芸術の秋
10月8日楢葉町天神岬スポーツ公園にて焚火ライブ。
6年ほど前にこの場所にある露天風呂に入ったことがありました。太平洋を真正面にしてお湯に浸かるのは大変に贅沢な気分でした。そして同時につい数年前にこの豊饒な海が沢山の人の命と暮らしを飲み込んだのだと心に留めたものでした。あれからまた月日がたち、きれいなキャンプ場もできて素敵なテントが並び、食べ物を焼く匂いが漂っています。
このキャンプ場で焚火を用意してくれたのは楢葉町で町議会議員をやっている佐藤さんと町役場の人たちです。
東京からナマステ楽団の末森さん、ディネーシュの二人も合流して、黄昏の中楽器を出したとたんに雨が降り出しました。2時間ほど様子を見ましたが豪雨に変わりライブは中止になりました。
小さなテントの下で身を寄せ合いながら皆でしばらくひっそりと話をしました。
佐藤努さんに出会ったのは2011年の夏です。まだ30歳そこそこ、子供は避難先で生まれました。
今回も車で私を連れてきてくれた内山さん達との東北沿岸部の旅でした。震災から5か月後、地図もカーナビも役には立たない道なき道を釜石、角田、山元町、名取、そして福島のいわきへ。
佐藤さんは楢葉町から家族で千葉に避難をして、この年の夏にまずはお父さんお母さんの入る仮設住宅がいわき市の郊外に出来上がり、ちょうど入居という日に私たちは出会いました。
その日私たちは集会所で唄わせてもらい、その新築でお赤飯やお菓子やたくさんのご馳走のお相伴にあずかりました。真新しいログハウス風の仮設住宅はそれまでの避難所や間借り生活からは比べものにならない御殿のようだったでしょう。
その後、彼は楢葉町の再建活動に参加して、数年前に町議になり、今日はその後初めての再会でした。
テントを雨粒が叩く音、避難所みたいなもんだねと言い合いながら、
私は彼に、原発汚染水の海洋放出のことをどう思っているのかを聴きました。行政側という立場にいるから答えにくいことだとは思いましたが、彼の考えを少し聴くことができました。あと10年待ってほしい。半減期を待ってほしい。人々の心がある程度納得するまで。
小さなテントに身を寄せ合って雨をしのぎましたが、皆お互いにずいぶん濡れています。
She said NO!をぜひ聴きたかったといわれたのですが、大雨で楽器を出すことができずに唄えませんでした。
今思えばアカペラで唄えばよかった。。。のです。。
楢葉町には若い人たちも少しずつ移住しているようです。
また、来年焚火をしようね!
しっかりと乾燥させて組み上げた薪だけはこの豪雨の中でも最後まで燃え続けました。
10月9日いわきのクウカイにて。
朝にはすっかり雨は上がり海は輝いています。
昨夜は宿の部屋で楽器のケースや服を干しました。
楢葉から富岡のJR駅へ。ここには何度も立ち寄りましたが
どんどん景色は変わっていきます。海は遠くなり、そびえたつ防潮堤、まだまだこれから変化するのでしょう。
大熊,双葉、浪江と北上しながら、人の住めない場所も通ります。線量計が手元にはありませんでしたが、沿道の計測器の数字は場所によって高くなったりします。
あの日から時の止まってしまった町を何度も何度も自分の目に焼き付けておこうと思います。
仙台の山中で行われている小さき花の祭りをちょこっと覗いて、いわきの町に戻るとそこはすっかり都会です。
クウカイは日曜日の夜にもかかわらず繁盛をしていました。
頃合いを見計らって1時間ほど唄いました。
ここで特別に唄わせてもらっているのは、自分を確認するためかもしれない。。ということ。
11年が経ちました。店は移転したし、支店もできた。あの神棚のカウンターは今ではこの店の梁にぶら下がって、メニューが張られる板となっています。スタッフも変わり、高野くんには風格が漂い、ひたすらに動かすその手にはボロボロになった団扇。この団扇だけはずっと使い続けているのでしょう。
お互い何という話もしないのですが、ここが私の定点観測所のひとつなのです。
初めて聞いてくれた人たちもいたでしょう、みなさんありがとうございました。
楢葉の佐藤さん、いわきの高野くん、二人ともますます逞しく生きています。その姿に会いに行けて私も元気をもらいました。ありがとう!
