。

特に今回のような震災では・・・・