絵描きと詩人と歌うたい
8月4日
東北新幹線水沢江刺駅に降り立つと空気はひんやりとしていました。
ギャラリー1231で唄うのは3年ぶり。
国道沿いの広い空き地にポツンとある小さな箱。建物自体がアート。
中は狭い空間なのに小さなライトがあたるとお母さんのおなかの中のような安心の部屋に。。。
たくさん唄いました。
何回もこの場所で一緒に楽しい時間を過ごした人たちの中で、3年の間に亡くなった人が二人。その二人も来てくれているのでしょう。。。だから歌が止まらなくなってしまいました。
それから一番前の椅子に小学生の少女。3年前には2年生だった。。すっかり意志の強い表情になっていて。ギターを弾いているんだって!今度は一緒にやろうね。
1231のharuhiさんと伸さんの家で友達も交えて遅いご飯。
伸さんはリンゴ農園をやりながらのギタリスト。haruhiさんは絵描きでありカフェのオーナーでありチェロを弾きます。私のCD「今日一人の友だちを見送って」のジャケットやエコバッグも彼女の絵。
来年はあの少女Nちゃんと、伸さんと、haruhiさんのチェロも一緒にやろう!
遠く花巻からも、そしてこの場所で必ず会える人たち、皆さんありがとう!また来年。
水沢で会えるともだち
8月5日
十和田の駅まで迎えに来てくれた太田さんが車中、今年の4月に亡くなったキューダスのマスター工藤さんのことを教えてくれました。店は有志が続けているというので、連れて行ってもらい工藤さんを偲びました。
長年お世話になった店。「向かうところ客なし」の看板通り、入りの寂しい時もあったけれど、、お土産に手作りのニンニク味噌や蕨をたくさん持たせてくれて、心温かい人でした。
カウンターには良い笑顔の写真が。また来るね。
数日前の豪雨で奥入瀬が氾濫しました。
今日のライブ会場ひめはうすは無事でしたが、川は泥色で橋の欄干に流木が沢山突き刺さっているのには驚きました。これまでになかったような水の被害だそうです。
青森で通わせてもらえるようになったのはこの、ひめはうすが最初です。だから来年は20年。
奥入瀬のように、漆戸さんとのおつきあいも水の流れる如く。だったのに。。。
マスター漆戸さんは思ったより元気そうで安心しました。
なにより、思いのほかたくさんの人たちがここまで足を運んでくださいました。
夕方前に青森まで。八甲田のブナ林の山道は真っ白のガスで前が見えないくらい。
山を下りると夕焼け。
気の置けない人たちと晩ご飯をごちそうになって。そして一番のごちそうはこの涼しさだと、何度も何度もつぶやいてしまいました。明日はねぶた祭りへ。
写真:久見ちゃん
8月6日
広島原爆投下の時刻、まだ布団の中で静かに祈りました。
夕べからお世話になっている友人の家には大阪からの友だちも参加して女三人所帯。階下に降りるとすっかり朝ごはんが用意されています。
夕方からのねぶた祭観戦のまえに、ねぶた小屋見学へ。
昼のねぶたは、灯りのないねぶた。一年かけてつくられたねぶた。夏の三日間のために。
気温が関東と15℃近く違っていて緩んだのか、旅の合間の休日にほっとしたのか、腰がとても痛くなりました。
夕方からは祭りに行くのでアイシングをしながら休みました。
友だちが尽力してくれて用意された桟敷席で生まれて初めてのねぶた祭の中に入り込んでいきました。
コロナで3年ぶり、踊る人も囃子の人もそしてこうして観る者たちからも特別な思いが伝わります。
昼間見たねぶた達に灯りが入りました。故事にある英雄や、お伽噺の女神、縄文もアニメのヒーローも、生命吹き込まれて、山車から躍り出てきます。
今から40年前、当時の職場に青森出身の女性がいました。
ある時私がインフルエンザになって寝込んでいると、わざわざアパートまで来てくれて豚汁と大きなおにぎりをたくさん作ってくれました。「いつか必ずねぶたに行こうね。案内するからね。」
約束したのにそれからお互いに別の道を歩き会うことはありませんでした。
「ねぶた」と聞くと彼女との約束が果たせなかったことを思い出してきました。
ひょっとしたら、恵美ちゃんも観客になっているのかもしれないな。。。やっとこれたよ。。。
8月7日
レストラン オルケスタにて昼間のライブです。
夕べの祭りの余韻で不思議な賑やかな夢を見てたっぷり眠りました。腰も回復。
たくさん唄いました。
オルケスタでは今までずっとディナータイムのライブでした。
祭りのさなか夜は花火大会があるから、はじめての珈琲とケーキのテーブル。お店にとっては料理を出したかったでしょうが、このタイミングで来た私に合わせてくれました。
必ずこの場所で会える人たち、いつもはワイン3本くらい空けちゃう人たちも、それから関東からの友だちも、皆さんありがとうございます。
夜はオルケスタ夫妻のお疲れ様をしながらで皆でたこ焼きパーティー。たこ焼き器はずいぶん前に送ってきて大阪から指導する人あり。彼女は粉もソースも持参して真心溢れるたこ焼きでした。
そして家を開放して3泊4日お世話してくれた家主女史本当にお世話になりました。
8月8日
4泊5日の岩手、青森。
夏の東北には、亡くなった人や、長く会っていない人もやってきて一緒に過ごしているような気持になるときがあります。
私の感覚。
水沢、奥入瀬、青森、今年もあえた人たち、また来年もよろしく!青森では必ず唄う「だびよんの鳥」
東京駅はサウナ!
