半分という節目 | よしだよしこ here now

半分という節目



6月1日お茶の水にてやぎたことのレコーディング。彼らの新しいアルバムは様々な歌い手との共演。ニッティグリティ・ダートバンドの永遠の絆のように自分たちが小さなときから聴いて影響を受けてきた人たちを招待しての制作という。NGDBの永遠の絆と、その後の50周年記念のDVDをちょうど友人からもらって観た直後だったので気分が盛り上がってしまった。
声をかけてもらっただけでも光栄なこと。オペレーターの石崎さんとも久しぶり。すっかり楽しい時間を過ごし、やなぎさんの運転で送ってもらい、2人からお手当てまでいただいてしまった。貴子ちゃんとのダルシマーのデュエットは殊のほか楽しかった。彼女とは親子のような年齢差だ。若い人と時間を過ごすのは嬉しいな。
帰宅するとダルシマー友達からメール。なんでも今日はジーンリッチーの2回目の命日だという。私はダルシマーを親指先の外側のところを使ってメロディーを弾くのだが、今日は沢山弾いたのでちょっと痛い。

6月3日神戸垂水 Vocalistにて
まっちゃんライブNO.232。
黒糖焼酎しか置いていない店。
マスターが今年脳こうそくになったという。
早い対応で命拾いした。しかし、高次脳機能障害の後遺症は続くという。毎日それでも店を開けるのだ。
じゃんぼさんと数曲。良い人たちが集まってくださった。
終ってからは黒糖焼酎と柿ピーでゴソゴソヒソヒソとお喋り。私の大切な神戸の仲間。帰りは眞城家のゆうすけがギターと荷物を持ってくれる。有りがたいこと。

6月4日淡路島スタンダー堂にて
治井さんは去年大阪のアビリーンに聴きに来てくれた。そして今回お世話になった。じゃんぼさんの中学の後輩という。それから眞城佳奈さんの友達でもあって、さまざま繋がるのだけれど、治井さんはとてもシャイな人だ、遠足のような、はじめての淡路島。快晴の明石海峡!泊まるホテルはオーシャンビュー。
スタンダー堂は地元の食材をつかう食堂。みんなこの夜に食べる地魚のカルパッチョを楽しみにした。皆さんが頑張ってお客さんを呼んでくださった。ノーマイクで。ライブ後、カルパッチョもおいしかったが、淡路のたまねぎと釜揚げシラスの山盛りになったのが素晴らしい味だった。滋賀県から来たというお客さんと話した。なんでも琵琶湖と淡路島の形が似ているのだそうだ。ジグソーパズルのピースみたいにはまるらしい。近畿地方
ホテルでも修学旅行気分で一つ部屋にて缶チューハイを開けたけれど、結局飲み干す前に眠くなった。治井さんの連発する知らないおばちゃんの物真似が可笑しすぎてお腹が痛くなった。そんなに面白いネタではないのだけれどハマった。はしゃいでいたから。



