つながっていること | よしだよしこ here now

つながっていること

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5月8日

東京都美術館にナカハタトモコさんの参加しているグループ展へ。彼女は裂き織りを得意としていて、今回の作品は喪服の黒紋付きと襦袢の赤で、追悼と希望の思いを込めているという。赤黒いうねうねは我が家に上がり込んでくる大きなムカデの動きのようなイメージもあって、生命力が伝わってきます。

 

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5月12日

岐阜県北方にて

林亭、ヒルトップストリングスバンド、そして私。北方町生涯学習センターきらりという立派なコンサートホール。

PA福井さんの音に支えられ、佐久間順平さんのきっちりとした進行に導かれ、楽屋や舞台袖では大江田信さんに癒され、ヒルトップストリングスバンドは50年の歳月に醸されて、

その音にはため息と喝采です。

林亭の二人と私と、お茶の水ヒルトップホテルは同じ年齢、1954年生まれ。でもホテルは今年2月に閉館してしまいました、、、。味わい深い山の上のホテルは、文豪が投宿して執筆していたことでも有名です。ヒルトップストリングスバンドというバンド名はこのホテルにちなんでと、バーボンストリートブルースのレコードジャケットには記されています。

 

「今度、あのバンドでレコーディングするよ。みんなとてもノッテるんだ。レコードが出来たら送るよ。」1977年の春先、そんなハガキが東京三鷹からカリフォルニアの私の住む町に届きました。

 

渡さん、私ね、やっと今日ね、生で聴くことができましたよ。ちょいと一緒に歌ったりもしましたよ。

まぁ、きっとその辺で聴いている気配は感じていたけれど。

 

 

5月13日

岐阜から岡山へ。尾崎夫妻の車に乗せてもらい、皆で笠岡の萌に勇造さんを聴きに行きました。ノーマイク、Gibson J-200。ギターケースもきっと重いやつだ。道の先を歩くひとが唄う姿に出会えた夜。

 

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5月14日

岡山禁酒會館にて。

この場所で私はいっぱいにしてもらっているから、私も聴いてくれるひとをいっぱいにしたい。そうやって17年経ちました。

2曲良い歌うたってくれたシバちゃん、ありがとう。うたいながらだんだん元気になってね。

オザキユニットの「横並びに歩きたいね」毎回新しく感じる歌。尾崎さんもバンドも年をとるほどに新しくなっているんだ。歌の中に出てくる映画「山の郵便配達」をひさしぶりに観たくなりました。

小さな館に足を運んでくださった皆さん、早くから準備をしてくださった皆さん、ありがとうございました!打ち上げ会場下津井港のバンちゃん、ビールを温めてくれてありがとう!絶妙の温度です!

 

5月15日

牛窓てれやカフェにて。

本番までの時間を、丘の上の店の縁側で過ごすのが年に一度の贅沢です。

一人が10人分くらいの集中力と拍手を担ってくれたような、ぎゅっとした時間でした。

牛窓への愛に満ちた店主小林くんは、デニムのタブっとしたオーバーオールを着ていました。なんでも私の50年前のレコードジャケットの写真のオマージュだそうです。

太鼓のおっちゃんと初めて言葉を交わせて良かった!

 

5月16日ライブは休み。市場恵子さんからサロンのオイルマッサージをご馳走頂き、身体がすっかり温かくなりました。このプレゼントは今日で4回目。夜は尾崎夫妻、市場さんと食事会。

 

 

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5月17日

熊山永瀬清子の家にて。

詩人永瀬清子さんの生家をリノベーションして保存会を立ち上げた横田登志子さん。

永瀬さんの詩に登場する、井戸も五右衛門風呂も、そしてかまども!このかまどは土間にあるのですが、まるで祭壇のようです。手は加えられても気配を感じる佇まいです。

私は、にわか読者で、今年に入って初めて永瀬さんの詩の世界に足を踏み入れ、この数か月、読めるだけ読んでみました。詩に曲がつけられたらというリクエストがありました。

結局、候補詩には曲はつかず、谷川俊太郎さんの書いた「永瀬清子さんのちゃぶだい」という詩が曲になりました。

谷川さんも永瀬清子さんのファンなのです。

そして、私は永瀬さんの書く短い言葉のいくつかに道を照らしてもらっています。

「正直であれ、正直によって眼をさませ、正直とは浅い律儀さではなく、ねむりこむことではなく、掘りおこす鍬であり鋤である。

正直であれ、正直によって詩人であることをつらぬけ」

永瀬清子 蝶のめいていより

 

