人工的安楽死は選択肢の中にあるべきだと思っています。
それを実行するかしないかは別問題です。たとえ絶対使わない!と思っていても選択肢の中に残しておくべきだと思っています。
生活の質が極限まで低下し復活する道を断たれた時に使えるように・・・かな?でも、そんな単純なものでもない気がします。
その判断は、ご飯が食べれないとか歩けないとか・・・ではないと思っています。なぜなら、生命体としての機能を失いつつも、命の終末に丁寧に確実に歩みを進めているのなら、急いで早める必要がないと思うからです。動けなくても、食べれなくても、痛みがあっても、当事者がそこに存在する意味を見出している間は生きているべきだし、その意思をサポートしたいと思うのです。
生きていることが楽しいと感じられなくなったと判断した時。存在する事に意味を見出せなくなったと判断した時、人工的安楽死を選ぶのではないでしょうか? その判断が極力正確にできるように、犬との意思疎通は常日頃から磨いておきたい。
キャシーにはもう回復の余地がないと獣医師が判断した時、安楽死のお話も出ました。安楽死を勧められた訳ではありません。選択肢の一つとして心にしまって置けるようにお話下さいました。
人工的安楽死は、当事者よりも関係者の方にとてつもない負担がかかるのだと思いのです。(関係者が負担から逃れるために選ぶ場合もありますが、私の場合はそっちではありません)
選んでも選ばなくても後悔するというか・・・後口の悪いものだと思う。
命を選ぶなんてね、誰もしたくないですよね。神様に任せておきたい。
その為にも終末期は慎重に丁寧に過ごしたい。
うまくすれば人の手による安楽死を選ばなくても済むから。
神様がくれる本当に安楽な最期を迎える事が出来るかもしれないから。
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