不自由 | よしだよしこ here now

不自由

 

             9月11日気仙沼大島の浜辺にて

 

9月3日上尾プラスイレブンにて

一年ぶりの場所。

昨年の今頃はコロナ感染蔓延防止等重点措置区域???でよかったか???

つまり政府が日本の多くの飲食店に営業時間、収容人数、酒類提供規制の要請をしたために、

その時のライブは定員10名でもソールドアウト!ノンアルビールが飛ぶように売れました。

ライブが終わってお客さんが引けて、清算の時でした「お店は協力金があるけれど、ミュージシャンにはないでしょう?」と出演料を多めに渡してもらい驚きました。忘れられないお店の心使いでした。

さて今夜の客席は規制はありませんが去年とだいたいおなじくらい、それでもビールを飲みながら皆さんありがとうございました。私はソロライブがひと月ぶりだったのでたくさん唄いました。

 

9月4日上尾エコーズカフェにて。

ライブは夕方からですが、コミュニティラジオの録音などをしながらゆっくりと過ごしました。

北本を中心にアコースティックライブを主催してきた奥田さんは毎月こうしてライブを続けてきました。アマチュアの人たちの発表の場であり、そこに時々ゲストも参加するのですが、ひたすら継続させていることに敬服します。

その中で育った大学生たちが1960年代のアメリカモダンフォークと言われていたピーター・ポール&マリーのコピーバンドを作って活躍しているという話も聞き、ちょっと嬉しくなりました。

このエコーズカフェでのライブは今日で最後とのことですが、

オーナーの持っているトレーラーを見せてもらいました。

通称トランポというのだそうです。ツアー用のトラック。

 

 

        

 

 

9月10日陸前高田ジャズタイムジョニーにて。

一関から車に乗せてもらい陸前高田までの道。

稲穂は実り、甘い香り。晴れ渡った9月の一日。良い人たちとの時間が始まりました。内陸から沿岸部へ、、

陸前高田の町並みは、真新しい絵本のページを開いたような匂いまでするようです。

ジャズタイムジョニーは駅前通りを少し行ったところに出来上がってもうすぐ一年。真新しい店の前に立って主人の由紀子さんが中から現れる瞬間はなんだか恥ずかしくドギマギしてしまいました。店の中は木の香り、響きのよい空間でありました。

しばらく中に座って、奥の台所で立ち働く主人を眺めながら、ああ、ここが陸前高田のジョニー。。。

ペンギンとシロクマ、辻井貴子、私。ここまで車で連れてきてくれた千厩の佐喜雄さんもうたいました。

                    写真:志穂ちゃん?

 

そして客席を見渡しながら、やはり、ああ、ここが陸前高田ジョニーなんだね。。。という顔ぶれに心はうなずくのです。

窓には十五夜の明るいまあるい月です。

ほぼ全員で囲むテーブルに大鍋の熱々ひっつみ汁や銘々皿に盛られた由紀子さんのご馳走、差し入れの数々。。。

お酒飲む人もないのに賑やかな会話の尽きないお月見の宴。

台所であとかたずけをしながら、由紀子さんがポツンといいました。「不思議なの。今夜はなんだかやなぎさんの気配がしないの。。」

そういえば、私も。。唄いながら思いました。

「やなぎさん、戸口まで来たけれど、みんなが楽しそうにしているから、どこか他に飲みに行ったのかもしれないね。有恒(菅野)さんでも誘って。。」と由紀子さん。

震災からこのかた、日々誰かの気配を感じながら生きてこられたのか。。と思います。

この店の再建のための募金活動、やなぎくんが先頭となって始まりました。所縁のあるミュージシャンや友人たちがそこに連なりました。

私もやなぎくんのメッセージの書かれたフライヤーを手にライブ会場で募金を募りました。これを読んでくださっている方にも協力された方があるでしょう。。

ですから、陸前高田ジョニーはみんなの場所です。

いつか機会があれば覗いてみてください。

 

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集った人たちの想いに縁取りされた2022年の中秋の名月のジョニー。ずっと心の中に飾っておきましょう。

 

 

9月11日気仙沼ブリッジエイドステージにて。

陸前高田から気仙沼への道も何度も通ったところ。

くねくねとした山道を走りながら、時折美しい入り江が見えるのです。山道と時折現れる海、、ああリアス式海岸なんだなあと思うのです。

震災直後はボランティア拠点の一つだったという建物を素晴らしい空間に改装してステージがありました。言葉では尽くせない想いの棲みついた場所なのだと思います。

昨夜とは違った選曲で皆たくさん唄いました。

それをほんとうに嬉しそうに楽しそうに聴いてくれる人たちのおかげで初めての場所とは思えない充実感がありました。

陸前高田、気仙沼とコーディネイトしてくれた鈴木しのぶさん、気仙沼に大人数の私たちを快く向かい入れてくれた常山さん、この場所の主人である菅原さんと仲間の皆さん、

集まってくださった皆さん、ありがとうございました。

招いてもらった食事会の席で、皆が思いを語りました。

まるで昨日のことのように津波の日のことを、避難所でのことを涙ながらに話すのを聴きました。地域のこと、未来のことへの想いも。

唄った者たちも、それぞれの想いを背負ってやってきたこのリアス海岸の二日間がどれだけ大切な時間であったかを、語りました。

 