五浦海岸にて
福島の帰り道に寄ったのは
天心記念五浦美術館と六角堂。
そして日立にて吉田正記念館。
五浦海岸というのがこんな景色の場所だったのに感動しました。
岡倉天心が近代日本の美術の開拓者であるということと、タゴールとの交流したくらいしか知らなかったので、この場所にこれたことは幸運なタイミングでした。
天心が晩年、横山大観、菱田春草、下村観山などの画家をこの地に呼び込んで創作活動をサポートしていました。画家たちは一つ場所に寝起きし互いに切磋琢磨で創作している貴重な写真も展示されていました。
3.11の津波で流されたという岸壁に立つ六角堂という小さな部屋はもし中に入ることができたらば海の波と一体になり瞑想ができることでしょう。多くの画家が波を描くことへ思いを馳せます。
日立にある吉田正記念館は、作曲家吉田正さんの没後に建てられました。
生涯作曲数は2400曲。戦後シベリア抑留中につくった歌は作曲者不明のまま「異国の丘」という歌になって日本で流行っていた。シベリアから引き上げ後それを知ります。プロ作曲家となってヒット曲を作り続けても、歌の在りようについてこのような言葉を語り続けます。「いつか自分の歌が読み人知らずとなったときに歌は永遠の命をもつだろう」
困難な時期の恩人の一人である吉田先生に伝えたかった感謝の気持ち「大変お世話になりました。私、今は歌をうたっているのです。」
そのころの私は吉田先生と歌についてお話をする場所にはいなかった。。
10月12日茅ヶ崎ボチボチにて。
たくさん唄いました。
気がつくと2時間半くらいになっていて、遠くからの人たちは急いで帰らなくてはなりませんでした。最後までありがとうございます。
通い続けると、少しずつ仲良くなれる人たちが増えていきます。
この店を紹介してくれた杉本さんはほかにも2軒ほど連れて行ってくれました。どこの店も少しずつ馴染んでもらって、定期的に唄いに行くようになりました。
茅ヶ崎は日帰りできる場所ですが、年に2回ほどのライブです。あと何回来れるのかな。。。と、今夜も唄いながら思いました。
おわってから、心通うようになった人たちとの会話はほっとします。
皆さん、足を運んでくださりありがとうございます。またね、お元気で!
10月16日泪橋ホールにて。
汗ばむ陽気の一日でした。
南千住の泪橋ホールは路面に面していて外の路上にもイスとテーブルを出しています。ビールが美味しい日曜の午後「3/4あたり」から唄い始めました。
二部は広瀬波子と二人でたくさん演りました。
波ちゃんと初めて合わせる曲がいくつかありましたので楽しみでしたし、少しドキドキもしました。
特に「惑星の旅人」という歌は真っ黒毛ぼっくすの大槻泰永さんの書下ろし曲です。
以前、大槻さんから「よしこさんはラブソングつくらないんですか?」と言われ「大槻さん、つくってください。」と私。それから月日が流れ
出来上がってきたのは今年の夏の盛り、発表するのはこの泪橋ホールがいいなあと思いました。
初めての歌をステージで唄うときの気分は特別です。
一番最初に勝る瞬間はないのです。
そして、その一番目の瞬間に作者も居合わせてくれました。
秋はイベントが多くて、今日もいろいろ重なってどこに行こうか迷った人たちもあったようです。足を運んでくださった皆さんありがとうございました。
ライブが終わって名物餃子をいただいていると、泪橋ホールの常連の人たちが次々に唄い始めました。
ナポリ民謡のオーソレミオ。何人もの声色で唄うシャンソン。作曲家という人からは自筆の譜面を数曲分もらいました。ありゃ、この人たちが今まで私の歌を聴いていてくれたのか。。。役者揃いです。
泪橋ホールの裕子さんは、泪橋芸能部はまだまだ凄い顔ぶれがいるんだからと。。。そうだと思います。
豊かな時間が溢れました。
10月22日京都ハリーナにて。
京都駅からタクシーに乗ると渋滞で動きが取れなくなりました。時代まつりの行列に出くわしてしまったのです。
でもおかげで初めての時代行列を見物できました。仮装行列なのですが、戦国武将たちのキャスティングはなかなかで、どういう人が扮しているのか。。
ハリーナは京大農学部のヒマラヤスギ並木の入り口にあります。
今日は平賀久裕さんと二人ライブ。平賀さんは75歳になっていました。12年前に一度ご一緒したきりでしたが、お元気そうです。
平賀さんのギターはスペイン製でレナードコーエンと同じメーカーだそうです。
それから今回平賀さんと会ったことで面白い話を聴くことができました。
私のマウンテンダルシマーを眺めながら
「鶴見俊輔さんの奥さんもダルシマー弾くんだよ。」というのです。
平賀さんは以前タクシードライバーをやっていて、鶴見さんを乗せることがなんどもあり、あるとき奥さんの横山貞子さんが楽器を抱えて乗ってきたので「何の楽器ですか?」と尋ねたら、マウンテンダルシマーだったのだそうです。
横山貞子さんは翻訳家。私は横山さんの訳された本は、ディセーネンの「アフリカの日々」しか読んだことはないけれど、ダルシマーでどんな曲を弾かれるのだろうか。。。
そういえば、長野辰野の三浦久さんのお宅にもダルシマーがあって、
奥さんの薫子さんにプレゼントしたものだといって,私もちょっぴり弾かせてもらったことがありました。
部屋に飾って置くだけでも美しいものだから、、、と話しながら。
私もこの楽器は男性から女性にプレゼントするイメージが似合う楽器でもあるといつも思っています。昔映画の中にもそんなシーンがありました。
ハリーナには遠くからも近くからもうれしい顔ぶれが集まってくださいました。
そしていつも良い出会いをつくってくれる佐々木さんありがとうございます。
平賀さんお元気で!
