足もと照らせば
私も参加をして、30分ほど唄います。
映画の中で強く響いた言葉です。
「自由を手にしているのに発言さえしない。使わない自由はだめになる」
1月7日泪橋ホールにて。
今年最初のライブは南千住泪橋ホール。
笛とサックスを広瀬波子さんにお願いして。
波子さんとはずいぶんたくさんのレパートリーが増えました。
そして、その場で急に選曲を変えてしまう私に、いやな顔一つせずに笑顔で寄り添ってくれます。ありがとう!
「思い橋」を唄い終わった後に、
「泪橋ホールに何度も来ているのに泪橋に行ったことが無いので、今夜は帰る道すがら橋に行ってみたいです。」と私が言うと、
主の多田裕美子さんが「泪橋はもう今はないんですよ!そこの交差点のあたりに架かっていたの、それで、下を流れる川は思川っていうの。もう川も流れてないけど。」
きゃー、そうなの!知らなかった!いやあ、教えてもらってよかった!のでした。
もともとは江戸時代小塚原刑場へ渡る橋であったことから、罪人にとってはこの世の見納め、また家族にとっては悲しい別れの橋。。。泪橋。。。ということだけは聞いていたけれど。。。
漫画あしたのジョーの中で、ボクシングジムがあったところが泪橋の下で、劇中に「泪橋を逆に渡る」というセリフが登場することを帰宅してから調べて知りました。
あしたのジョーもきちんと読んだことはないのです。
新年を泪橋ホールで一緒に過ごしてくださった皆さん、ありがとうございました!
1月10日東中野じみへんにて。
じみへんでは、今月の27,28日と東中野ミュージックストリートが行われます。販売されるTシャツのことや、タイムテーブルのことなど話題に上ってウキウキした空気です。
私はいつもと違うギターを弾きました。お正月中、ずっと家で弾いていたMartinの小ぶりのギター。軽いギターが欲しいと思っていたところに出会いました。でも、どうかな、、、
いろいろ悩みながら、もう少し弾いてみましょう。
じみへん、いつも聴いてくれる人、遠くからの人、皆さんありがとうございます。そしてみどりちゃん、いつも感謝しています。次回は3月28日!
1月13日守谷もりりん中央ホールにて。
井上智資くんが声をかけてくれて、茨城県守谷まで。
道のり遠いので、いつもとは違うキャリーケースに衣装、化粧道具、ハーモニカ、小物類、物販物、チラシ、すべてを入れて、それにギターを背負い、北千住駅からつくばエキスプレスに乗りました。
守谷の駅で降りた私、改札を出てコンビニで水を買おうとしたところで
なんとキャリケースを電車に忘れたことに気づきます!
自分が信じられないという自分に眩暈しながら、ともあれ井上君に連絡して少し遅れてホールへ。幸いにギターとセッション用の譜面、眼鏡は持っていたので、リハーサルを終えてから、忘れ物の届けられている終点のつくば駅まで受け取りに。急行なら一駅なのですが、待ち合わせ時間や受け取り手続きで、結局本番15分前にホールに帰ると、進行が早まって、私の後の予定の井上君が先に唄おうということになっていました!
