高野山までの道のり | 宮 好子 _拡大する意識

宮 好子 _拡大する意識

夫婦や結婚と聞いて連想するイメージは…本当はみんな違うんです。でも皆んな自分の連想したイメージが“ふつう”だと思っている。
自分の中の“ふつう”を疑い、そしてもっと自由にもっと笑顔にもっと多様な夫婦や結婚スタイルを叶えていく生き方のお手伝いしています。

5月1日から高野山へ来ていました。

そもそもきっかけは3月に
あきこさんとサイキックちゃんとで、
吉野の金峯山寺へ
個人神社仏閣参拝をした事でした。




そこで、まとめのセッションを受けている時に
わたしの第6チャクラを開くには
玉置神社へ行くといいと言われたのです。


チャクラにはあまり詳しくないわたしですが
どうも第6チャクラとは
目と目の間あたり第3の目とも呼ばれるらしく
霊的なパワーにも関係するようです。


わたしは第2チャクラと第6チャクラが
どうも詰まっているとのことでした。



話は逸れますが…
第2チャクラとはおへその下の
丹田と呼ばれる位置で
感情表現と言われました。


あきこさんの解説では
お腹は『腹を据える』とか
『腹から声を出す』とも言うように
ここぞと言う時に力を入れる場所であり
更に“ 感情表現 ”に関係しているので…


とここまで聞いてわたしは妙に納得しました

つまりわたしは腹を据えて
感情表現できていないのです。



上部だけの言葉になっていたり
相手の言動につっこむのは得意なのに
褒め言葉はなかなか伝えられなかったり…
心の中で思ったことをきちんと言葉として伝えるのがとにかく下手くそなのです。


また嬉しいときも感情が上手く言葉に乗っかってこなくて、いつも口から出る言葉は嘘っぽいく抑揚のない声となってしまいます。



“ 感情表現 ”



それはもう自分でも嫌んなるくらい出来ず
いつも自己嫌悪に陥りながら課題としていた事でした。





“ 恥ずかしがらないで 
  もっとバカになりたい ”





子供の時から潜在的にずっと思っていたのに
未だできないこと。


なので指摘された時は
やっぱり…

きたかぁ…

と内心痛いとこ突かれたなぁ
と思ったのでした。



この第2チャクラはその日に
脳天神社でわたしについてくれた白龍さんが
詰まりを取る手助けをしてくれると言われたので、それ以来わたしはちょくちょく白龍さんに話しかけながら丹田辺をり摩るのがクセとなりました。





さてさて話を戻しまして
なぜ高野山へ行くことになったのかですが


第2チャクラを開く事は
第6チャクラにも影響すると言われたので

機会があれば是非玉置神社へ行こう!
とそれ以来密かに思っていたのです。


そんな矢先
ゴールデンウィークは10連休になり
姉に熊野へ行かないかと誘ったところ
すんなり車をだしてくれることになり

更に宿を探していたら
那智熊野周辺はすでに空きがなく
姉から唯一予約の取れたのが高野山の宿坊だったと連絡が来ました。



それまで全く高野山は頭になかったのですが
姉から高野山と聞いた瞬間に

やったぁ!

と思いました。



高野山は空海さん(弘法大師)が
密教の道場として開山した地です。



わたしは3月に訪れた吉野がとてもよくて
その時サイキックちゃんに
わたしも過去世で役行者さんがいた頃に
吉野から熊野方面まで修験していたんだよ
と言われてから更に
高野山や天河でも修験していたはずだから
いつか絶対に行きたいと思っていたのでした。


姉から高野山の宿坊が唯一空いていたのでとりあえず予約したよと、連絡を受けて
すぐにわたしは大好きな桜井識子さんの高野山について書かれた本を引っ張り出してきました。



識子さんオススメの宿坊がいくつか載っていたので、そこで予約をとり直せないかな…
と宿泊の予約サイトをいくつか検索したのですが 

ゴールデンウィーク高野山の宿坊は全室満室で、本当に姉が10分程前に予約したのが
最後の残り一室だった事が判明しました。


それもまた凄い有り難いタイミングだったのだなぁと、これまたいろんな縁と計いに感謝しました。





そんなこんなで…
5才の息子と姉と姉の息子(去年車の免許を取った大学生)の4人で高野山へ行ってきました。
(なかなか高野山の話にならずすみません)



記念すべき令和元年の初日(5/1)
長野から大きな渋滞もなく高野山へ着いたのが夕方4時頃でした。


本当は伊勢神宮へ寄って行きたかったのですが
高野山の宿坊へは遅くとも17時までには到着しないといけませんでしたし、
この記念すべきタイミングで伊勢神宮内も道路も大変な混雑になるとニュースでみたので、今回は一旦予定から外しました。


と、いうのは表向きでして…


実は裏には伊勢神宮へ行かなかった大きな理由があります。
それは妹から『行かないで』とお願いされたからです。

……
………。



話すと長くなるのですが…
数年前から妹が信頼している占い師さんがどうやらアンチ古事記派で更にはアンチアマテラスガーン

なものですから、アマテラスのいる伊勢神宮へお参りへ行くと、先日老衰で入院した祖母の容体が悪化すると妹へ言ってきたそうです…。



これが困ったもので、
妹は祖母の看病の為に仕事まで辞めて実家に戻り毎日病院へ通い一日中祖母のお世話をしているのですから
姉としては有り難いと思う反面
伊勢神宮へ行ってきた後に
「あんたのせいでお婆ちゃんの容体が悪くなった」とか言われた日には一生恨まれるだろうなぁ
と…


祖母のことが絡んでいなければ
わたしは行きたいから行く!
と強気に出れたのですが…
今回ばかりは家族一、祖母のことを親身に看病している妹の気持ちに寄り添うことにしました。



実はこの事で
わたしも古事記や神様について振り返るいいきっかけとなりました。


わたしは古事記や日本書記のストーリー
登場する神さま達の存在を心から信じているのだろうかと…


答えは、ノーでした。

その時の妹とのやりとりがこちらです。
(妹とのラインは何故かいつも年寄りの方言口調になりますが、そこはスルーしてください笑)


れい子

返って分かりづらかったかもしれませんが、
この時わたしは心情をストレートにぶつけませんでした。


妹のラインを見て言いたいことや反論の言葉は正直たくさん浮かんできましたが、わたしは根本的に“ 信仰の自由 ”を尊重したいのだなぁと
この時に気づきました。


わたしは神社へ行けば、古事記に登場する大己貴命さんだぁイエローハーツ大物主さんたわぁと、
ワクワクしますし

その一方で桜井識子さんが伝える山岳系の神様の存在も大いに信じていて、いつか会いに行きたい!と興奮しながらいつも本を読んでいます。


妹が信じるニギハヤヒとセオリツヒメが日本の神様の元的な考えも、正直わたしもウンウンそうかもねと、認めている部分があります。


ただ、だからこそ

この神様はダメ
あの神様はいい

という選別はしたくないのです。



寧ろ唯一信じないのは

この神様はダメ”
“あの神様はいい”

という言い方をする人です


あくまでわたしの場合ですが。


妹の信仰も自由です。
ただ信頼している占い師さんに裏切られるような事だけはならなけらればいいなぁと
切に願います。





高野山に着いてからのことは
次のお話で。