記者の目:リンゴ新品種 青森県の登録ミス
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090514k0000m070148000c.html
毎日新聞 2009年5月14日
どういうミスだったかというと、
> 手続きミスは昨年10月に発覚した。種苗法に基づき、品種登録すれば育成者の権利が30年間認められる。ところが、担当職員が昨年4月の納付期限までに登録料計1万2000円を納付せず、権利を失った。
特許事務所をやっている身としては、まさしく「身の毛がよだつ」感のあるミスだ。うちの事務所だって、いつなんどき似た期限徒過ミスをするかわからない。人間がやることだから、100%の正確性は要求する方が間違っている。
とはいっても、1万2000円というわずかなお金の支払いをミスって失った価値は計り知れないものがある。知財の性質を如実に物語るミスだったといえよう。
「リンゴ王国・青森県が二十数年かけて独自開発した二つの次世代リンゴの新品種」は残ったが、そこに宿っているはずの排他権(育成権)が消滅し、知財としての価値が消滅した。
ところで…
この記事の趣旨:
>この話題性と併せて、青森の新品種をPRして全国で栽培してもらい、次代の主力リンゴに育てる方が消費者、生産者のメリットになるといえないか。二十数年の苦労を生かすためにも、「囲い込み=ブランド化」の方程式から脱却し、状況に応じた柔軟な戦略に転換する時期がきていると思う
これには、唖然とした。
工業分野で、デファクト・スタンダード化を目指してあえて特許を無料開放する、という政策はよくある手だが、農産物でそれが有効手段になることは、少なくとも私には考えられない。
この結論は、ミスの重大さを見えなくするための詭弁に過ぎないのではないのか!
全国で栽培してもらうことが、どうしたら青森県の生産者のメリットにつながるのか?「『囲い込み=ブランド化』の方程式から脱却し、状況に応じた柔軟な戦略に転換」して、どうして青森県が二十数年かけて独自開発するのに要した費用を取り戻すのか?
私にはまったくわからない。
失敗した過去はもう修正できないので、前向きにやっていこう、という気持ちはわかる。しかし、あたかも「災い転じて福となす」的な解決法がそこにあるかのごとくに結論付けるのはおかしいと思う。
また、この記事では、海外での模倣をまったく考慮していない。
アイデアが勝手にコピーされる発明(無体物)とは違って、苗木という物が動くので、その意味では、まだコントロールしやすい状況であるとは言えるだろう。
が…たとえば「レッドパール」いちごが韓国でも人気品種であり大々的に栽培されている事実を忘れてはいけない。
レッドパールは、韓国で消費されている分には合法で、日本の開発者(日本の育成権者)は法的な手段に訴えることができない。レッドパールがまだ救われているのは、日本での育成権に基づいて日本への輸入を禁止できるからだ。
今回のりんごの新品種については、日本の育成権が無い状態なったのである。中国や韓国内で模倣されても文句を言えないどころか、日本への輸入も自由になったのである。
この記事では、まことしやかに
>栃木県は96年11月、「とちおとめ」を品種登録したが、囲い込みはせず、市場に開放して全国ブランドにすることに成功した。担当者は「他県より生産量が多いので、優位性を保てば県内栽培に限定しなくても十分メリットがある」と話す。優位性で条件が似ている栃木の例には、青森も学べる点があると思う。
と書かれている。
が、「とちおとめ」は種苗法でしっかりと保護されており、それに基づいて栃木県は「とちおとめ」栽培をコントロールしてきていることを書かないのはずるい。「とちおとめ」の成功には、種苗法による保護が必須である。だから、「とちおとめ」の種苗法による保護が2011年に切れた後は誰でも自由に「とちおとめ」を栽培できる時代に入るので、その後の新種の開発が栃木県の急務となっているのだ(http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0902/spe2_02_01.html)。
人間のやることにはミスは付きものである。したがって、リンゴの育成権の消滅を引き起こした今回のミスを、ことさらに非難するつもりは無い。
しかし、そのミスの重大さを詭弁で糊塗するような記事を書くのはやめていただきたい、とは思う。