その後ステージ上で「よしこさん、本番、何食わぬ顔して唄ってるけれど、、、」と言われてしまいましたが、最後まで生きた心地のしないステージとなりました。
守谷の地元のミュージシャンのステージも、全く聞くことができず、主催者や井上君、波子ちゃんには心配させたまま、終わってしまったことは申し訳なさと残念な気持ちでいっぱいです。
それから、キャリィケースを取り戻し、つくばから守谷に向かう列車の中で、おにぎりを食べ、化粧をしてしまったオバサンをどうか許してくださいね。
守谷モリリン中央ホールを出ると、天気が一変してみぞれが降っていました。落ち込んでいたところに冷たいみぞれです。
夜は、波子ちゃんと下北沢へ真っ黒毛ぼっくすのライブに。
大槻ヒロノリさんと約束をしていた「惑星の旅人」をバンドと一緒に唄いました。それはそれは気持ちの良いステージに立たせてもらいました。
下北沢からの帰り道、怒涛の今日一日を振り返り、井上智資君に「今日はほんとにごめんなさい、何とか無事に帰ります」のメールを送りました。
1月16日東中野じみへんにて、湖春バースデーライブ。
湖春ちゃんの詩のファンです。
彼女の詩がどれだけ素敵かということを知ってもらうには、実際にライブで体験しないと難しいのかもしれません。
彼女の処女詩集「おにぎりは愛でできている」の表紙の裏には「息をするように詞を書いて歌にした10年間、葛藤もユーモアも」と書かれています。
そして、今夜は、彼女の新しい詩がたくさん聞けました。
終わってから、私の歌「幸運の女神様」を聴きたかったといわれました。なんでも、博士っぽいひとに恋をしているそうです。
店のみどりちゃんが用意したバースデーケーキはとてもおいしく、湖春ファンのみなさんと温かな時間でした。
1月24日下北沢lownにて。
新しいギターを買いました。
悩んだ挙句、Martinの小ぶりのものはやめて、もう一回り大きいけれど、同じように軽いギターにすることにしました。
まだ、調整をしないと弾きにくいけれど、持っていきたくって、それに2時間のステージを弾くとどうなのかを今夜試すことになりました。
音響の良いlownのステージはうってつけでした。最後はちょっと手が痛くなっちゃったけれど、このギターでイケそうです。新しい相棒になりますように。
ステージにはヘルマンヘッセの肖像画が飾られています。以前店で働いていた女性が描いたという。
ヘッセの本「人は成熟するにつれて若くなる」というタイトルに深く共鳴します。アルバム「今日一人の友達を見送って」の中の歌にはその本から影響を受けた歌があります。寒い夜でしたが、足を運んでくださった皆さんありがとうございました。
1月26日大森風に吹かれてにて。
松崎博彦60歳バースデーにゲスト瀬戸口修、よしだよしこ、というライブでした。
松崎さんとは、これまでに、共演をしたことのない間柄ですが、共通の知り合いが全国にいます。ですから様々な場所で名前を聴きます。今夜は遠くからもお祝いに駆けつける人たちがあり、良く鳴るギターを相棒に美しい響きの歌声で、名曲をたくさん唄う松崎さんのステージでした。
修さんとはデュオで一曲。
風に吹かれてらしい温かな還暦ライブでした。
しかし、10歳も若いの!ギターケースも重い重いハードケースに入れて!まだまだこれから!
声をかけてくださり嬉しかったです!
1月27日東中野ミュージックストリート第一夜にて。
昼から沢山の歌を聴きました。
本部のじみへんを中心に計4か所、
聴きたい人たち、会いたい人たち、ちょっと話もしたい人たち、町をグルグル廻ります。
yesにてオキアミ
じみへんで完次郎、ホンキートンクのまあちゃん、ミーサ、
湯川トーベン、トーベンさんには呼ばれて「風景」をいとうたかお氏も一緒に。
途中で食事もします。ラーメン楓屋にて小ラーメンとギョーザのセット。再びじみへんにてTORA、じみへんフォーク愛好会、
ラーメン屋地下で唄う丸山眞弓2曲聴いて、フォーク愛好会に乱入させてもらい一曲。
そのまま自分のステージ、外で聴いているいわさききょうこちゃん呼び込んで崩れ落ちるものを感じるかい?で、そのまま一曲瀬戸口修さんと唄いながらバトンタッチ、でまた修ちゃんに呼ばれて一曲、もう一つの世界にはいとうたかお氏もちょっぴりコーラス。
それからhello gdodbyeで唄っている井上智資くんに13日、大騒ぎの守谷で借りっぱなしだったカポタストを届けるために大急ぎで駆けつけると最後の曲の途中でした。
なかなかの運動量。
途中、トラブル発生と言いながら急いでコートを羽織って出ていくイベント主催者みどりちゃんが、とてつもなく貫禄があって見惚れてしまいました。
1月28日東中野ミュージックストリート第二夜にて。
今日は少しゆっくり出かけました。腹ごしらえ小さい味噌ラーメンを広瀬波子ちゃんと一緒に食べ地下へ降り辻井貴子、あ、その前にじみへんでニシカワMEETSフォークも聴きました。
その後は、ほぼ一か所に落ち着いて、ちょっぴり阪井誠一郎&藤縄てつや、平田達彦、
マスミ&フォーキー、中山ラビレトロスペクティヴという名でラビさんを唄う人たち5組、じみへんオールスターズ、中川五郎&伊東正美、、、最後は波ちゃんと一緒に五郎さんのステージで声を枯らしました。
じみへんに帰ると、最後のシバさんのステージはとっくに終わり、お客さんはすっかり帰り、そこにはカウンターから出て椅子に座るみどりちゃんと洗いものをするミーサ。。。お疲れさま!