別れるときには見えなくなるまで手を振りあいました。

 

 

9月21日東中野じみへんにて。

さて、なにを唄おうか。。。じみへんのステージ。と毎回一所懸命考えます。

ダルシマーの音色で5曲。何年ぶりという曲もやりました。

まだまだチューニングを変えてやってみたい曲もあります。いつかまた。

それからギターで数日間練習をしていたのは、唄う前にながいながい語りがあります。

そういうことを実験的に聴いてもらう場所でもあります。

よかったら今度一度聴きに来てください。

 

いつもおつきあいくださる皆さんありがとうございます。次回は11月、お楽しみに。

ちょっと練習しすぎて喉が危ないのでツムラの小柴胡湯加桔梗石膏を飲んで寝ます。

 

9月22日、23日群馬ながめ余興場にて。

前日の漢方が効いたみたいでなんとか喉を保って群馬は赤城まで。

松島よしおさんと花岡かよこさん夫妻が用意をしてくれたステージ。今日は前日のリハーサルです。

今年4月にはここで松島さんたちの音楽活動50年のコンサートがありました。

昭和12年に建てられた由緒ある余興場。松島さんはコロナの感染状況を考えて予備日を押さえていたそうで、キャンセルするのももったいないし、せっかくだから唄いに来ませんか?と誘ってもらったのです。

私にはもったいないような立派な会場で。。。と迷っていると

「そんなことは無駄な謙遜です。」と叱られてしまいました。

気楽にと言われましたが、それでも松島さんからは、

「僕たちはどんなに小さなコンサートでも、

やりっぱなし、うたいっぱなしはしないのです。面倒かもしれませんが、それにおつきあいください。」と言われました。
プログラムもつくることになり短いあいさつ文を書きました。

再び唄いだしてから約20年の積み重ねの中で実感していることを書きました。

タイトルは「自分らしく生きる」そのために唄う

それに応えるように松島さんが「フォークシンガーとは」という一文を寄せてくださいました。

ここにその一部を載せておきます。

 

「フォークシンガーとは」  松島よしお

「自分らしく生きたい!」「ありのままでいたい!」誰もが求める生き方だが、だれもが現実の中では自分らしさを見つけ維持することは難しく、自分の居場所を求め続ける。それが人生になってしまう。

よしださんは、唄うことの中に答えを見つけた。それこそよしださんにとって「幸せ」なことだと思う。

よしださんは、様々な地域に出かけ様々な人たちに出会い、唄うことを通してかかわりあってきた、そして、そのことで多くのことを学んできたのだと思う。ただ唄いっぱなし、やりっぱなしでなく、自分を見つめたり、人を知ったり、唄うことは勉強し学ぶことだと思う。自分を知り他を知り、社会を見つめ世界を見つめ、考えることなしには、本当に人の心に響く歌は生まれない。

 

松島さん、花岡さん、そしてながめ余興場に足を運んでくださった皆さんありがとうございます。また会いましょう!

 

 

 

            最近とても良い音になってきました。

 

 

9月24日新宿南口フォーク集会にて。

連日のステージと移動ですが、なんとか体と喉は無事です。

沢山の出演者が一堂に会します。

私の出番は一番目。待ち時間が少ないのは余計なことを考えずに唄えてありがたいのですが、大きなホールで開演を待ち構えている客席の熱量を一手に受ける感覚を味わいました。

「道ばたでおぼえた唄」「戦争の親玉たち」「卵焼き」3曲を唄い二番手の中川五郎さんへ。

出演者も客席も60代70代、、日本でフォークソングというものを分かち合ってきた仲間同士です。

アメリカのようにルーツ音楽という遠く長く深い流れを持っているわけではありませんが、アメリカのルーツ音楽から発展したフォークミュージックやロックブルースに影響を受けてささやかに根付いた日本のフォークソング。民衆の歌が飾らず繕わずそしてしぶとく、精神を絶やさずに流れて行きますように。

そしてもっと身近に暮らしとともに歌が生きていきますように。

 

9月25日大館にて。

前日は新宿フォーク集会の楽屋の時点から始まっていた賑わい。当然打ち上げはもっと盛り上がるに決まっていましたから参加したい気持ちいっぱいでしたが我慢して帰宅。

早朝の飛行機に備えて6時前には起床。しかし前日予約していたタクシー会社と早朝からトラブルがあり、すっかり慌ててしまったのと、連日の疲れと、元来の忘れん坊はスマフォを家において出かけてしまいました。

羽田空港では前日も一緒だったいわさききょうこさんが待っていて、慌てる私にメールチェックするために自分のスマフォを貸してくれようとするのですが、パスワードの二重認証で結局自分の電話がなければメールなどのアプリに入れないことがわかり、もう、その時点で諦めて、妙に腹が座るというか反対になんだかほっとしてしまったのです。

秋田大館に降り立つのはほぼ初めてです。昔々エレック時代に一度くらい来ていると思うのですが、当時は駅とコンサート会場だけの往復だったでしょう。

9月最後の日曜日の道中、見渡す限りの田んぼでは稲刈り真っ最中でした。甘い香りは車に乗っていてもわかります。

前日から大きなホールでのコンサートが続きます。私には稀なことですからしっかり味わおうと思いました。

寝不足のステージで一番怖いのは、歌詞が飛ぶことですが、長い歌も唄いきりほっとした直後、スマフォよりも大切なものを忘れてしまいました!

