生きづらさを抱えた半生...

3年前、子育ても仕事も夫婦関係も
絶望的な状態となり八方塞がりに...


そこから流れが変わり、

離婚寸前だった夫婦関係は改善され、
the昭和の頑固だった旦那が
まるで人が変わったように優しくなり
どん底から奇跡的なV字回復✨✨

真の幸せな女のあり方、成り方を追求し、
その過程をブログに綴っています。

 

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「嫌われる勇気」

第三夜のお話し。




今回のテーマは...
"他者の課題を切り捨てる"



対人関係の基本

「課題の分離」について、

分かりやすく、様々な角度から伝えています!




また、

人生の課題で一番難しいとされる

恋愛、家族、親子関係の課題

「愛のタスク」

についても切り込んでいます!

情報量もかなり多いです。


それでは本編へ...





アドラー心理学では、
他者から承認を求めること

(承認欲求)を否定します!




どうして人は、
他者からの承認を求めるのか?
これは"賞罰教育"の影響にあるのです、




適切な行動をとったら、
ほめてもらえる⭕️


不適切な行動をとったら、
罰せられる❌



そうして生まれるのは...


「ほめてくれる人がいなければ、
適切な行動をしない」口笛


「罰する人がいなければ、
不適切な行動もとる」ニヤリ



という誤ったライフスタイル(世界観)です。



私たちは他者の期待を満たすために
生きているのではありません。
他者もまた、あなたの期待を満たすために
生きているのではないのです。




他者からの承認を求め、
他者からの評価ばかり気にしていると、
最終的には、
他者の人生を生きることになるのですガーン




カウンセリングを受けに来る人に、
わがままな人はほとんどいません。
むしろ、他者の期待、親や先生の期待に
応えようとして苦しんでいるのです悲しい




そこで、アドラー心理学における
「課題の分離」という
考えかたを知る必要があります!




あらゆる対人関係のトラブルは、
他者の課題に土足で踏み込むこと足
自分の課題に土足で踏み込まれることで
引き起こされるのです足



「これは誰の課題なのか?」



という視点から、
自分の課題と他者の課題とを
分離していく必要があるのです。
誰の課題かを見分ける方法は
いたってシンプルです。↓↓



「その選択によって

もたらされる結末を、
最終的に引き受けるのは誰か」



を考えるのです。



子どもが「勉強しない」
という選択をしたとき、
その決断でもたらされる結末は、、



例えば、
授業についていけなくなる、
希望の学校に入れなくなるなどを
最終的に引き受けるのは親ではなく、
間違いなく子どもです。




勉強とは子どもの課題なのです。




親が「あなたのためを思って」
という言葉をよく使います。



親たちは明らかに自分の目的、、
世間体や見栄かもしれないし、
支配欲かもしれない。
それらを満たすために動いているのです。




つまり、「あなた」ではなく
「私のため」であり、
それを察知するからこそ、
子どもは反発するのですプンプン




課題の分離は

放任主義を推奨するものではなく、
子どもが何をしているかを
分かったうえで見守ることなのですピンクハート





勉強については、
それが本人の課題であることを伝え、
いつでも助けてあげられることを
伝えておくのです。




けれども、子どもの課題に
土足で踏み込むことはしない。
頼まれもしないのに、
あれこれ口出ししてはいけません。




そしてこれは、

親子に限ったことではありません。




アドラー心理学のカウンセリングでは、
相談者が変わるか、変わらないかは、
カウンセラーの課題ではないと考えます。



カウンセリングを受けて、
相談者がどんな決心をするのかは、
その人の課題であり、
カウンセラーはそこに介入できないのです。



「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」


ということわざがあるように...



それはつまり、
自分を変えることができるのは、
自分しかいないということなのです




引きこもっている子どもに対しても

それは同じで、
原則として本人が解決するべき課題で、
親が介入することではないのです。




過度に注目することはせず、
ただ、困ったときには、
いつでも助けられる用意がある
というメッセージを送っておくのですハート






親の変化を察知した子どもは、
これが自分の課題として
考えざるを得なくなり、



助けを求めてくるかもしれないし、
独力でなんとかしようとするかもしれない。



他者はあなたの期待を満たすために
生きているのではないし、
それが、たとえ我が子であっても、
親の期待を満たすために
生きているのではないのです。




距離の近い家族だからこそ、
意識的に課題を分離していく

必要性があるのです。





「信じる」ということもまた、
課題の分離なのです。




相手のことを信じること。
これはあなたの課題、
あなたの期待や信頼に対して
相手がどう動くかは、相手の課題なのです。




たとえ相手が自分の希望通りに
動いてくれなかったとしてもなお、
信じることができるか。
愛することができるか。




「愛のタスク」には、
そこまでの問いかけが含まれているのです。





他者の課題に介入すること、
他者の課題を抱え込んでしまうことは、
自らの人生までも

重く苦しいものにしてしまいます魂



もしも、
人生に悩み苦しんでいるとしたら...


その悩みは対人関係なのだから...




まずは、

「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知ること。

他者の課題は切り捨てること。


それが人生を、

よりシンプルなものにするための

第一歩となるのです...





しかし青年は、

他者の視線が気になっている、

他者からの評価を気にしている、

なぜ、他者の視線が気になるのか?




アドラー心理学の答えは簡単だ。




あなたはまだ、課題の分離ができていない。

本来は他者の課題であるはずのことまで

「自分の課題」だと思い込んでいるからです。




鏡をずっと見て

自分の容姿を気にする青年に

「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」

というお婆さんの言葉は、

まさに課題の分離の核心を突いています。




あなたの顔を見た他者がどう思うのか。

これは他者の課題であって、

あなたにどうこうできるものではないのです。




これを違った角度から、

会社の対人関係で考えてみます。



話がまったく通じない、
事あるごとに怒鳴りつけてくる上司がいて、
どんなに頑張っても、認めてくれず、
話さえまともに聞いてくれない。
その上司があなたを嫌っている。
明らかに理不尽な理由によって嫌っている。



だとすれば...

こちらからすり寄る必要などないのです。



それに対して青年は、

「しかし、相手は自分の上司ですよ。直属の上司から疎まれていては、仕事になりません」



哲人は、

「それもまた"人生の嘘"なのだ」と返します。



上手くいかない仕事への口実として、
上司の存在を持ち出しているのです。
「あの上司がいるから、仕事ができない」
と考えるのは、完全な原因論の考えです。




目的論では、
「仕事をしたくないから、嫌な上司をつくり出す」


「できない自分を認めたくないから、嫌な上司をつくり出す」


という発想になるのです。





どんな理不尽な怒りをぶつけてこようと、
その理不尽な感情は、
上司自身が始末するべき課題なのだから、
すり寄る必要もないし、
自分を曲げてまで頭を下げる必要もないのです。




だとするならば、
私たちがすることは...



自らの人生に嘘をつくことなく、
自らの課題に立ち向かうこと!




他者の課題には介入せず、
自分の課題には
誰ひとりとして介入させないこと!




これは具体的で、
対人関係の悩みを一変させる
可能性を秘めた、
画期的な視点になるのです!!



第三夜、後半へ続く...