6月5日、じゃんぼさんは神戸へ、治井さんと佳奈さんが私を徳島駅まで送ってくれた。神戸から橋を渡って四国に着いた。四国は4県の表情が全く違うと感じる。徳島は一番なじみがないのだけれど、一番のんびりとした空気。
阿波池田乗り換え高知まで。私の好きな土讃線。吉野川の渓谷を見下ろしながら走る。
高知では3日間を大好きな宿M Houseで過ごす。ここはアーティスト専用のゲストハウス。
夜、田村さん高須賀さんと食事、翌日の店パンチョスの下見という名の飲み会。お酒の強い人たちの街。カウンターの隣の女性たちが盛り上がっていた。とことん飲むことを「やりきる」というらしい。私はやりきれない。
6月6日高知パンチョスにて。主催の田村さんのバンドは「五月の風」という。マータイの苗木というオリジナル。ワンガリ・マータイさんのことだ。
高須賀さんは毎回新鮮だ。今夜はニューメキシコへ行った時の歌、ずいぶん昔の歌らしいけれど、国境の町の情景は暗い憧れの匂いがする。
翌日はゲストハウスにて関川夫妻と高須賀さんと食事会。素敵な台所があるので一品制作。トムヤムクン。
トウモロコシもトマトも四国は美味しい。関川さんはだんなさんが植木屋、奥さんようこさんは花や。ようこさんと夜の街のはなしで盛り上がった。花屋は歓楽街の舞台裏を知っている。私はそういう街にいたから、人や花が時々悲しい扱われ方をするのをちょっと知っている。というような話。高須賀さんの新しい恋はまだ始まらないらしい。
6月8日高松へ移動。
この街にあるむつう整体でゆっくりする。
女性専門の治療院は、治療というよりも、ほっと2時間のんびりとする場所だ。去年よりも元気そうと言われた。
体は疲れてはいるけれど、気持ちが清々しているのが去年とは違う。ホテルの近くまで送ってもらう。ありがたい。
お酒を飲まない日。お茶を入れてテイクアウトのお弁当を食べて、本を読む。
整体のあとはあまりよく眠れないことが多い。たくさん読んだ。
6月9日高松オリーブホールにて。
千葉秀幸さんと高須賀さんと私。
千葉さんが唄った「チョンハーへの道」初めて生で聴いた。新井英一さんの歌。千葉さんがCDをくださった。
オリーブホールのバーにはいつもよりたくさんのお客さん。私のYouTubeを観て初めて来た人もあり嬉しい。

久しぶりに昔の喧嘩相手とケンカした。ばかみたいにケンカしたまま別れた。ホテルで一人になって笑ってしまった。ほんとうにバカみたい。
6月10日 朝、喧嘩相手に挨拶に行った。「久しぶりにやったね、バカみたいだね、たまには派手にやるのもいいね」
「おう、血みどろになったりな、おもろいやろな」
「四の字固めとかいいね。もう電車乗るわ、またね。」

「駅弁買うなら、まつり寿司かアナゴ飯やで!」
別れ際そう言われたくせに、高松駅で私はタコ飯を買った。そういう人間同士なんだな。云うこと聞けない相手というのがあるのだ。タコ飯はちょっぴり物足りなかった。プラスティックの弁当容器をペコペコいわせながら物足りなかった。あいつが見たら「ほらみたことか!」というだろうな。でも、まつり寿司も穴子飯も、きっとおんなじくらい物足りなかったかもしれない。つまりは腹を決めない奴が悪いのだ。
もっとペコペコ潰して列車のゴミ入れに捨てた。


家族からの便り

宇和島カフェ・シェ・ペペのオープンマイクはいつも変わらずにノンアルコールで粛々と行われる。
今年は、ステージが少し低くなった。ビールケースを縦から横にしたのだと終わって片付けの時にわかった。この数センチが大切だ、上っても怖くなくなった。
出演者の皆さんが私のCDを買ってくれる、本当にありがたい。もちろん、ステージは店中の人が静かに静かに耳を傾けてくれる。
6月11日伊予市町屋にて。
大洲から亀田国見さんの車で行くのだけれど、今年は初めて内子の街に寄ってもらった。
町屋のオープンスペースは無料だけれど、ここでしか会えない人もあるのだ。町屋の音響機材が少し調子悪いのだけれど、国見さんが去年のセットを写真に記録しておいたので助かった!
この場所で12年ほど、毎年唄わせてもらう。唄う者に対しての敬意を皆さんから感じるところなのだ。高知で関川ようこさんと話していたように、人や生き物や植物や、真心のこもったものを石ころのように(石ころに失礼ですね)、どうでもよいもののように扱われたときに悲しみが湧いてくる。この場所で悲しくなったことはない。
夜は松山道後 ワニとサイ
流水龍也さんと。流水さんはギタリスト二人と。ブルースギターの達者な人たち。とっても盛り上がった。そして去年よりずっと元気そう。今年70歳。
私もツアーの最終日の夜、たっぷりと唄った。
南インドのカレーを作る若者が店にいた。混沌とした店だけれど、掃除は行き届いているのが心地よいわけのひとつ。黒猫のすみちゃんと一緒に二階の小部屋で眠った。
翌朝、桑村さんの旦那さんが車で迎えに来てくれた。奥さんの多恵子さんが空港まで送ってくれる前に温泉をすすめてくれた。結局温泉行くのをやめて桑村家のお風呂に入れてもらった。多恵子さんの作った卵とハムのサンドイッチを包んでもらって空港へ。
好きなものひとつ、一人汽車や飛行機に乗って食べる手作りのお持たせ弁当。おにぎりとみかんとか、サンドイッチとビールだったり、すこし泣きたくなる。
 
