「早く降嫁して民間人になりたい」…気持ちはわかる | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

今朝、スマホでニュースサイトを見ていたら、

眞子さま「早く降嫁して民間人になりたい」とのお気持ち

というタイトルの記事が目に入ったので、皇室関係も含めて芸能人系のゴシップネタはほとんど知らない私であるが、「やっぱりそうなんだ」という気持ちになって、おもわず読んでみた。

 

眞子さま「早く降嫁して民間人になりたい」とのお気持ち

Newsポストセブン2018.03.02

https://www.news-postseven.com/archives/20180302_656119.html

 

この記事には、宮内庁関係者経由の情報として

「眞子さまは、国際基督教大学(ICU)在学中にイギリスのエディンバラ大学へ、ICU卒業後には同じくイギリスのレスター大学大学院にそれぞれ1年弱留学されました。どうやらご家族、ひいては紀子さまと離れて生活されたその期間は、眞子さまの目にかなり新鮮に映ったようです。ご自身の好きなときに好きなように外出でき、護衛もつかない。外国と日本では勝手が違うかもしれませんが、結婚して皇籍を離脱すれば、その生活が手に入れられると眞子さまがお考えになっても不思議ではありません。

眞子さまが小室さんとの結婚を貫こうとする背景には、もちろん小室さんへの愛情がありますが、“早く降嫁して、民間人として暮らしたい”というお気持ちがあるようなんです」

とある。

 

「民間人として暮らしたい」と表現されているが、もっと強く「人間として」くらいの気持ちが本人にあってもぜんぜんおかしくないと思う。

 

 

上から目線過ぎて、戦前なら不敬罪とされたところかもしれないけれども、一人の20歳代の“人間”として自らの人生の選択をさせてもらえない彼女は、本当にかわいそうだと思う。「降嫁」の選択肢があるので、天皇及びその予備軍におられる人たちよりはかわいそうさのレベルはグッと下がるのかもしれないけれど、それでも一人の人間としてこの眞子さまをみたとき、かわいそうであることは間違いない。

 

眞子さまにも小室圭さんにも会ったことはないし、実際には、ご両人がどんな人なのかを私は全く知らない。知らないのではあるが、小室さんがどんな人であれ、本人の眞子さまに小室さんへの愛情があるのだったら結婚の選択をさせてあげてよいのではないだろうか。

 

その選択が正しい選択かどうかは、本人も含めて誰にもわからない。実際、いろいろなところに書かれているように、たいへんな将来が待っているのかもしれない。しかし、私が彼女の親なら、それで良いと思う。人生、悲喜こもごも。嬉しいことも悲しいことも、自らの身に降りかかってきたことを受け止め、自らの選択の結果として対処していくのが人間として人間らしく生きるということなのではないのか。それを娘にやらせてやりたい。

 

たしかに、眞子さまは、国民の税金を使って成長し、国民の税金を使って今も生活し、結婚の際にも国民の税金が使われる状況にある。だから、自由が制限されても仕方ない立場なのだ、と考えることもできる。

 

しかし、それは本人の望んだことではなく、他人が勝手に決めた法律が単にそう決めていて、その範疇に入る家族の一員として偶然に生まれてしまったからに他ならない。日本では日本の法律が人間の活動を制限するのは当然であるし、私がそれに反対したところで何も変わりはしないのではあるが、こんな環境を、1億人以上が住む日本国の中のホンの一部の皆さんに対してではあるが与えている状況は、人間の営みとして正しい社会状況であるようには思えない。

 

皇族の皆さんが背負う義務に比べたら、私のものなんかは一粒の塵芥程度のものであろうが、京都で何世代か続いてきた元地主の長男として生まれて、家業を継ぎ、それにふさわしい女性とお見合い結婚をし、実家で家族生活を営んで、今まで続いてきた“家”を継続させていく期待を振り切るのには大いなるエネルギーを要した。ワシントンDCまでやってきて、ようやく落ち着いた気がした。

 

皇族に生まれたことで自動的に背負わされる義務は、一平民の私なんかの想像を絶する重さがあるであろうことは容易に推察できる。しかし、それとて無限大の重さを持つものではあるまい。

 

ラインホルド・ニーバーという人の言葉として知られる以下の言葉(翻訳:大木英夫)をここで眞子さまに送らせていただきたい。

神よ、

変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

 

ある人生の課題が「変えることのできるもの」なのか「変えることのできないもの」なのかは、同一の課題であっても人それぞれによって違ってくる。今回の結婚の話をどちらの範疇に入れるのかは、本来、眞子さまが決めることだ。識別の知恵を彼女も与えられているはずだ。周囲の反対意見に納得して結婚しないのも、周囲の反対意見に与せず結婚してしまうのも、眞子さまが決めることだ。そして、周囲はその決定を尊重するべきだ。それが人間としての正しい営みであると思う。

 

がんばれ、眞子さま!!