8月10日
絵描きの春日はるなさんの一回限りのイベント。
ライブのコーナーはすべて彼女のつくった曲を演奏します。
その20曲たちはとても自由で、音符にするのがとても難しいものも。エレキギターのユタさんとは初顔合わせでしたが
バンドリーダーとしてよくまとめてくれました。
パーカッションのともちゃん、そして私のギターとダルシマーと歌となんとピアノ!
この日のために中古の電子ピアノを買いました。小学生の発表会以来の演奏です。
はるなさんから本番直前まで私のピアノにダメ出しがあって、出番までずっと膝の上でイメージトレーニングしました。スターパインズカフェの立派なグランドピアノを演奏することもこれ一回限りかも。貴重な体験でした。
春日はるなさんは私のはじめてのCDのジャケットとブックレットの絵を描いてくれました。
絵描きのつくる歌と一緒に演奏をするのはちょっとオペラのよう。。。と言ってくれる人がいたそうです。
私の夏休みの宿題1号。でした。
8月14日
国立のはっぽんにて、5月に亡くなった音楽仲間の女性のお別れ会がありました。
オープンにはしていなかったようですが、彼女の仲良しの人たちが集まって、みんなで唄う時間でした。
唄うことでつながっていて、私もそういう場所でしか会ったことはなかったから、どんな暮らしをしているのか、幾つなのか、何にも知らない。それでも大切な思い出があります。
声が出なくなってしまった私にそっと渡してくれた喉の薬と、中山ラビさんが大好きとは知らずにラビさんが亡くなって少ししたときに彼女の前で「川に沿って」を唄ったらずっと泣き止まなかった時のこと。もうそのころには彼女も病魔と必死に闘っていたのでした。
ありがとう。またね。きっと歌のある場所で。
8月27日
フィレンツェ在住の絵本作家、向井順子さんの絵本「はしのいえ」の中に収められている同タイトルの歌のレコーディングに呼んでもらいました。
マンドリンのアンサンブルグループである「e田橋クレイジーズ」のCDの中の唯一の歌の曲です。
市ヶ谷のスタジオは防衛省の向かいにありました。真正面から防衛省を眺めたことがなかったので、その建物の造りには驚きました。本棟迄は長く高く遠い階段がそびえ、権威を主張しているような建築でした。
スタジオはとっても立派で、こういうところで録音するのは何十年ぶりです。
今まで一度も歌として聞いたことのないものを唄うのは、地図を持たずにはじめての場所に行くようです。
フィレンツェにいると思っていた作家の向井さんもコロナで帰国できないままということで録音に来ていました。作者にお会いできてよかったです。
歌入れは向井さんに向けて歌っているようなところもありました。
夏休の宿題その2です。
8月28日
宮尾節子さんとの二人ライブ。タイトルは「Special Thanks!