旅から戻ると同時に、沢山の量のCDR,DVDが届いた。
富良野の佐々木さんからのプレゼント第二弾。EvaCassidyだけでも9枚。イギリスのもの、アイルランドのもの、アメリカのは古いの新しいの。一つ一つジャケットの中もコピーされている、真心の音楽だ。
GregBrownのトリビュートが素晴らしかった! この人の奥さんがIris Demmentだって初めて知りました。
人に勧められて聴くことが最近少なくなったから、風がいっぱい吹き込んで、それだけで気分は億万長者のようだ。

6月16日ニューヨークで核兵器禁止条約の締結へ向けて交渉会議の第二会期がはじまった。3月の第一会期では残念なことに核保有国はじめ日本を含む大半の核依存国が参加しなかった。「あなたがここにいてほしかった」と書かれた折鶴が日本代表団席に置かれていた映像は忘れられない。
5月には禁止条約の草案が発表されて、その前文には「核兵器の被害者(ヒバクシャ)や核兵器実験の被害者の苦痛に留意する」という一説も盛り込まれている。
持てる国、持たざる国、傘の下にいる国、外にいる国、
核の脅威の前にはそんなちっぽけな立場など意味をなさないのだから、今こそ、日本をはじめ核依存国が交渉会議に参加するべきだ!
日本の様々な市民団体の活動がわかるページがあった。
https://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/  
 
6月17日横浜鶴ヶ峰「陽のあたる道」にて。
昼間のライブは昼間のライブの楽しさ。珈琲と余裕のある時間と陽の明るさ。
三回目のライブ、予約は少ないときいていたけれど、はじまったらお店はいっぱいになった。ありがたいこと。
遠くからも、富山の田中さん、岐阜の翠さん、静岡から毛利さんなど、そしてご近所、この店のライブのファンの皆さん、思いがけない人たちも。
宮田さんとは初めてだったけれど、バンジョーのことダルシマーのこにとても詳しくて、それなのに袋から私の「エレック時代のシングル盤を取り出して、それよりも驚いたのは78年春一番の私のフルステージの音源を家に持っているという。終わってからも話は尽きなかった。私が生まれて初めてダルシマーと出会ったのが1971年に来日したマイクシーガーのコンサートだったというと、宮田さんは大学1年生で、そのツアーの手伝いをしていたという。
生きていてこんなふうにゆっくりと着地する出会いもあるのだな。
トシさんが私の唄う歌詞のFortuneを唄おうと思うといった。少し変えるそうだけれど。フォークソングのすてきな旅路。日本に伝わって来た外国曲の辿る奥の細道。面白い。

6月18日高尾になかよし4人と食事。ごちそうになってしまった。お酒の値段がどれも高かったから、みんな飲みすぎずに良かったのかも。ご馳走さま。

21日 夏至の夜、なかなか寝つけない。去年もそうだった。何だろう、何か体のなかを巡る感覚。しょうがないので何度も明かりをつけて本を読む。


夏至の19時

6月22日汐留Blue Moodにて。
金尾よしろうさんに誘ってもらって。
今回は嬉しいことに、盟友大野えりちゃんと一緒。
えりちゃんと私は38年前に出会った。西麻布に住んでいた。その頃私の太ももはエリちゃんの腕くらいしかなかった。病気真っ最中だった。
そしてえりちゃんは、ジャズシンガーとして有名になっていた。
その後、私たちは違う場所で結婚とか出産とか生活を頑張って、暫くしてまた近づいた。
えりちゃんの教えるメソッドのおかげで、私は唄うことがとても楽に愉しくなった。レッスンは声を出すのはほんの少し、殆どは体操。そして、私の時だけはついついお喋りも盛り上がる。子供のこと、社会や政治のこと、重曹風呂や整体や安売り衣料のそのまたバーゲンのことetc.
一緒のステージなんて想像もしていなかった。
ベースもピアノも素晴らしいプレイヤー、
私の書いた拙いコード譜で、Blue Skies とBye bye black bird 。多分これから先に何度もないことでしょう。
今夜ほんとうに愉しい時間でした。
築地のお寿司を金尾さんたちにご馳走になった。グレープフルーツハイというのを飲んだら、早足の帰り道、えりちゃんも私も結構な気分になって終電に間に合った。

