いろとりどり
11月4日奈良バンダメリリーにて。
唄う場所でお客さん同士が和やかに話をしているのを身に感じるのは幸せな時間です。お互いに名前も知らない間柄かもしれないけれど、この場所で袖すりあって、笑顔と言葉が交わされて、同じ歌を分け合って。
今夜は始まる前からそんな柔らかいものが溢れていました。
開演前わざわざ出来立ての釜めしをはこんでくれた、いちもとさんごちそうさま。
仕事帰りに駆けつけて心地よいバンジョーを弾いてくれたみつるくんありがとう。
終演後もいつになくゆっくり残ってお喋りをして過ごした皆さんありがとう。
こんな気持ちで唄わせてくれたバンダメリリーありがとう。
11月5日神戸まっちゃんライブにて。
まっちゃんライブは307回目。
かれこれ18年前、祝春一番コンサート服部緑地の芝生の上で紹介されて。ここで取り交わされるのは「春一の芝生外交」と呼ばれているらしい。
以来私がどんな状態の時にも受け入れてくれたまっちゃんと神戸の人たちの心の広さ。港町気質なのかしら、おおらかな海の文化のひとたちに感謝です。
今夜焼酎BAR vocalistは満席となり、主催のまっちゃんも、私もビックリしながら始まりました。
マンドリンのじゃんぼさん、いつも寄り添ってくださりありがとう。
初めて出合う人もありました。そして18年前から聴いてくれる人もありました。幾たびも病を乗り越えて店を続けているマスターもまた会いましょう!必ずね。
11月6日岐阜北方ワタルカフェにて。
神戸からJR新快速で米原まで。車窓からの景色に時間を忘れました。秋の京都、滋賀、そして岐阜まで。
ワタルカフェには新しく小上がりのステージ、立ってみるとちょっと景色が変わりました。
運営陣の顔ぶれも変わったという。
変わらない渡さんの大きな写真ふたつ。
三度目のワタルカフェ、みなさんありがとうございました。
岐阜羽島駅まで戸谷さんに車で送ってもらい、駅構内に入ると沢山の人で溢れかえっていました。なんでも有名芸能人の見送りに来ているという。
人をかき分けてなんとか新幹線に乗り込みました。
先ほどまでのライヴとは一転、人はいるところにはいるものです。
11月11日高山ピースランドにて。
東京から車に乗せてくれる人あり、秋晴れの中央高速八ヶ岳サービスエリアにて蕎麦を食べ、早めに着いた高山では珍しくカフェなどに入り、アメリカからの観光客と店主との会話を聴きながらすごす私も観光客気分。高山ビーフの美味しい店を尋ねるアメリカ人に、カフェ店主は、あまりよく知らないと答える。地元の人間は高山ビーフは食べないからと。。
絵本の店ピースランドでは毎年絵本を買います。最初は1冊、それから2冊、今年は3冊。送る子供たちが増えたからです。
唄いだすとピースランドの部屋の奥は胎内にいるような世界だと感じます。
このまま朝まで歌っていたい気分でした。一緒に過ごしてくださった皆さんありがとう。
これを読んでくださっている皆さんも、いつかここでのライブに来てみてください。
11月12日各務ヶ原6-21にて。
あたたかな秋晴れ、高山から関市洞戸村で寄り道。
こんな動きができるのも車に乗せてもらっているから。
東京の友人Mさんに洞戸に住む古い友達を紹介したかった。Mさんは、岐阜の山中に住んでいる私の古い友人ときいて、世捨てたヒッピーを想像したらしい。
板取川畔、キャンプ場だった場所は今ではバーベキューとカフェ営業。「カフェ」という看板を出してみると意外に遠方からのお客が増えたという。
ともあれ、Mさんのヒッピー予想は外れて、キッチンでいそいそと料理を作る旧友かっちゃんに3年ぶりに会いました。
各務原6-21の立派なステージ、ここで一人唄うのは初めてでした。なじみの顔が集まってくださいました。そして初めて聴いてくれる人もあったので、新旧たくさん唄いました。
6-21の主、佐伯さんとギターのこと相談することができました。
昨日も今日も「光るクマ」をうたいました。美濃加茂ワンダーランドの修ちゃんが亡くなって6年です。
犬山ふうに一晩お世話になります。「珈琲ふう」もあと2年ほどで変化があるそうです。初めてふうで唄った翌日、一人犬山城天守閣に登ったときの足の疲れを覚えています。ピースランドも6-21で唄えるようになったのも「ふう」からはじまったのでした。変わっていくものが増えていきます。
11月13日付知鼓土里座にて。
朝早く犬山から付知まで車に乗せてもらっての移動です。
途中、「かしも明治座」に立ち寄ってもらいました。この芝居小屋のこけら落としは1894年、120年以上の歴史です。
以前、中津川の常盤座という芝居小屋で、沢山のフォークシンガーの仲間に入れてもらい唄ったことがありました。
今年の4月、9月には群馬は渡良瀬渓谷のながめ余興場でも花道から登場させてもらいました。貴重なステージです。
思い馳せるのは、旅回りの芸人たちの汗と、観客の笑い涙、どよめき。そして明治大正昭和から今日までの時代を生き抜いた大衆文化の館に棲みつく気配。