清子の家の10畳ほどの和室に低い椅子に膝折り曲げて座り聴いてくださった沢山の方々、そしてグレンデルの竈屋でのご馳走と語らい、、詩集の中の永瀬さんと、この場所で感じる永瀬さん、これからも私は永瀬清子さんと対話をしていくでしょう。その対話の中で歌を作り次に機会があればこの場所で唄いたい!と思いました。

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5月18日

姫路労音音楽の間にて。

尾崎ツトム、清子さんと3人で、朝ごはん抜きで出発。姫路労音では毎回、到着する私たちのために、大量の素麺を茹でて待っていてくれるからです。

播州の素麺は本当に美味しい。贅沢な食べ物だと思います。こんなに美しい食べ物、昔は庶民はなかなか食べられなかったのかもしれません。

尾崎ツトムさんが珍しく椅子に座って唄いました。その雰囲気がよくて、「牛窓オリーブ園の丘にて」をじっくりと聴くことが出来ました。

 

私のこのツアーではじめてうたったShe said NO! の最後は皆でWe Shall Overcome の大合唱でした。

良い音響に声も助けてもらいました。

昼に素麺を食べたテーブルには打ち上げのおでんやチヂミロールキャベツおにぎりが並び。お腹いっぱい食べました。

 

 

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5月19日

長島愛生園さざなみハウスにて。

このライブが決まったのは、今年に入って金沢の絵描きHISAさんからの一本の電話から。

「よしこさん、ハンセン病のこと知っていますか?世界ではまだまだ多くの人が苦しんでいる。インドの物乞いの人の動画を送ります。」

現在でも世界で年間14万人が発症するハンセン病。そのうち約半分を占めるのがインドだという。

家や地域社会を追われ物乞いという生き方しか選ぶことのできないインドの人たちの映像を観ながら、私は自分の気持ちがハンセン病という問題からとても遠いところにいたなあ。。と思いました。

これまでに私は岡山の長島愛生園、そして熊本の菊地恵楓園で唄わせてもらう機会がありました。。園内を見学して、日本におけるハンセン病の強制隔離、人権闘争の歴史、そして入所者の方々の多くが文学、音楽、絵画、などの芸術に人生を昇華させていかれたことなどを知ることもできました。しかし、知ってしまったけれど、それ以上深く意識を持ってかかわるには大きくて重すぎると、何年もそう思っていました。

 

「私、いつかハンセン病療養所へ自分の絵を持って、元患者さんたちにみてもらいたいって思っているんです。」

HISAさんの純粋な思いにハッとさせられて、その日のうちに、尾崎ツトムさんに電話して、長島愛生園の看護学校で授業を続けたり、様々なかかわりを持っている市場恵子さんに伝えてもらうと、ほどなくして、愛生園にあるさざなみハウスでのライブをできるように動いてくださいました。

 

瀬戸内海の静かな海に浮かぶ長島は国立ハンセン病療養所の長島愛生園と邑久光明園のある島です。

かつては7000人以上が強制隔離収容され、戦時中は食料も乏しい中、遠く家族故郷から引き離された幼い子供達も強制労働させられ、その為にたくさんの命が失われ、患者同士の結婚には断種手術が強制され、それでも妊娠すれば堕胎が行われ、、、やがて治療薬ができて回復を果たした人たちも、後遺症のために手足を失い、神経の麻痺、視力を失うことも多く、人の目に見えやすい部分である手指や、顔面の変形は悲しい現実として、激しい差別と偏見に晒されてきました。

今は回復者の方々も高齢となり、愛生園で約90名ほどがゆっくりとしずかに暮らしています。

 