ありがとうの日」
お互いに変わりばんこに唄ったり、朗読したり、そして話をします。
宮尾節子さんの詩に出会ったのは共通の友人が渡してくれた「明日戦争がはじまる」という詩集。
タイトルになっている明日戦争がはじまる~という詩は逆説の詩で、私は最初馴染むことができずにいました。
それでも時々手に取って読んでいくうちに、宮尾節子の詩というよりも宮尾節子~せっちゃんという人に親しみを持っていくようになっていきました。そしてメロディーが湧き出したのが「しあわせには名前がない」という詩でした。
この詩集のあとがきに、節子さんはこのように言います。
ずいぶん前の話、円周率の3.14の少数点以下を切り捨てる,当時の文部省が決めるらしいという噂が流れたときに。。。(中略)
もしきっぱり円周率=3にした場合「円周=直径×円周率3」の計算で出てた図形は、どうなるのか。~それは鉛筆の断面の形正六角形をしているのです。厄介なものを切り捨てるということ、言えないものを切り捨てていくということはこういうことになるのですね。(中略)
さて、詩とはなんでしょう。
詩を書くという行為とは、この切り捨ててわかりやすく便利な3の方向に行くのではなく、その反対側の右側へつまり小数点以下の「言えなさ」に向かって「言おう」という思いが、どこまでも言葉という「近似値」~真の価値に向かって果てしない旅をつづけること~
詩を書くことは、曲線で描かれる弧が(すなわち個!)が切り捨てられないように「近似値の番人」をする行為なのではないでしょうか?
何のために?
それはとげとげしい角ばった世界へではなく、円満な世界のほうへ、わが身を削らずににできるだけたくさんが生きられる方へ、それぞれの命を大切に生かす方へと穏やかな和やかな世界を模索する、愛の行為ではないでしょうか。
詩に向かうことは自分自身に向かう一つの方法。かけがえのない個を取り戻す行為、ことばによる自己救済の旅のことだと私は思います。
これは、そのまま歌をつくり唄うことでもあります。
言えなさに向かって、言おうとする思いが突き動かしてくれる時が毎日毎日何度も何度もあります。
節子さんの詩に気がつけば7曲のメロディーがつきました。
そのたびに思うのは、メロディーはもともとその詩に宿っている。。。これはあるフォークシンガーがある人の詩にメロディーをつけて歌ったときに話してくれた言葉です。
もちろん私の独特のメロディーラインはあるのだけれど、そこにはその詩を読んだ時の感激、共感、それから新たに引き出される自分の思いがメロディーになってひとつの曲になるのだとおもいます。
今日の節子さんとの対話は、そのとおり果てしなく小数点以下へ向かっていきました。気が付けば2時間を超えてしまって、休憩なしにずっと聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。これに懲りずにまた一緒に過ごしてもらえたらと願います。
店に入るときに降っていた雨はすっかりあがって、まだ夕暮れ前の時間。夏休み最後の日曜日。
夏休みの宿題その3でした。
8月31日
子どもが学校に通っていた頃の今日この日を思い出すだけで切ない気持ちになります。
どうして?学校行ってくれたほうが楽じゃない。。とよくいわれたけれど、私は憂鬱でした。
子どもの心境に同化してしまうのか、自分の幼いころに帰っていったのか。
そんな気分を振り払うように、いつも夏休み最後の日は二人で思いっきり遊びました。映画や遊園地やドライブで山まで行ったり。遊びの帰りに渋滞に巻き込まれて始業式の朝は寝不足だったこともありました。
今日はこれから、ひとりで泳ぎに行こうか。
ブログ7月分がアップされていなくて心配になった方が秋の果物を送ってくださいました。
私も言われるまで気が付きませんでした。
ホームページにリンクされていなかったようです。
正常になりました。
◆今月初めからニューヨークで開かれていたNPT核兵器不拡散条約再検討会議では、核保有国に「核の先制不使用」政策採用を促す記述が残念ながら削除されたという。
核兵器の使用をいかに〝他国〟に思いとどまらせるかという抑止の考え方でなく、これまで〝他国〟に向けてきた厳しいまなざしを〝自国〟の核政策がはらむ危険性に向けるよう促している「先制不使用」政策。
この約束が保有国間で取り交わされれば大きな前進だと思いました。
あきらめずに、どうすれば〝他国〟の核使用を思いとどまらせるかという発想を捨て、「核戦争の防止」のために〝自国〟として何ができるのかを真剣に検討し具体的措置を進めるべきだと思います。
日本は現実にはアメリカの核の傘にいるけれど唯一の被爆国。そうであるからこそ核廃絶への道への現実的な声を上げ行動していく大きな役目があるのだから。
★核兵器禁止条約の締約国会議にもオブザーバーという立場で日本政府として堂々と参加をすること。
★NPT会議でも「核の先制不使用」政策を強く訴えること。
この二つの★をこれからも強く願っていきます。
本当に強い国とは核廃絶に向かって行動できる国!
核兵器廃絶を願う心と行動は国境や人種、宗教、あらゆる差異を超えて地球と自分を愛おしむ道を照らすのだと確信します。