1月29日山形肘折温泉で働く友達に会いに行きました。
東京駅から山形新幹線つばさに乗って終点の新庄駅。
彼女はお弁当やビールを買い込んで改札でまちかまえていてくれました。
そこからおおくら君という名前の循環バスで1時間山にわけいって肘折温泉。
肘を折った高僧、一説には弘法大師が湯で癒したことが名の由来とか、1200年の歴史の湯だそうです。
ほんとうに小さくて旧い温泉街はコンビニはもちろん飲食店もほぼみあたりません。
少し緑がかったお湯は、最初熱く感じても長く入っていることができます。この湯加減が年季の入った湯守りさんの仕事だそうです。
1月30日肘折を出て新庄からバスで余目へ。あまるめという響きがまあるい感じで好きです。余目から鶴岡。
鶴岡駅前に「雪の降る町を」の歌碑がありました。作曲者の中田喜直がこの町で曲の発想をしたのだと。
私たちは思わず歌碑の前で「雪の降る町を」唄ってみました。転調また転調の凄い歌でした!
バスで加茂水族館へ。ここはクラゲの水族館として有名になりました。。ここでは、クラゲの養殖もしていて、数ミリのクラゲの赤ちゃんは感動的です。
日没前の加茂水族館からバスで湯浜温泉。
雪深い山間の肘折から、海辺の町へ来たわけです。
お湯はしょっぱいのです。旅館の食事は普段粗食の私には贅沢すぎて、私たちは話すことも沢山ありすぎて、食べ終わるのに3時間ちかくかかってしまいました。
1月31日鶴岡から山形行の高速バスは、月山ロード、雪の山脈を超えます。奥羽山脈、、アパラチアだね、行ったことないけれど、、、霊峰連なる景色に身を置くだけで特別。
山形駅で新幹線のホームまで見送ってくれた友だち。二泊三日沢山の話をしたけれど、いつだって大切なことは別れ際の数分に聴くのです。またね。
元旦に起きた能登の地震と津波。
その後、金沢にいる絵描きの平田久子さんが、彼女とつながりのある人たちになにかできないか?と動き始めました。
その動きに呼応するように、久さんの友人たちができることをしはじめました。私もできる範囲で参加させてもらっています。
穴水町、能登町、内灘超、七尾市の自宅避難の方々に、暖かな下着、現金、など、、配ってもらいました。
久さんが東日本大震災のボランティアで学んだ経験を生かして、本当に必要なところに必要なもの、お互いに負担にならないように、という思いが波及して小さいけれど、確かなネットワークができています。
ひとつひとつ報告をもらうと、自分のさせてもらったことが、温かな思いと一緒に返ってきて自分自身を照らしてくれるようなきもちになります。
久さんはじめ、下着を調達したり、配ってくださる皆さんに感謝します。
壊れた家での暮らし、水道開通がまだまだ先になる地域も沢山あると聞きます。