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さざなみハウスという見晴らしの良いカフェからは、さざなみの音がずっと絶え間なく聞こえます。島の100年をずっと見つめてきた波たちです。

 

カフェの鑓屋翔子さんは、4年前に島にやってきて店を始めました。入所者の人たちとの触れ合いの日々を綴っている新聞があります。

「長島での出会いは緊張の連続だった。ハンセン病について何も知らない私は境界線の外側にいると思っていた。

だけど、そこに線はなかった。

あるのは、この島でずっと続く生活の営みだった。」

 

美味しいおにぎり弁当を食べ、窓から入ってくるさざなみの音に心をゆだねながら、今日のライブの中身を考えました。

 

オザキユニットの尾崎ツトムさんのつくった「牛窓オリーブ園の丘にて」は、50年前に尾崎さんが初めてこの島にポンポン船に乗ってやって来て、真実の一端を実際に見聞きした時のことを唄っています。

歌の最後はこう締めくくられています。
「時が流れ今ではその島に橋が架かり、誰もが車に乗ったままで島を巡ることができる
しかし その島に刻まれた過酷な人々の歴史は 、立ち止まり 目を凝らし 耳を澄ませなければ解らないだろう」

 

絶対隔離の島に橋が架かったのは1988年、人間回復の橋と呼ばれてきました。

 

そうだ、遠くは青森、愛知、京都、鳥取からも、、岡山に住んでいても初めて訪れる人も、、皆、今日は邑久長島大橋を渡ってここに来た。だから、一人一人が、橋を渡る前とは違う新しいことに何か一つでも気づけたら良い!

立ち止まり 目を凝らし 耳を澄ませ、この場所で思ったこと、感じたこと、考えたことを、心に刻んで、明日に持ち帰ることができるように、私は唄おう!そしてHISAさんの描く絵に何が産まれてくるのか、皆で楽しみにしよう。」

唄う私の傍で無心に描くHISAさんは、目に見えないなにかと交信をしているようで、その気配を感じながら唄うのは、言葉では表せない感覚でした。

 

参加者の半分ほどは、島の見学で悲しく辛い歴史の記録に触れた後、ライブ、そのあとは、宿舎での懇親会、その時にはみな笑顔笑顔で、それは翌日それぞれ別れる時間まで続きました。沢山沢山笑いました。

 

「長島」は立ち止まり 目を凝らし 耳を澄ませ 

考える 大切な場所となりました。皆でつくったかけがえのない時間です。

 

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5月20

備前カフェランバーにて。

山陽ツアーの最終日です。

沢山の人たちに、いっぱい満たしてもらった私は、最後の日にふさわしい歌と話でいっぱいにしたいと思いました。途中で陽空希衣(ひあきけい)さんという女性が一曲歌ってくれました。

私は全部出し切ってしまった状態になりましたが、ランバーの峯子さんの用意してくれたご馳走を皆で分け合いながら、残った人たちの話を聴いていると、人と人の繋がりの不思議に今日もあたらしく感動します。

備前という小さな町の小さなカフェに、集まる人たちのいろとりどり。境遇も、職業もいろいろですが、社会の中で地域で自分を生きている人ばかりです。

私は、自分では経験したこのない人生のひとかけらをこうして教えてもらいまたいっぱいになります。

夜は、峯子邸にて、律ちゃんにコンディショニングという体の整え方をレクチャーしてもらいました。

以前は皆でお灸をし合って部屋が煙でどんよりしてしまったこともありました。

最終日の夜には運よくこんな風にして身体を労わるメニューに必ず出会います。

 

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5月25日

板橋ドリームズカフェにて。

店のマスター野々村さんが今年の春先に亡くなりました。

パートナーの裕子さんは、ほどなく店を開けて今まで通りのライブもランチもやっています。

音響もマスターからきちんと教えてもらったという話を人伝えに聴いた時は切なくなりました。

去年、マスターが闘病中に一緒に唄ったことは大切な思い出。

だから、今度は裕子さんと唄いましょうということで、杉本さんがピアノ、助っ人のベースのしんごくん、そして私。

Love has no prideとYou've got friendを裕子さんのリードボーカルで。客席には店の常連も沢山。

歌があって良かった。。ただただそう思う夜。

 