6月24日一橋学園 ローリングビーンズ
2回目ということで、ライブの途中にトークをいれようと言われた。自分のルーツ音楽について。「よしこの部屋」。企画してくれた中村さんは私のはじめてのシングルレコードをとてもきれいな状態で持っていて、感動した。中村さんすぎもとさんとDo't think twice ,its alright 、そしてダルシマーとの出会いを話して、リチャード.ファリーニャのPack up your sorrowsをフルで唄った。
その最中にドアが開いた。北海道の渡辺てりー&ヨーコさんが立っていた。
ほんとうに驚かされた。小平のコンサートの帰りという。ヨーコさんに会うのは一年ぶりだ。股関節の手術を2回やり、その手術の間に血管が破裂して死線をさ迷って、なんと今、杖一本で遊び回れるようになった。見ているだけで惚れ惚れしてしまう。
お帰りなさい!
おもいがけなく、沢山のお客さんに囲まれました。学生街の喫茶店とても良い場所です。

6月25日小田原鴨宮ジーズキャフェ
オフトーンズは小田原のバンド。いつか一緒に!が実現した。
リーダー相沢さんが、私のためにテレキャスターを貸してくれた。最初はあまりに重く汗びっしょりだったが、音を出したら愉しくなってきて、ズンズンとリハーサルした。本番、オフトーンズは殊更優しくて、自由な心で付き合ってくれた。緊張することなく、エレキを振り回してはしゃぐ私を寛大に扱ってくれた。SallyAnn .KASABUTA .崩れ落ちるものを感じるかい?どれもぶっつけ本番だから出来のほうは微妙だったけれど、初めてのバンドサウンドに私は幸せ。希望の光というオリジナルもオフトーンズらしくて素敵。

6月27日吉祥寺曼荼羅にて、
築秋雄さんの希望の翼。41回目という。毎月続けている。毎月は大変な努力がいる。
飽きたり煮詰まったり疲れたり、必ずある。でも、やり続ける処に咲く花がある。最近は永原元さんという相棒と一緒にステージをつくって力強い。
奄美出身の築さん、曼荼羅では毎月このライブで奄美の鶏飯をメニューにする。滋養があってさっぱりとした汁かけ飯、私は大好き。
春日はるなさんが散歩がてら観にきた、家から歩いて5分、いいなぁ。歌を聴いて元気が出たと言ってくれた。


八甲田のブナ林

6月30日十和田CUDOS. Sにて。
青森岩手のツアーに大人の休日倶楽部の乗り放題のパスを使うことができた。
憧れの乗り放題15000円。
今回は東京~七戸十和田~青森~一ノ関~青森~東京 JR 東海全線15000円。
駅に久見ちゃん明美ちゃんが迎えにきてくれて、CUDOS のリハーサルから食事まで3人で遠足のよう。中華料理ハルピンは分厚いメニューの数々の料理ことごとく材料不足のためたのめず、結局チャーハンとスープと餃子。アーケードもほとんどがシャッター降りている。CUDOS の工藤さんとの会話はいつも景気の悪い話ばかりだけれど、工藤さんはそんな話とは裏腹な楽観主義者だと思う。新しいこのライブバーは音も照明も素晴らしく、何より優しい。今年も贅沢なライブさせてもらった。打ち上げで馬刺、元気をつけて、ホテルで顔も洗わず眠り込んだ。
目が覚めると6月が終わっていた。
朝ごはんもたべず横尾忠則展を観に十和田現代美術館。
代表的な滝の絵、そして今年の作品、猫TAMAの何枚もの絵。TAMA はどこかに行ってしまって帰ってこないらしい。






一年の半分。これから始まる半分。


6月の読書
荒野の狼 H.ヘッセ
先月に続き ヒルビリーエレジー
 

©春日はるな