生きづらさを抱えた半生...

3年前、子育ても仕事も夫婦関係も
絶望的な状態となり八方塞がりに...


そこから流れが変わり、

離婚寸前だった夫婦関係は改善され、
the昭和の頑固だった旦那が
まるで人が変わったように優しくなり
どん底から奇跡的なV字回復✨✨

真の幸せな女のあり方、成り方を追求し、
その過程をブログに綴っています。

 

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 "ホリエモン"も大絶賛

世界的ベストセラー本!!


「嫌われる勇気」の第二夜

"すべての悩みは対人関係"

さらに議論は白熱する後半戦!




第一夜はこちら▼


第二夜の前半はこちら▼




他人が自分に対し、
必要以上に挑発し、
こちらが本気で怒るまで
やめないとすらなら、、
その目的は「闘うこと」だ!!



闘って勝つことによって、
自分の力を証明したいから、、





うっかり、

その挑発に乗ってしまって、

その言い争いを制したとして、、



相手が敗北を認めて
引き下がったとしても、
"権力争い"はそこで終わらない。



なぜなら、
争いに敗れた相手は
次の段階に突入するからだ、、




それは...

  「復讐」






例えば、
親から虐げられた子どもが
非行に走る
不登校になる
引きこもる
リストカット

などの自傷行為に走るのは、



原因論では、
「親がそんな育て方をしたから、
こんな風になってしまった」となるが、



目的論でいうと、その行為は
「親への復讐」という
目的のためにやっているのだガーン



リストカットはまさに、
それをすることで
親がどんな気持ちになるかを考えると、
その背後にある目的が見えてくる。



このように対人関係において、
"復讐"の段階にまでなってしまうと、
当事者同士での解決は難しくなる笑い泣き



そうならないためにも、
"権力争い"を挑まれても、
絶対に乗ってはならない。



だからといって
人に攻撃されたら「我慢する」という
発想になってしまうと、
それはまだ、
権力争いに囚われている証拠なのだ。



それを察知したなら、
いち早く争いから降りること。
相手のリアクションに対して
リアクションをしない、
挑発に乗らないことだ。





怒りとは...
一つのコミュニケーションツール
ではあるが、
怒りを使わずとも
人は意志の疎通はできる。



だから、
怒りという

道具に頼る必要はない。



"われわれには

言葉がある"



言葉によって
コミュニケーションを
とることができるのだから、
言葉の力、倫理の言葉を信じる。




怒りっぽい人は
気が短いのではなく、
怒り以外の
コミュニケーションツールが
あることを

知らないだけなのだ。




その結果、
「ついカッとなって」など、
怒りを頼りに
コミュニケーションしてしまうのだ。




"権力争いについて"


いくら自分が
「正しい」と思えた場合であっても、
それを理由に、

相手を非難しないようにする。



ここが多くの人が陥る
対人関係の罠だからだ...




人は対人関係の中で
「私は正しいのだ」
と確信した瞬間、

"権力争い"に足を踏み入れている。



「私は正しい」
と言う確信が、他人に対し、
「この人は間違っている」
という思い込みにつながり、



最終的に
「だから私は

勝たなければならない!」
と勝ち負けを争ってしまう。
これは完全なる権力争いでしょう...



あなたが「正しい」

と思うのなら、
他の人が何を言おうと、
どんな意見を言おうと、
そこで完結する話なのです。



ところが、多くの人は、
"権力争い"に突入し、
他者を屈服させようとする



誤りを認めること、
謝罪の言葉を述べること、
権力争いから降りること、



これらはいずれも
「負け」ではありません。





"人生の課題(タスク)とは..."



