私たちはこの七十年前の戦争を本当に反省してきたのでしょうか?政治家は侵略戦争だったとは認めず、新たに隣国の脅威を煽って「戦争法案」を通そうと目論んでいる。憲法九条をも葬り去ろうとしている。
そんな状況を私はただ眺めているだけです。せめて本でも読んで騙されることのないようにしたいと思う。
さて、井上ひさしさんの「井上ひさし全芝居」より年少者向けに一冊の本にされた「少年口伝隊」を紹介します。
ヒロシマの原爆投下とその直後に広島の町を襲った枕崎台風の中、少年たちが中国新聞社の「口伝隊」として生きる様子が描かれています。
「口伝(くでん)」とはなんでしょう。原爆投下で被災した中国新聞社は多くの労働者と輪転機などの資材を失いました。新聞社が新聞を発行しないわけにはいきません。軍や行政からの要請もあり、避難所など人が集まる場所で、書かれた原稿を大声で読み上げる、そんな仕事があったそうです。
三人の少年は国民学校の六年生だったが、たまたま、8月6日疎開先からた帰っていたために被爆してしまうのです。親兄弟の行方も知れず、野宿生活を始めるのでした。
口伝をしていた知り合いの女性と出会い、口伝の仕事と三度の食事を世話されます。
彼らが口伝する情報は、銀行預金の支払い手続きや、配給のこと、尋ね人、お上からの"耐えてしのべ"的通達などでした。
しかし、八月十五日を境に大人たちの言動が変わっていくのでした。
「一億みな戦士」と言っていたのが、進駐軍のために性的慰安施設を作るのだと言い出す始末。
矛盾を感じながら、三人の少年らは原爆の影響で次々と死んでゆくのでした。
文理科大学の哲学の先生だった「じいたん」の家で台風の夜を死に瀕した友だちを抱いて、<以下引用>
「もうええが、もうたくさんじゃが」
「・・・じいたん、わしらはなんでこげえおっとろしい目にあわにゃいけんのかいのう。じいたん、いったいなんでですか。わしもうあたまが痛うてやれんです」
少年たちを抱いて哲学者は、
「狂ってはいけん」
「いのちのあるあいだは、正気でいないけん。おまえたちにゃーことあるごとに狂った号令を出すやつらと正面から向き合ういう務めがまだのこつとるんじゃけえ」
「そ、じゃが、じいたん、わし、あたまががんがんしょるんです。あたまん中がささらもちゃくちゃになっちょってです」
「狂ってはいけめん! こりャーじいたんの命令じゃ」
「・・・命令?」
「おうよ。わしらの体に潜り込んどる原爆病はの、外見はなんともなげに見せかけといて、やれやれ助かったと安心したころを見計らって、いきなりだましがけにおそうてくる代物じゃ。海も山も川もそうよ。いきなりだましがけにあばれてきよるけえ、いつも正気で向かいあっとらないけん」
「じゃけんど、正夫にゃもうそれがでけんこつなってもうた」
「じゃけえ、おまいが正夫になるんじゃ」
「わし・・・正夫にはようなれんです」
「正夫のしたかったことをやりんさい。広島の子どものなりたかったものになりんさい。こいから先は、のうなった子どものかわりに生きるんじゃ。いまとなりゃーそれしか方途がなあが。・・・そんじゃけえ、狂ってはいけん。おまいにゃーやらにゃいけんこつがげえに山ほどあるよってな」<引用終わり>
今年は新たな気持ちでヒロシマの地を踏みたいと思います。