10月23日大阪チャクラにて。
一人で唄うライブなのにチャクラの中は早い時間から賑やかです。
配信のカメラマン池上&増田チーム。音響の弓谷&岡本チーム。チャクラのあつこ&たっちゃん。そして入り口のモギリのおばちゃん役のママ。それ以外にもヤアヤアと早い時間から入ってくる人たち。お客さん同士で盛り上がっている声を聴いているだけで幸せな気持ちになります。
「音楽は人の居場所をつくる」のだとつくづくに思います。
ツアーの途中のスーマー君が飛び入りしてくれました。ダルシマーと彼のバンジョーでぶっつけにしてはよいデュエットになりました。ありがとう!
3時間の長丁場だったけれど、用意していた曲以上に唄ってしまいました。アンコールにマンドリンじゃんぼさん、ハモニカのクニさんありがとう。
音楽は人の居場所をつくる~私の唄う場所はそこに集まってくれる人たちがつくってくれます。
最後は「だびよんの鳥」また来年も、来年も、らい、、ねん、、も、、、らいねんも、、、らいねん、、も、、ヨロシク♪
散歩の途中、キウイフルーツ豊作
10月29日板橋ドリームズカフェにて。
ドリームズカフェの向かいにある米屋さんは、昼間おにぎりやお弁当を売っています。おにぎりも注文してから握るので温かいのです。二つ買ってリハーサル。
ドリームズカフェで素敵なのは、ステージ周りの美しさです。
ステージにはマイクスタンドやマイクのシールド(私はシールドでなくて線といいますが)や譜面台やイスや、とにかく雑然とするものです。特に狭いスペースの店はシールドがこんがらがってカオスの世界。
ところが、この店では一回もシールドを踏んだりすることはなく、何か倒したりぶつけたりしないように整理整頓されているのです。このステージのスペースに立つたびに、家の整頓をしようとおもいます。
午後四時から始めて
先週のチャクラと同じように、石川逸子さんの詩を朗読してから「サリーアン」を唄いました。2008年慰安婦問題解決へ~院内集会で証言をした台湾の陳桃さんの話を詩にしたものです。もうそれから14年ですから、当時86歳だった陳桃さんは生きていれば今年で100歳。もしいまも生きていて話をしてくださいとお願いしたら、昨日のことのように声を詰まらせながら話されるのでしょう。
陳桃さんがすでに亡くなっていても、こうして伝えてくれる詩があります。
戦争が破壊してしまうのは一人の人間の尊い人生。その人が亡くなっていたとしても、永遠に。
戦争がどうしてなくならないのか、、、責任を追及していったとしても、本当のところはわからない。
しかし戦争をするのが人間なのであれば、この人間一人一人が戦争しない人間に変わっていくしかないのでは、、と、とっても単純ですがそう思っています。人がより良く変わるために、そのために面倒でも人と関わり、そのために難しくても政治も監視していき、そのために勇気がいるけれど心開いて対話をする。その長くて遠い道をつくって歩いていく一人でありますように。。自分が良く変わっていこう、それだけをそこだけを突き詰めて生きていこうと思うのです。
チャクラのライブで「戦争の親玉たち」を唄ってからその思いが心に湧き出したので、、私なりに拙い言葉で語りました。
「政治のことなどよくわからない。わからないことでいっぱい。でも人の不幸の上に自分の幸せを築くことはしてはならない。このことばかりを考えながら生きています。」
やはり秋なのでしょうか。10月はいろいろな人のライブ、コンサートに出かけました。
どのステージも行ってよかったなあという余韻の残るものばかりでした。
10/1川崎にてPlum
10/2大森にて飛楽人とアミ・アイリ
10/6初台オペラシティホールにて琉球交響楽団
10/13東中野にて小松崎健
10/25水道橋にて大野えり、板橋文雄、米木康志
小田原の友だちから夜半にメールが来ました。
「シリウスが見えるね。」
冬の大三角形に見守られる季節です。
家の近くの大きな金木犀の木、遅咲きなのかな?
ついこのあいだまで香りを楽しめました。