日本に接待島を作ろうとした輩 | 木村佳子のブログ

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政治家や経済人が別荘地に静養に行く。早い話が

そこで都会ではできない話をするってことが往々にしてありますね。

 

ダボス会議も「学者が風光明媚な場所で意見交換をする」に始まり、いつの間にかいわば乗っ取られた格好で政治家経済人の集まりになり、やがては便利な密談場所になった。

表向きは「国際会議」「セミナー」の体裁をとっているけれど、利害調整や交渉事で要人同士が密談する場所に使われているわけです。

国際的談合の場所、利益の独占につながりかねない点がありますね。

 

この人のこの場所も興味深いですね。

 

何をする場所なのでしょうか。

 

こんな記事もあります。

 

島だともっと人目に付きにくく、要人同士が会えますね。

 

そういえば、パソナ会長だった竹中平蔵さんは若き日、アメリカで学んでおられます。

wikiより

 

1989年(平成元年)日本開発銀行を退職、ハーバード大学教授を務めていたジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェローに就任。 

1990年(平成2年)に慶應義塾大学総合政策学部教授を務めていた加藤寛に誘われ、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任。1993年(平成5年)にアメリカ合衆国に移住。
 

 

当時はパパ・ブッシュからクリントン政権の時代ですね。

 

この時、のちにクリントン政権で財務長官を務めたローレンス・サマーズ氏とも面識を持たれたようです。

 

さて、クリントン大統領は日本に「年次要望書」を毎年、突き付け、最終的には外国企業が日本で仕事しやすいように金融ビックバンに象徴される市場開放策を強く要請する一方、中国には日本に用いられた戦後策を投入。

エコノミック・チャイナの道を支援し、米企業に大儲けさせました。

 

また、日本に失われた20年を強いている間、職を失った技術者に中国企業への技術指導に当たらせ、中国の製造業の品質向上を図り、生活物資を中国製品に頼るアメリカに品質面でも大きな利益をもたらしました。

 

そのクリントンさんは女性を引き連れ、エプスタイン島によく遊びに行ったことが知られます。

 

竹中平蔵さんは目端の利く人。その時の支配者層の行動から、密談の仕組みをかぎ分け、

きっと、政治家、経済人の接待にリゾート島を活用したら? と進言したのではないでしょうか。

パソナの淡路島開発にそれを感じます。

 

ちなみに別荘地の一つに河口湖がありますが、安倍晋三さんの別荘がその地にありますね。

河口湖というと日本のロスジェネ世代に言霊をさずけ続けたスピチュアルなシンクタンクの現在地も河口湖。

 

国民に失われた20年の苦難の道を強いながら、その陰で国内外の風光明媚な場所で密談に明け暮れ、仲間内で利益を分け合い、自らは人を踏み台に出世し、酒池肉林のギラギラした世界でおいしい思いをした政治家、経済人、怪しい言論人、似非知識人、シンクタンクに名を借りた洗脳組織の人々には飲んで飲んでもものどが渇く欲の塩水だけでなく、ロスジェネ世代の涙と汗の塩の水を飲んで、苦悶の味を知ってもらいたいですね。

 

さて、台湾訪問の後、日本訪問。ペロシ下院議長、何しに日本に?

株価、為替はしばらく暴れている人に服を着せる如くむつかしい状態に。

静観も賢明ですね。