コメント欄の封鎖にともない、なぜか私とまみちゃんでやっているサロンもどき「よなよな」が大炎上して炎、すっげえな!と思う。

でもそちらは地味にやっているし、人生について心から人をはげまし考えをシェアしあうクソ硬派な場所なので、だれがなにを言っても全く路線がブレることはない。もはや炎上がデフォルトのあの場所だけれど、いつかは茶飲み話のように、ぽつぽつと意味あるコメントだけがあがる、そんなふうになるだろう。ただ待てばよいだけ。それだけのこと。

 

私はアメブロのお仕事を1年間毎日やってみるね、そのあとはわからないけど、とボンバー菊池と話し合った(ような記憶がある)。そしてその期間だけはコメントを受けつけると、フォロワーのそれぞれがやりとりできたりもしていいかもですねと言われたような気がする。

なので、仕事だしそのとおりサクサク実行していた。ボンバーはあらゆる角度からものすごく優秀な人で、つかずはなれず決定的なことは言わず、しかしやることはみんなやるという人材で、彼がアメブロ界を支えている分量の多さがよくわかった。やっぱり、結局は媒体ではなく人なんですね星

 

公の立場としての自分の正直な気持ちとしては、まず毎日なにかを書き込むってどんな動機であってもすごいことだから、その人たちの人生の役に立てたらよかったというものが全て。

たとえば、あんな優しさを持って外国でひとりぐらしするっていうのはほんとうにキツいことだと思う、どこかがタッキーに似ているから昔から親しみを感じていたよしのりくんが少しでも日本とつながった感覚を持てただけでも、やってよかったなと思う義理チョコ

ほぼ毎日投稿の方たち‼️は、書くと自分のことがわかるし、書こうということで日常が支えられたかもしれない。その部分に対しては先日も書いたとおり。もう100%嬉しいし感謝です。

それから海外在住の他の方々、闘病中の方々、ご家族を亡くされた方、転職する方、仕事がたいへんな方、介護中の方、日々地道にお菓子を作ってる方(笑)が、ブログを見て和む。そんな力になれたことが最高に嬉しい。

 

一方、その良いことのなかにも悪い面はあった。コメント欄を読んでいた人にはバレバレで申し訳ないが、そして読んでいなかった人にはなんやらわからないだろうが、個人的には私は「人のブログに節度なく、しかもろくに読みもせず、事実誤認のことを何回も書き込むってよくないよな。いつか気づけよ!」と思いながらあの方にはかなりてきとうに対応していたが、あまりの苦情の多さに潮時だなと思った。友人知人読者当該企業や著名人やまみ子、あちこちから「あんなことを放置してはいけないと思う」と言われて、封鎖に至った。まあ、しくみとしては声の大きい、リーダー的なママ友がいて、その人にみんななんとなくイヤイヤつきしたがっているが、ほんとうはめんどうだなと思っているという場が生まれていたような気がする。声が大きいから人気も生まれると思ったら大間違いで、人はちゃんとみんな見ている。私含めみなが寛容だっただけだ。

それでもやはり思う。あの方に書くということの楽しさを少しでも知ってもらえたら、終わり悪くても全てよしだなおすましペガサスと。

なので、あの方にはどうか他の場所ではあの行動を取らないでくださいねと言いたい。小さな声の人がなにも言えなくなってしまう。実際に「あの人から目をつけられるのがいやでコメントを控えてました」「おそろしくてコメント欄なんて読めませんでした」「あんたのコメント欄、なんであんなに重えんだ?」(声ちえ 笑)というたくさんの人の意見を聞いた。

基本的には、よほどの控え目さを持たない限り、人のブログのコメント欄に毎日自分の日記を書いてはいけません。それは乗っ取りです。節度を持って生きましょう。

しだいに、ブログを書こうと思うたびに「ああ、またあの人があることないこと事実じゃないことをブログの内容もろくに読まずに書き込むのだろうな。そして間違えていると対外的にまずいので私がやむなく訂正のお返事をするのも織り込み済みの確信犯なんだろうな」と思っただけでめんどうになる現象さえ芽生え、黙って1文字づつ血や肉や励みにして読んでる多くの人に損を与えている気がしてきたのもよくなかった。

もうひとつの悪い面は、「あの人にはお返事があって、私にはない。なぜ?」という人が複数いたためで、ブログのコメント欄という、無料なのを含めフリーさが全ての場にしては過大な要求がいつしか芽生えていてよくないなと思った。それならTwitterに登録してと思う。比較的返信ができるから。でもそういう人に限って「noteは課金がこわいし、Twitterのことがよくわからないんですう〜」とか言う。知らんわい。手間をかけて、時間をかけてちゃんと読んでくれる人を大切に生きていく。

私の書くものの全ては、私の本を枕元に置いて亡くなっていった無念の読者たちに捧げられている。そして、そういう人たちのぶんも生きてほしい人たちのために。だから目の前で好きとか嫌いと言われても全くブレない。私がブレたら、その人たちの命がむだになってしまう。私は嫌っていいから、書くものだけ好きになってくださいとしか言わない。書くものも好きになれなかったら、どうか好きになれる人のところへ行ってください、と。

私が個人的に好きなのは家族と友人とわずかな知人だけで、読者さんと個人的に会ったりは決してしない。だから会いにもこないでください。マジで対応できないので目

こういうことを書くとよく「ばななさんってもっと優しい人かと思ってました〜んラブラブ」ともよく言われるのだが、そう思うならどうか去ってください。優しい人はきっと他にいっぱいいます。私はこのポイントで「おっとっと、思い切り言っちゃってるから気持ちがいいね、全くそのとおり」と思う数少ないターゲットに向けて、命を削って本気で書いているのです。

