さて、10歳の私はとても大きな決断をしました。
それから親父の友人の家族が住むアパートへ親父と一緒に向かいました。
どうやら、親父は早くからこの日の準備をしていたようです(そりゃそうですわな)。
親父の友人の家族(仮にマリンのおばちゃんとしておきましょう。マリン地区に住んでるおばちゃんだったから。)のところに私が居候をすることや、通う学校も決めていたようです。
マリンのおばちゃんの子供は女の子二人で、その時すでに近くの公立小学校に通っていましたが、私は反対側の私立小学校に通うことになりました。
私の通う小学校は家から歩いて30分ほどのところにありました。平屋で校庭も狭く、小学生なりに広いイメージはありませんでした。
そこに小学校1年生から13年生までが通っていました。一クラスは10人ほど。少人数の小学校でした。
毎日茶色の紙袋(よく映画に出てくるオレンジの入ったあの茶色の紙袋の小さいやつ)に弁当を入れて、テクテクと一人で歩いていきました。
途中、ラズベリーやブラックベリーが自生しているところを通るので食べながら行ったこともあります。
そんなこんなで、ひょんなことからサンフランシスコから北へ20マイルほど離れた片田舎に10歳の私は住むことになりました。
サンフランシスコから当時バスで40分ほど、25セントで乗れた気がします(大違いかもしれません(笑))。
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