明治座の大舞台を見学してきたばかりでしたから、付知の鼓土里座はミニチュア版の芝居小屋です。しかしここにはここだけの熱い魂が宿っています。山から木を伐りだし、すべてを土着民と仲間たちで造りあげ、そこで唄を唄い、時には芝居をやり、遠くからも唄いに来る人聴く人が集まってくる小屋、ほかに見たことも聞いたこともありません。
鼓土里座は来年で出来上がって20年だそうです。
今夜の打ち上げのメインディッシュは、里芋とご飯をつぶした芋がい餅、ジャガイモのガレット、大学芋、ポテトサラダ、、という芋のフルコース。そして牡蠣鍋。
この日のゲスト、名古屋の神戸さんと筒井佳子さんから辺野古基地反対の座り込みでの話を聴きました。警備が撤去を行使するときの、身の処し方。
座り込みをする人たちの撤去が終わらないと工事が進まないので、できるだけ時間を稼ぐには、運ばれるときに脱力をするのだそうです。
脱力をすればするほど体は重くなり、警備の男の人でも一人では運べないそうです。ひたすら脱力する。
これをきいていた三尾房代さんがこんなことを話します。
房代さんは長年保育園の先生。園児の連れ去り防止の演習、不審者が子供を連れ去ろうという想定、子供たちにひたすら脱力をさせるのだそうです。「連れ去り防止訓練」というのがあるのにもびっくりです。
脱力は最強の非暴力の抵抗であるのか。
11月18日風に吹かれてにて。
「同志」と書いて「友」と読ませることがあります。修さんとはこの「同志~とも}という言葉が似合うような気がする時があります。
瀬戸口修さんとは、彼がコロンビアレコードからデビューしたころ、私はそろそろ音楽から遠ざかろうとしていたというタイミングの悪さ。それから月日がたち話をするようになったのはこの20年足らずのことです。お互いにちょっと似たような体質で、「明るいひきこもり」の修さんと「明るい鬱」の私。よく長電話をしました。
時々かわす長電話と、年に一度ほどの共演を重ねてきて、思うのは「良いともに会えてよかったな」というしっとりとしたウールのマフラーを触るような安心です。
最近はお酒でつぶれることもないようです。みんな以前のように沢山飲めなくなった。
そのかわり修さんのギターと歌声は長い年月をかけて醸されたワインのよう。
また次に味わうときにはどんな風に熟成されているでしょうか。その時のために私もまた丁寧に育てた果実を大切に仕込んでおきましょう。
11月19日下北沢ベースメントバーにて真黒毛ぼっくす37周年。
突然決まったこの日の出演。一度もリハーサルせずに大槻ひろのりさんから提案された曲。直前になって私がkeyの変更を頼むのですが、これがトロンボーンには辛いkeyで、本当にごめんなさい。
ドラムス、ベース、エレキギター、ピアノ、アコーディオン、フルート、トロンボーンという大掛かりなバンドと一緒に唄うのは、まるで素人のど自慢(出たことはないけれど)の舞台に立たせてもらったくらいに気持ちの良いものでした。
そして大槻さんが書き下ろしてくれた「惑星の旅人」は、唄いながら泣き出しそうでした。ミラーボールが回りました。大槻さんは、私の歌をしっかりと理解をしていてくれて準備をしてくれました。リハーサルも参加したかった。
真黒毛ぼっくすのステージも堪能しました。
昼の12時過ぎからのライブ、地下のホール、演奏中は銀河に抱かれているような時間でしたが終わって外に出るとまた昼間がありました。
彼の思い描く世界とそれを愛し共につくりあげていく若いミュージシャンたち。
終演後「鳥肌が立ちました」と言って帰る人がいました。
11月22日相模大野にて、井上ともやすのおよびつけライブでした。
一年に一度11月に呼びつけてくれるのですが、井上君とのデュエット課題曲が必ずあります。
前回よりも息が合ったと思うのですが。。「どうしてこんなに悲しいんだろう」「今日までそして明日から」
この日のためだけに練習するのも楽しいのです。だから、井上君にまた来年と言われるととてもうれしいのです。
聴きに来てくれた人の中に、マザーグースというバンドの京田由美子さんが大好きだと話す女性がいました。井上君の高校の先輩でした。
中学生の時に、マザーグースのステージを見て、ギターの上手い歌の上手い由美ちゃんのファンになったという。
影響されて楽器を始めたのだそうです。
バンドは短命でしたから、猶更思いは募っているのでしょう。
金沢の由美ちゃんにメールしてみました。
「来年あたり、演る?」と返事がきました。
もっきりやあたりで。
11月23日鴨宮きらきら食堂にて。
かかわる人たちが快く協力をしてくれました。
共演のオフトーンズとは数日前にリハーサルをやってもらいました。
きらきら食堂ができて8年になるそうですが、私ははじめてのライブ。食堂のメニューはどれも安くて、食べた鯖の定食はとてもおいしかった。そしてなにより素敵なのは店主がんちゃんの割烹着姿です。鴨宮に何度も何度も来ているのに、私の知っている鴨宮は唄う場所以外はよくしらないのです。そして、ここから伊豆大島や御殿場へも唄いに行けるようになった、基地でもありました。
20年近く唄う場所をつくってくれた鴨宮のひとたち。ありがとう。また会いましょう!
