知財立国は成ったかなぁ?...大いに疑問 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

日本経済新聞の記事に「知財立国は成ったか」というのがあって、日本国の知財立国としての現状は60点のできだというようなことが書かれていた。しかし、私にはその点数は甘すぎるように思え、大いに違和感を感じた。すでに、上中下の全3部が出揃ってからしばらく経っているが、ここに思うところを書いておきたい。

 

知財立国は成ったか() 2018/1/15

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO25609900S8A110C1TCJ000/

 

知財立国は成ったか() 2018/1/22

https://www.nikkei.com/paper/article/?n_cid=kobetsu&ng=DGKKZO25898300Z10C18A1TCJ000

 

知財立国は成ったか(下)2018/1/29

https://www.nikkei.com/paper/article/?n_cid=kobetsu&ng=DGKKZO26179860W8A120C1TCJ000

 

いずれも「有料会員限定」記事なので引用は最小限に留めるつもりだが…

 

2003年3月に知的財産基本法が施行され、政府に知的財産戦略本部が置かれてからまもなく15年。日本は特許や著作権などの保護・活用を通じ企業の競争力を回復させる「知財立国」を目指してきたが、現時点の評価は厳しい。何が誤算だったのか。国や企業の取り組みを振り返りながら、その成否を検証する。

…と当該記事は始まる。

 

まず指摘したいのは、上の引用部分に「国や企業の取り組み」とあるが、この2者をごっちゃにして論じるのは正しい分析手法ではないということ。「知財立国」を論じる際には、日本国における知財の処遇と、日本企業における知財の処遇とを切り分けて考える必要がある。「知財立国」は、字義通りには日本国が知財に拠って立つ状態のことであろうが、同時に、日本国に本社を置く日本企業が知財の活用を進めそれに拠って立つ状態も意味している。しかし、言うまでもなく、日本企業は日本国の所有物ではない。ある企業の本社が日本で登記されているからといって、その企業は日本国の一部にはならない。実際、全社員数に占める外国人の割合が日本人より圧倒的に多い“日本企業”もたくさんあるし、日本国内の従業員数より海外の方が圧倒的に多い“日本企業”もたくさんある。また、日本より日本以外の国での販売や利益が圧倒的に大きい“日本企業”もたくさんある。

 

 

ここで、日本国と日本企業のうち、日本国における「知財立国」をまず考える。

 

知財高裁が設立されるなど、過去15年間にはそれなりの成果は確かにあった。その一方で、その間、日本の特許出願件数は下がり続けている。立派な高速道路は作られたが、そこを利用する車が減り続けているような状況がそこにある。立派なコンサートホールが作られても、それがコンサートにしっかり使われないなら、いわゆる箱物として無用の長物になる。

 

ある国が発行する特許権の価値は、その国の市場価値で決まる。市場規模が大きければ、そこで確立される独占排他権としての特許権の価値は高くなる。日本市場は、現在、米国、中国に続く世界第3位の規模にある。EUを一つと考えれば日本は4位となる。いずれにせよ、世界有数の市場規模なのだ。にもかかわらず、「知財立国」と言えるにはほど遠い状況があり、日本企業でさえ日本での特許出願件数を減らし続けている。

 

知財の価値が低い理由は単純で、特許権や著作権といった知的財産権が侵害されても、裁判所が認める損害賠償額が低いからだ。司法独立の原則の下では、裁判所に「高い賠償額で判決を出しなさい」と命令することは誰にもできない。できるのは、立法により、裁判所が高い賠償額を決められる、あるいは決めるしかない法律をつくることだ。たとえば、米国には、不公正な侵害者に対しては、計算上出てくる損害額の3倍を賠償額と裁判所が決められる制度がある。

 

少々古い話になるが、このブログでも取り上げた松本人志氏と写真雑誌フラッシュとの裁判を思い出した。これも、広義の知財裁判と言っていよい。

https://ameblo.jp/yoshikunpat/entry-10755683164.html

 

なんと、賠償額が90万円!これでは「松本人志」という“知財”に付随する価値の値段が低すぎる。日本国が「知財立国」から程遠い状況にあることが誰にでも理解できる“良い実例”だと思う。。

 

グーグルで検索して、こんなYouTubeを見つけた。

「裁判勝ちましたよ」

 

松本人志ご本人も大変怒っておられる。雑誌に対して怒るとともに、裁判結果に対しても怒っておられる。大いなる落胆の気持ちを伴って怒っておられる。

 

金額も重要だが裁判のスピードと簡便性も重要だ。知財裁判は普通、人の命にかかわるようなことはないのだから、もっと簡易に「エイヤッ」と判決を出せるルートがあってもよいのではないだろうか?もし、そのようなハイスピードルートをもった知財裁判が可能になれば、米国で裁判するより日本でやった方がよい、というようなことになって、日本発の知財の有効活用が図られるようになる。

 