自分一人のセットの後にいわさききょうこさんとのデュエットを予定していたのに、すっかり忘れて帰ろうとしてしまったのです。司会の人たちもきょうこさんもビックリです。

皆さん、「これで場が和んだ」と言ってくれましたが、唄う歌を忘れるなんてこれまでのステージ人生で初めての忘れものでした。

猫、いわさききょうこ、私、三浦和人、原田真二。

普段会うことがない人たちの歌も客席でしっかり聴くことができました。

打ち上げは比内鶏料理の店でした。店の社長がコンサートで私の歌を聴き、急いで打ち上げのメニューに

「レバーのタレ」と「卵焼き」を追加するように店に連絡をしたのだそうです。比内鶏のレバー焼きと卵焼きなんて初めていただきました。ごちそうさまでした。

こんなに贅沢なステージや歓迎は身に余ることではあるけれど、秋田の静かな町のホールに300人近い人が集まって歌を聴いてくれました。主催の大館ケーブルテレビの所長は舞台袖ですべての歌に耳を傾けていました。ホールのスタッフの人たちはまだまだ若い世代でした。これからもよいコンサートがこの町で開かれていきますように。

 

           危うく忘れそうになったデュエット!

 

9月26日弘前発酵カフェフローラにて

いわさききょうこ&常富氏の二人も弘前でライブがあるので

車に乗せてもらいました。お互いに共通する店や主催者の人たちの話をしながら、、途中、日景温泉という山の温泉に浸かることも、おいしいランチをごちそうになることもできました。そしてスマフォのない私を次の場所まで運んでもらい、ご褒美のような秋田から青森へ秋の旅です。

二日間スマフォを持たずにいると、はじめは手持無沙汰を感じましたが、同時に心が楽になってくるのです。

長い待ち時間を楽屋でずっとギターを弾くしかなかったし、持って行った本はいつのまにか読み終わってしまったし、新聞もくまなく読みました。道具の使い方を見直す機会になったかもしれません。

発酵カフェ・フローラに入ると主の小野田明子さんが駆け付け一杯の甘酒を出してくれました。美味しいと言ったら本番前にももう一杯。

小さなスペースに13人のお客さんになんとか座って聴いてもらいました。発酵料理のカフェには、面白い人たちが集まるようで、若い研究者夫妻、暮らしの手帳のコラムの筆者、それから青森市内からは仲良しの友だちも来てくれ、ここを紹介してくれた鈴木しのぶさんも水沢から来て受付をしてくれました。

空間一杯に人と歌と溢れて秋の夜です。

青森市内へ馴染みの赤い車に乗せてもらい、お世話になる家で、ねぶたの夜以来の小さな宴をして、、「もう少ししたら寒いねえ」と言いながら、一年の中でも美しく快適なこの季節を愛おしみました。

 

                   写真:しのぶさん

9月27日ホテルのブランチのようなご飯を久見ちゃんが用意してくれて、しのぶさんと二人ごちそうになり、新青森から東京へ。

               写真:久見さん

 

帰宅して、留守番してくれたスマフォには沢山のメールやメッセージや着信がありました。

元首相の国葬が行われた日。

国葬でない形にできないのだろうか?

政府は国民に向かって真っすぐのまなざしをカメラに向けて

ビデオメッセージで良いから説明と理解を求める行動をしてほしい。

8月末に以上二点を支持政党に投書をしました。もちろんきちんとした回答はなく「貴重なご意見をありがとうございます」という自動返信のあいさつ文しか送られてきません。

それ以前、ちょうど参議院選挙戦のころには、安倍元首相の疑惑追及の手を緩めないでという投書をしていて、直後に銃殺されて驚きました。

あきらめずに意見を送り付けていこうと思います。

「貴重なご意見」ですから。

 

月末の深夜、台所の水道のコックが壊れて水が止まらなくなってしまいました。慌てて家の裏の元栓を閉めて水は止まりました。お風呂の水をためていたおかげでトイレに使うことはできましたが、工事の業者さんは立て込んでいるそうで、まだしばらくは断水状態です。

いま昼ご飯を終えて、ペットボトルの水を少しだけコップについで歯を磨いたところ。

 

スマフォと水に教えてもらうことは沢山あるようです。

便利なこと、不便なこと。

 

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           江刺にて。 店はお休みでしたが、

           はーでぃがーでぃという名前に惹かれます

 

近所まで買い物に。。。

香りに呼ばれる心。。。

あぁ、そうか。。。金木犀だね!たまにはあなたの姿も収めておきましょう。