アドラー心理学では、
人間の行動面と
心理面のあり方について
はっきりとした目標を掲げています。



行動面の目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること


行動面を支える心理面の目標
①私には能力がある、という意識
②人々は私の仲間である、という意識



これらの目標は、
アドラーのいう「人生のタスク」
と向き合うことで、
達成できるというわけです。



ひとりの個人が、社会的な存在として
生きていこうとするとき、
直面せざるをえない対人関係、
それが人生の課題(タスク)です。


それは、
・仕事のタスク
・交友のタスク
・愛のタスク



その中でも、愛のタスクが
最も難しいでしょう。




愛のタスクには
2つの段階に分かれます。
一つは恋愛関係、
もう一つは家族との関係
特に親子関係になります。



友人関係なら許せたことが、
恋愛に発展した途端に
許せなくなることがあるプンプン


 
異性の友達と遊んでいたり
他の異性と電話をしているだけで
嫉妬したりするムキー


それだけ距離も近く、
関係も深くなるからだ。



しかし、
アドラー心理学では、
束縛する事は認めません。



相手が幸せそうにしていたら、
その姿を素直に
祝福することができる、
それがなのです。



互いを束縛し合う関係は、
やがて、破綻してしまう...
ハートブレイク



束縛とは
相手を支配しようとする
心の表れであり、
"不信感"に基づく考えでもある。



自分に不信感を抱いている相手と
同じ空間にいて、
自然な状態でいることなどできないショボーン



仲良く暮らしたいのであれば、
互いを対等の人格として
扱わなければならない。



そして、
夫婦関係や恋愛関係には
「別れる」と言う選択肢があるが、
親子関係では原則としてそれができない。



恋愛が"赤い糸"で結ばれる
関係だとするならば、
親子は"鎖"で繋がれた関係。



親子の難しさはそこにある。



それが、
どれほど困難に思える
関係であっても、
向き合うことを回避し、
先延ばしにしてはいけない。



まずは向き合うこと。
一番いけないのは
「このまま」の状態で
立ち止まることです。




"目的論でいう嫌いな人とは..."


例えば、
「Aさんのことを嫌いになる」
と言う目的が先にあって、
その目的にかなった欠点を
後から見つけ出している。



夫婦の関係でも、
あるときを境にして、
相手のやること、成すこと、
全てに腹が立つようになることがあるムキー



食事の仕方が嫌だとか、
部屋にいるときのだらしない姿に
嫌悪感を抱くとか、



つい数ヶ月前までは
何とも思っていなかったにもかかわらず、



これは、その人がどこかの段階で
「この関係を終わらせたい」
と決心して、
関係を終わらせるための材料を
探し回っているからそう感じるのです。



相手は何も変わってません。
自分の「目的」が
変わっただけです。




相手の欠点や短所などは
いくらでも見つけ出すことができるから、



たとえ相手が
聖人君子のような人で

あったとしても、
嫌うべき理由などを

簡単に発見できるのです。



だからこそ、
世界はいつでも
危険なところになり得るし、
あらゆる他者を
「敵」とみなすことが可能なのです。




今の自分が置かれている状況、
その責任を誰かに転嫁する。
他者のせいにしたり、
環境のせいにしたりすることで、
人生の課題から逃げている。



先ほどの
赤面症の女の人も同じです。
自分に嘘をつき、
また周囲の人々にも嘘をついている。




アドラー心理学とは、
「所有の心理学」ではなく
「使用の心理学」です。



それは、、
「何が与えられているかではなく、
与えられたものをどう使うか」



アドラー心理学とは
「勇気の心理学」であり、
同時に「使用の心理学」なのです。



私たちは目的論の立場に立って
自らの人生を、
自らのライフスタイルを
自分の手で選ぶのです。
我々にはその力があります!



そこで、
青年が哲人に疑問を投げかけた。



「先生のお話は正しいかもしれません。
私に足りないのは、
きっと勇気なのでしょう。
しかし、私は人と関わるのが怖い。
対人関係で傷つきたくない...悲しい



結局のところ、これらは、
精神論ではないですか!
勇気を出せ、元気を出せと
おっしゃっているに過ぎない。

しかし、こちらは元気が出ないから
困っているのです!!




その問いに哲人は、、
「要するに、あなたは具体策を
提示してほしいわけですね?」



「分りました。
今日は遅くなりましたので、
続きは次回に話しましょう。
おそらく次回は"自由"について
論じ合うことになるでしょう...」



第3夜に続く…