6月28日びっくり

 

飴屋法水さんたちの「スワン666」。
観ながら、セットだけではなくあの超怖い異様な広さの会場をどうやって作ったのかものすごく疑問だった。壁のタイルとか、段になった浴槽のようなものとか、美術の人たちが作るのは絶対無理だと思えた。そうしたらなんと元サウナだったそうだ。場所ありきで完成するというすばらしい考え方。

始まる前に編集者の加藤木さんと「北千住のことはよくわからないので、ふたりの家の中間地点、根津あたりでごはん食べようか?」などと話していた。
加藤木さん「根津なら坂を登って、ゆっくり歩いてのんびり帰ろうかなあ」

わし「ちょっ、やめなよ。あの坂、東大農学部のわきだからものすごく暗いじゃない、地元の人も通らないよ、夜」

加藤木さん「けっこう通ってるんですよね、実は。乗り換えがめんどうくさくて」

わし「やめときなよ〜、昼ならいいけど、夜はあまりにも怖いよ、昔よく痴漢も出たよ」

…そうしたら、この会話通りの内容だった。
私たちはなんの前知識もなく観たかったので、全く知らなかったのに。

性犯罪で殺されたたくさんの女性たち、子どもたち。でもそういうことをする人たちは決して考えを改めたりはしない。改めたりしないその人たちの念を飴屋さんのバットがたたきつぶす。それによって目に見えない悲しい霊たちが鎮められていく。
飴屋さんはいつも予想を超えたものを見せてくれる稀有な人だ。

終わったら心の中の何かが清められていた。とても不思議な感じだった。そして加藤木さんは歩いて帰るのをやめましたとさ…。

 

シャンパン

 

結局千駄木で降りて姉を呼び出し、もと病院だった場所にある思い出深いバーで飲む。ワインやビールの温度管理が完璧、氷もしっかりと作っている。すばらしいお店だった。下のターヴォラから出前を取ってピザやパスタをつまむ。このターヴォラという店も私が小さいころからあった。なんだかとても懐かしかった。
みんなで文庫の打ち合わせをして、加藤木さんにごちそうになり、しっかりと家の近くまでタクシーで送っていった。ほっ!

 

カクテル

 

もうひとつ「この世に偶然はないのではないか?」というできごとがあった。

昔セドナの近くのゴーストタウンを取材したとき、メールのやりとりをさせてもらったアメリカ在住の日本人の女性がいる。とても強く明るい人で、ゴーストタウンの取材という暗い気持ちを吹き飛ばしてくれた。
しばらく音信不通で彼女のブログだけ読んでいたのだが、最近ふとしたことで彼女からメールが来た。私が夢に出てきたというのだ。そして彼女とやりとりをしているあいだに、いくつか私の死んだ女友だちについて新しい意見そして心休まる意見を聞かせてもらえたので、また親しくなった。
そうしてやりとりをしている中で日々彼女のブログを読んでいたら、音大時代のとある変わった同級生の話が出てきた。彼女はその同級生の名前を思い出せなくて、最後に「そうだ、〇〇くんだ!今頃ピアニストになっていたりしてね」みたいなことを書いていた。
私はなんだかモヤモヤした。
最近人が死にすぎだとは思うが、私には去年に死んだ男友だち(前述の友だちとは違う人)がいて、彼の書いていたものをご家族の許可を得てnoteにアップしていたのだが、そこに出てくるピアニストのモデルになったらしき人も同じ「〇〇くん」なのだ。
しかもそのモデルになった人が「〇〇くん」という名前であることを、私はその死んだ井上くんからは聞いていなくて、井上くんの友だちから最近初めて聞いたばかりだった。

今は共通の知人とアメリカのその知人の双方に確認中だが、もしこれが同一人物だとしたら、すごいことだと思う。
つまり、私の死んだ友だちが最後に小説に書いた人物が、たまたま私がアメリカでセドナについて検索して彼女のブログを発見、その場で連絡してセドナ周辺のお話を聞かせてもらった人物の音大時代の同級生だったということなのだ。
それらの人たちは一切知り合いではないし、同じ業界の界隈にいるわけでもない。たまたま全員とやりとりしていた私がちょっとした時差でその人の名字を知ることがなかったら、永久にだれもがつながることはなかったはず。

あまりのことに気持ち悪いから違う人でありますようにと祈るような気持ちと、そんなに変わったピアニストの〇〇くんというのがしょっちゅういるだろうか?という気持ちの両方を抱きながら、待ってみている。