こんばんは。

日曜日に永代供養になりました!

姉にラインするとお願いしますとの返事なので

叔母と行ってきます!姉からの返事にホッとした。


永代供養。母方の仏壇。父方の仏壇と並べて実家に置いていた。

これまでの祖父母とのエピソードを忘れないように綴っておこう。

私が小学生の間に同居していた、父方の祖父母、叔母、父が亡くなった。


そこで、母の両親を呼び寄せ、近所で生活を
してもらいながら母と祖父母は、私達子どももそうだし、老後の祖父母のこともあるのでお互いにとっていいと思って
いた。

が、長年慣れ親しんだ土地を離れた祖母は
鬱になってしまった。祖父はどこでも楽しめるタイプなので、痴呆症の前兆にあった祖母は
環境の変わった生活に楽しさを見出せなかった。


私は、高校生で部活の合宿から帰ると
祖母が、手作りのおはぎを用意してくれていたり
皮から手作りの餃子は絶品で、いまも娘と
手作りを大切にしたいとおもうのは祖母と
母から祖母の料理上手を聞いてたから。


祖母が自宅でお世話をできなくなるほど
痴呆症がひどくなったとき、母は仕事も
抱え大変だった。それなのに私は
母の愚痴を聞くことがつらくて逃げてた。


母が施設に自分の母を預けるのに
どれだけ胸を痛めたのかは、母の性格を
知れば想像できる。


祖母が亡くなってから10年は祖父は元気で

父親のようだった。


大正生まれで、満州に渡った際のこと
姉と喧嘩したときの仲裁
とにかく、朗らかな祖父は私の娘達も好きだった。


そんな祖父の住まいに、私の結婚を機に
母との同居。

私達夫婦はお金はないし、旦那の借金が
恐ろしいものだったので
祖父にあまえて、祖父の家に住まわせてもらった。

祖父は、私の実家に住んでもらい
その当時、引越しの作業を私一人でしたが

いま思えば
早く旦那の借金を返したい。
それしかなく祖父の気持ちを大切にしてなかったと深く反省した。


結局、私の幸せは自分だけで掴んだものではなく
親、祖父母のおかげで成り立っているのだ。

 母の兄妹も戦時中病気でなくなり

満州から引き揚げてくるときも祖母は
女性とわからないように丸坊主にしていた。

あなた方が命をまもってくれたから

今の私がいるのだ


永代供養を前に


感謝を込めます。


ありがとうございました。

この気持ちを忘れずに


子どもたちに、祖父母にしてもらったことを
話して受け継いでいきます!!!