賠償額と簡便性の2つの観点から、日本の知財裁判が大きく改善されるなら、市場規模が世界第3位・4位あたりにある日本では間違いなく「知財立国」が成立するだろう。そして、日本の知財裁判が改善されれば、そこで活用される日本の特許権等の知財の価値が上がる。知財を活用する裁判などの領域だけでなく、特許出願活動等を含めた知財創出領域もそれに応じて活発化し、「知財立国」状態は発展していくことだろう。

 

 

次に、日本企業の観点から「知財立国」を考える。

 

上記記事に次のようにある。

>特許を取得するということは、独占使用権を得る半面、技術情報を公開することを意味する。日本の電機各社は特許の数にこだわり、本来は工場内で秘匿しておくべき製造ノウハウも、出願件数を稼ぐため特許にする傾向があった。韓台中メーカーは公開された特許情報を翻訳・分析し、こっそり自社に取り込んでいったのだという。

 

これは、特許制度を批判する際によく使われる論理で、全面的に間違っているとは言わないが、実感としては「知財立国」を妨げた理由の全体のホンの一部だったと思える。実際には、特許発行国の市場価値に連動する特許の価値を無視して、市場価値の高い国での特許取得活動に十分なリソースを割かなかった問題の方が圧倒的に大きかったように思う。要は、日本企業は、欧米に比べて市場価値の劣る日本での特許取得を最優先してしまったことが間違いだった。

 

これに関して、忘れられない経験がある。もう数年前のことになるが、弊所のクライアントである日本企業(大手家電メーカー)の知財部員が我が家に来られたときのことだ。我が家の冷蔵庫と洗濯機(&乾燥機)が韓国メーカーのものなので、それをみせてあげましょうということで彼を我が家に招待した。ちなみに、我が家は韓国製品のファンということではなく、日本の製品が米国の白物家電分野では入手できないから韓国製になっただけのことだ。

 

韓国のS社製冷蔵庫をみて、彼は「これを日本企業が作るのは不可能ですね!」と驚いたように言った。それを聞いた時は不思議に思った。技術力で日本企業は負けていないはずだから。理由は、日本の各社の冷蔵庫の「良いとこ取り」をしたような製品だから、ということだった。その韓国企業の冷蔵庫の、この部分は日本のT社の特許、この部分はH社の特許、この部分は我が社の特許、などと説明していただいた。日本で製造・販売可能な冷蔵庫では、一台がそれれらを一度に全部備えることはあり得ない、とのことだった。

 

上記記事の()に、

>基幹技術やノウハウは秘匿が望ましい。一方、製品に表れる技術やブランドは模倣されやすく、知的財産権を素早く国際的に獲得しなければならない。

と簡潔に、あるべき知財戦略が書かれている。全面的に賛成する。

 

このうち、前者については、本当にノウハウが流出するような記載はしないようにする意識は特許出願の実務家にはそれなりに備わっていて、そのまま模倣できてしまうようには普通は書かない(実際、特許出願に記載される実施例記載は大まかなものとなる)のが常識である。また、多くの技術は、製品が世に出てしまえば、それに伴って世に露出してしまうものだ。特許出願をしたら技術の模倣を招くなどと言って特許出願を控えても、製品が出てしまえば技術の秘匿にはならない。

 

秘匿活動の不十分さよりも圧倒的に問題だったのは、中途半端な特許出願活動だったと思う。すなわち、日本で特許出願するのであれば、米国など、市場重要性のより高い国への特許の展開は必須であるとする感覚が欠落していたと思う。その結果、日本企業の製品が韓国企業によって分析され、そっくり以上の(良いとこ取りの)製品が作られ、市場価値が日本より高い米国で、日本企業の持つ特許権(日本だけでしか通用しない日本の特許権)による制限を受けることなく正当に売られていったことになる。もちろん、その韓国企業の製品は日本では販売され得ない。日本では日本企業の特許権が障害になる。しかし、韓国企業にとっては、日本で売れなくても、世界最強の米国市場で売れれば十分なのである。この場合の日本企業がとるべき正しい方向は、日本での特許出願を削ってでも、米国でもっともっと特許出願をしておく方向だった。

 

 

以上、日本国における「知財立国」では、裁判の賠償金額の格段の増大と、裁判利用の簡便性の向上とが成功のための方策になると思われる。一方、日本企業における「知財立国」では、知的財産権を素早く国際的に獲得するのが成功のための方策となる。

 

いずれも、やる気になればそんなに難しいことではないと思う。私の業務は、後者(企業の「知財立国」)の方に圧倒的に偏っており、実際に「素早く国際的に獲得する」ためのツールとして機能する組織を作ってきているつもりだ。現クライアント企業には大なり小なり有効活用をしていただいていると思う。前者(日本国の「知財立国」)については、私は他人任せのようなところであるが、その道にはその道の専門家が居られるので、その方たちの頑張りに期待したい。