 

      

 

 

5月30日

高知パラダイムにて。

年に一度の高知。

私は、ゆっくりと前日から入るつもりでいたのに、何を勘違いしたのか、すっかり忘れてしまいました。大慌てで、新幹線から瀬戸大橋を渡る特急南風に乗り継いで今日の夕方に高知入り。

ニセのBAND花子、池マサト、二人とは二度目の共演ですが、リハーサルで池さんの歌に感動してしまいました。

5歳の次男が、もいちど3歳に戻りたいと言っている歌です。本当の話であることはすぐに分かりました。聴きながら、私も3歳に戻りたくなる、そういう歌でした。

主催をしてくれた高須賀満さんは、今夜は1曲だけ唄うという演出でした。しかし、この一曲は、昨年、高須賀さんとライブ明けの高松の朝、珈琲屋で、「何か、みんなで唄える歌をつくりたい。」と言っていた通りに出来上がった曲でした。題名は「地球の庭で」。

高須賀さんは会うたびに新しい歌が産まれていて、だから高地に毎年来たくなるのだと思います。

客席は毎回会う人たちに加え、お店でお客さんを呼んでくれて、それもありがたいことです。パラダイムはもう15年ほど前からお世話になっています。一番初めに来たときは永原元ちゃんと一緒でした。

 

5月31

高松オリーブホールにて。

立派なホールで、豪華な音でやるのです。普段はメジャーなバンドがスタンディングで興行をするような場所です。

高須賀さんはリハーサルなのに全曲フルに唄っていました。

もう気持ちが良くて、ずっとステージで遊んでいたくなります。

私も、いつもとは違う分厚い音響で、自分で自分の声やハーモニカの音にビックリしてしまいます。

一方、本番で、客席はとても静かです。真っ暗ですが、拍手の音でだいたい何人くらいか予想はつきます。

そして最後の曲が終わって、楽屋に戻り、客席がシーンとしているのがわかりました。「アンコールはないんだね。。終わろうね」と高須賀さんと話して客席に出てみると、皆さん明るい中で座ったままいるのです。

なので、もう一度ステージに上がって高須賀さんと一曲。

後で聴いたのですが、皆、余韻に浸ってシーンとしていたんだというのです。

客席が静かだというのは、決してよくないことではないのですね。少し時間がたって急に嬉しくなりました。

 

駆け足の高知高松ではあったけれど、充実した時間。高知では髙部久理子、宮尾節子という土佐生まれの詩人の歌を思い込めてうたえました。高松はうどんも食べて、旧友と言いたいことを言い合って、ふるい馴染みのギターにも挨拶ができました。瀬戸大橋を渡るのはもう何回目だろう?何回目でも胸が高鳴ります。橋はここからそこへ、自分がつながっていることを示してくれます。

 

 

5月は盛りだくさんでした。

知らなかったこと、知ろうとしなかったことへ向き合ってみれば、そこには自分とは無関係なものはなにもない、、、

 

HISAさんから、さざなみハウスでのライブペイントがその後少しずつ変化しているといって送られてきた写真。幼いころに病を発症して愛する家族と離れ離れのまま島で生涯を終えた幾千の魂たちの語らいであるかもしれない、、そして、私と母の魂の対話であるのかもしれない、、絵はまだ変化をしていきそうです。

心を空っぽにしたときに、手が動いていく、、という、、HISAさんの透き通った心の絵。

 

 

 

 

 

  《海よりも、空よりも、広くて深いものがある

  それはひとの心

  今日、私は、私の心にこの島をまるごとおさめて

  家に帰ろう

  この島の100年をまるごと持って帰ろう

  この島に眠る幾千の魂も一緒に

  もう、決して遠いものにしないように

  それは、いつも私とつながっているのだと

  わすれないように

  私の心が、海よりも、空よりも広くて深いことを

  わすれないように》 y.y 2024 05.19.