「羊泥棒の」話 ~法家と儒家の論争~
短い話だけど中々面白かったのでここにアウトプットして覚えておこうって魂胆。
先に簡単に説明すると、ある事件で儒家と法家(韓非子)の論争が巻き起こったんだけど、それおかしくね?って思った話。
話をする前に中国では儒学の「親を大切にしろ」「年長者を敬え」てっいう教えがあることを説明しておく。この教えを実践してるのが儒家。
(日本にも6世紀くらいに入ってきて今でもその中のいくらかの教えが浸透してる。)
それを踏まえつつ、論争のきっかけになった「羊泥棒の話」をする。
その話は昔中国である正直者な男がいた。
ある日、近くに羊泥棒が出たぞという話を聞いて「それは許せない、絶対捕まえてやる!」とその男は隠れて羊を見張った。
すると、泥棒がやってきて「今だ!」と見事、羊泥棒の犯人を捕らえることに成功。
しかし、よく見るとその泥棒は自分の父親だったのだ。
儒学では「親を大切にしろ」という教えがあり、男は父親を連れていくか迷ったが、正直者であったため男は父親をお上に差し出した。
これで一件落着かと思いきや、なんと男は逆に捕まってしまうことになった。
当時の国の主な考え方は儒学だったので父親を大切にするという教えに沿って、国はこの場合の正しい行いは「父親は逃がすこと」だと主張し、父親を差し出した正直者の男は「親不孝者」といわれ、逆に罪を追うことになった。
これに対して「おいおい、おかしいだろ!こんなことしてたら秩序がめちゃくちゃになるわ!」って反論したのが法家の韓非子だった。
そして儒家と法家の論争が起きたのだ。
ちゃんちゃん。
といった話になっておりまする。
この話に僕が思ったことは、儒教ってちょっとやりすぎなとこあるよなってこと。
儒教の始祖孔子さんが「親が死んだら3年に喪に服せ」と言ったらしく、それはやりすぎっすよ!って弟子に物申されたというエピソードがあるのを知っていたので。
個人的に儒教は年功序列とか理不尽な上下関係に利用されることもあってあんまり好きじゃない。親や年長者を敬うってのはわかるんだけど、それをいいことにつけあがる人がいるから。秩序を守るために上の人が下の人をまとめるっていうのは確かにあるんだけど、この教えだと下にとって得がないのよね。
だったらもう敬う対象を限定するんじゃくて人全体でいいんじゃないかと。
上の人も下の人を敬えばいい。
この「羊泥棒」の話からそう思った次第であります。