これほどまでにイケてない自撮りを見たことがないです、と撮ったふゆかりんまでが言った写真。
梅田で観てきたこの舞台、東京でも観ることができた。どのくらい進化しているかをしっかりと観ることができてありがたかった。こんな大変な時期に観せてくださってありがとう、と心から思った。
出演しているみなさん全員がこの舞台に対してこなれてきて、一丸となって流れを生みだしていた。もちろん梅田でもそうだったのだが、その流れがいっそう大きくなって力強くなり、テーマがよりよく伝わってきた。
千葉さんが演技力で描き出すアランの細かい心の表現に、全員のイメージが追いついてきている。そしてミュージカル専門の人たちの歌に、千葉さんの歌が追いついてきた。最高のバランスだ。推しだからではなく、彼のアランはやはり、舞台の雰囲気を変えるほどにリアルだと思う。
そして明日海さんが出てきただけで薔薇が咲くように「そこにエドガーがいる」と思わせる力、宝塚時代からこの役に関して奇跡の人物だ。
これはとても悲しい話なんだということも、改めて思った。
いっしょにしていいのかどうか微妙だが、先日観た「ヤクザと家族」と同じで、社会の中でマイノリティになってしまった種族がどれだけ生きにくく悲しいものなのか、その中にいると生きるためにやむなく性格が変わり、どういうふうに凄みを帯びていくのか、そういう物語でもあるのだ。
アランの渾身の「だれか助けて!」も、メリーベルの「エドガー!エドガー!」の叫びも、エドガーの「いっしょにおいでよ、ひとりではさびしすぎる」も、まんがで読んだときと同じように切実で、懐かしい。エドガーとアランを見ているうちに、涙が出てきた。なんて悲しい人たちだろう。
私の心の中にいたエドガーとアランがほんものになって動き出し、また時の流れの中に去っていった。そういう気持ちになった。
そうは言っても原作はまだまだ進化しながら続いているので嬉しい。エドガーのクールな心は私の永遠の憧れ。
ライブ配信もあるようです。「アランアングルって、アランから見たアングルだったらどうします?」と悩む私たちであった(そんなはずはないです)。
ちゃっかりと開演前に「No18」のハンバーガーを食べる私たち。すごい肉感で、噂通りおいしかったポテトも。
ばな子よ、おまえ、ほんとに自粛しとるんか?はい、しています!だからバリバリとブログが書けるのです。
ずっと家にいるから犬の機嫌がいいのです。
限りある命、ひとときの出会い。なるべく差別なく、穏やかな世界を。
なんでお母さんはアランを理解して守ってあげられないのだろう。どうしてポーの方たちに「そんな生き方大変ですね」って献血してあげられないだろう。なんでヤクザは家族を持てないのだろう。それが人類というものなのだろうか。
そんなことを考えながら、自分はどうしたいかをしっかり持っていようとしみじみした。
この期間、ストレスもあるしいろいろ思うところもあるのは全員同じですが、人類全体が同じ状態なのでしゃーないと粛々と生きるしかないですもんね。
みなさまも読みたいまんがを読んだり、観たいドラマや映画や配信を観たり、今できることをしながら、よく寝ましょう。睡眠は大切です。よい週末を