また、公人が素人に対して公の場で文句を言うなんて最低!と思われる方もいるでしょうが、その素人が公人のブログに対して成したとんでもない行動(もうコメント欄を閉じたので見れませんが)を見てから言ってくださいね、と思います。そしてそう思う方も、もうほんとうに私から去ってくださって大丈夫です。変わらずただただ心をこめて書いていきます。

それを「私ってカリスマだからグラサンすぐねたまれたりマウンティングされたり、取り合われちゃうの爆  笑」と思えたらとってもめでたいことなんだけれど、私個人はどちらかというと気が小さく地味なただのおばさん。もはやおばさんでもおばあさんでもなく、おじいさんの域に入ってるとベストなど来てる姿を鏡で見てよく思うほど。

私に与えられた才は、あるコードを持っている人(そんなに多くはないけれど、世界中にいる)には人生の指針となるほどのなにかを描くことができる小説を書けるという、ほんの小さな能力だけ。それはじゅうじゅう承知である。タイにいって道端に座ってるおじさんに「吉本ばななって知ってる?」などと聞いても、知らないし本は読まないというだろう。イタリアでテルミニ駅前で麻薬を売ってる人に「コノシバナナヨシモート?」(これ、合ってるかな)などと聞いても、知らないし彼の人生には全く関係ない。そのくらいのことはわかっている。謙虚なのではない、事実なのだ。

つゆ艸のゆみさんが世界一のプリンを作り続けて、近所のじいさんばあさんのオアシスになってる、それと全く同じ。

世界中にいる、小さく善きことを他者に与えている人たちに自分も組しているだけ。

そしてそれ以外の時間は全て、愛する人たちに捧げるだけ。引きこもりに近いレベルでよほどの用事がないと出かけない偏屈なじいさんなので、ブログ読者にサービスしてなにかしらの金を稼ごうとか全く思っていない。

ここまで割り切っていると、この世の団体がどうして失敗するかもよく見える。

なんか書いたり歌ったりする→ファンめいた人ができる→その中に序列ができる→大きな声の人がめだつ→第2第3の有名人となったその人たちをインストラクターとして利用して集客して金を集める→これからも金を集めるシステムができる→そんなもの破綻するに決まってる→また似たような仕組みで別の何かを立ち上げる

これはある意味、自然の流れというか、四季が移ろうのと同じくらいのしかたないことなのだろう。

それをくりかえすのが生業の職種ではないので、全く意味がわからない。その時間があったら書きたい。書いていれば人に役立つしお金も使わないので、平和である。

 

でもこのあいだドーバーストリートマーケットにアイリーンちゃんのプレゼントを買いに行って、名販売員M尻さんに出会ってしまい、そのおそろしいまでのおすすめ能力に惑わされ、ふらふらとイベント用の服など買ってしまい(税法上1回しか着ることができないのに)、節約を強いられている私であります栗

 

クローバーボヌール」地域のオアシス。なぞの名店。メニューは校正の人が行ったら食事そっちのけでチェックしてしまいそうなくらいおそろしい分量の文字数。

また立地がすごくて、公道からよくわからない小さな橋を渡ったところにあり、周囲はふつうの住宅街なのに、ここだけ天国のよう。ここのシャトーブリアンのコスパはものすごいと思う。銀座だったら1万5000円は取ってるという肉を「いきなり!ステーキ」なみのお値段で。

駐車場もこんなに広くて気持ちが良い

これは三茶の「瀬戸内バルCollabo」のものすごくおいしいオムレツ。このお店にはひとり、尋常ならざる感じの良さのお姉さんがいる。この世の全員が息子の嫁にしたいと思うような…チュー

ドーバーストリートマーケット内のディスプレイ。攻めすぎだろう!

アイリーンちゃんを囲んで。このビストロ「ピニョン」は(すっごくおいしかったけれど、暗くてお料理の写真がうまく撮れなかった)、なんと下北沢で昔「うさや」という和風ビストロをやっていたお兄さんがやっていたことがわかり、びっくりした。

ほんとうに久しぶりに、人生でいちばんミステリアスな女なつみとその息子さんとごはんを食べた。いつ会えるか、どこにいるのか、どんなことをしているのか全くの謎の、どこかにわずかにヤンキー色を秘めたサイキック美女。私に謎と言わせしめるなんてほんとうにすごいと思う。たまに会わずにいられない。

銀座の「魚勝」はとにかく大人気のお店。このカニとグレープフルーツと白子とあん肝のお造り代わりの一品だが、息子さんの「カニとグレープフルーツと白子とあん肝がダメで」というピンポイントすぎる発言により、みんな2倍食べることができた。むちゃくちゃおいしかった。永遠に酒が飲める。

茄子のすり流しも最高…しょうががちょっぴり、よく効いてた。

ソレイユ」のクリスマスの飾り。インテリアのセンスはよくカットはうまくすてきなご夫婦で、ここもまたオアシスだと思う。「髪の毛、いつまで伸ばしましょうね?」と言われたので、「髪の長いおばあさんでロクな人を知らないので、ある年齢になったらボブにしようかと」と言ったら、山本さんが「ブフォ」とふいたことが最高の癒しでしたゆめみる宝石

このワックス、ソレイユで売ってて愛用しているのだが、ものすごく優れていると思う。自分がもうおじいさんだけに男性ものなんだけれど、なかなか売ってないのが悔しい。べたつかず、グレープフルーツのいい匂いがして、しっかりとまとまる。洗うとちゃんとすぐ落ちる。

 

さて、それでも読んでくださる、くださったみなさま。これからものぞいてみてくださいね。もうすっかり冬です。人生に1度しかない今年の冬を、町のあちこちにある椿を、ピラカンサを、千両を、ゆっくり愛でながらなるべく心温かく過ごしましょうクローバー