あえないひと、病とともにいるひとにも、また会えますように。
11月25日吉祥寺MANDALA2にて。
サスケ大垣カツ氏かっちゃんのバースデーライブ。
かつては双子の弟タカちゃんとふたりでサスケでした。
二人分の誕生祝いだとステージでかっちゃんは言います。
9年前亡くなった弟のことを今でも毎晩夢に見るといいます。
双子に生まれて育つことは、双子でない者にはわからない宿命です。
サスケの二人と会話をすると2対1でとっても忙しい気分になったことを思い出しました。ほぼ同時にほぼ同じことを話しかけてくるのです。
その一人がいなくなるって、体が半分無くなってしまうような感覚なのでしょうか。一人になった直後のかっちゃんのステージは本当に悲しかった。
そんなことも思い出しながら、今日は客席で一人になっても二人分頑張ってきたサスケを楽しみました。
11月27日大切な友達の一人と国立駅で待ち合わせ。
とても太くて硬い手打ちそばを啜るというよりもぐもぐ噛みながら食べました。
同じ通りのちょっと路地を入ったところの昔からの喫茶店ロジーナ。ここが満員でびっくりです。
彼女とはもうずっと長い友達。そんなに頻繁に会わないけれどずっと友達。同じ時にお互いの初めての子供を産んだ。
それ以外は越し方も今の暮らしぶりもそれぞれだけれども、会って話せば嬉しい。そして話に耳を傾けながら,ちょっと涙が溢れる。以外に昔話はしないことに気づきます。
私たち、まだまだこれからだよねぇ。古風な店のテーブルをはさんでケーキと甘いプリンを分け合いました。柔らかい毛のセーターを着た北国生まれの彼女は今もとても美しい。ずっと美しくあれ。大丈夫。
11月30日東中野じみへんにて。
昨日届いたばかりのハーモニカ、出かける寸前まで練習をしました。ニールヤングのHeart of Goldをこれで唄いたかったのです。
まだ一日しか吹いていないので偉そうなことは言えませんが、面白い楽器です。
体も楽器にしないと良い音が出ないのです。
今夜は店主のみどりちゃんが静養のために居ないなかで、お客さんがテキパキと働き、無事に安心してライブができたこと、そしてみどりちゃんの代わりに、私が一晩ちいママをやりますということで、お代わりもしてくれたやさしい皆さんありがとうございました。
帰り際、店主からリモートにてしっかりチェックは入りましたが。。。早くよくなってね。
毎月更新するこの長々したブログには
私の暮らしの中で、とても大切な場所でのことを書いています。
そこは人が集まり、人が語り、唄い、時には食べて飲んで、なにより歌と笑顔の集まる処。
広い世界のこんな小さな場所で出会う者同士、並々ならぬ縁なのかもしれません。
そうであれば、一緒に過ごす時間が愛おしくなります。
だから、毎月同じようなことを書き続けているのだと思います。これからも。
JVCジャパンボランティアセンターのカレンダーを毎年贈ってくださる人がいます。大きな封筒が届くと、ああ今年もそんな季節。。
そして35年間つくられてきたカレンダーでの支援は来年号ををもって終了とのこと。
紙のカレンダーの売れ行き鈍化のためだそうです。
アフリカ、アジア、中東、南米などの紛争、貧困、大きく困難を抱えている地域に生きる人たち、とりわけ子供たちの写真が多いのです。町のこども、海辺の子供、農村の子供、
その子供たちの笑顔が切り取られた写真。
この大型紙面からはみ出しそうな子供たちの笑顔が部屋にあるだけで、私の心も微笑みます。笑顔には力があります。カレンダーは我が家の食卓の正面の壁にあります。食後、残したおかずを捨てないようにしたり、開いたパソコンで買い物をするときにちょっと考え直してみたり、些細なことですが。。。こんな小さな部屋に来てくれた笑顔たち。