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9月17日 キュートな日
作詞家・作曲家・
プロデューサーの
中村泰士氏
が制定
【 日付 】
「キュー(9)ト(10)な(7)」と
読む語呂合わせから
【 新しい表現 】
中村氏は
「キュートな大人」
「粋な大人」
「いつまでも若々しさを
失わない愛すべき大人」を
「キュートナー」と
呼ぶことを提唱していた
「キュートナーの日」は
一般社団法人・日本記念日協会
により認定・登録された
ただし、その後に
同協会の記念日登録は
終了したようで
2023年(令和5年)9月時点で
同協会の認定記念日としては
確認できない
「喝采」
『第14回日本レコード大賞』
受賞
全作詞:吉田旺
作曲:中村泰士
編曲:高田弘
1972年9月10日に発売された
”ちあきなおみ”の楽曲で
13枚目のシングル
『北酒場』
「わたしの青い鳥」
第15回日本レコード大賞最優秀新人賞
第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞当時の
2大タイトルの曲
全曲作詞:阿久悠
作曲:中村泰士
編曲:高田弘
1973年8月にリリースされた
”桜田淳子”の3枚目のシングル
【 花の中三トリオ 】
森昌子
桜田淳子
山口百恵
3人の共通点は
1971年に放送が始まった
伝説のオーディション番組
「スター誕生!」
”森昌子”
3歳で
「スター誕生!」出場し
初代グランドチャンピオン
翌1972年7月に
シングル「せんせい」で
歌手デビューし
いきなり大ヒットを記録
1972年
「せんせい」で
第14回日本レコード大賞・新人賞
1981年
「哀しみ本線日本海」で
第23回日本レコード大賞・金賞
1983年
「越冬つばめ」で
第25回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞
”桜田淳子”
「スター誕生!」の
金谷勲夫ディレクターに
「予選に参加した560人の中で
彼女だけ白い帽子を被って
ニコニコしていた
誰が見てもあの子が
本命と直感したほど
煌めく笑顔が印象的」と
高評価を得ていた
1972年9月の決勝大会で
第4代グランドチャンピオンに輝き
番組史上最高の25社から獲得の
意向を示すプラカードが上がった
1973年2月に
「天使も夢みる」でデビュー
3枚目のシングル「わたしの青い鳥」で
*第15回日本レコード大賞新人賞
*第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞
さらにその年の大晦日には
*第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞
にも輝いた
”山口百恵”
1972年12月『スター誕生!』で
牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝
20社から指名を受ける
1974年の「ひと夏の経験」が
年端のいかない少女が性行為を
連想させるような際どい内容
「青い性路線」(性典ソング)と
呼ばれるようになり大ヒット
この「青い性」路線で百恵は
絶大な人気を獲得することになる
1976年リリースのシングル
『横須賀ストーリー』から
阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品を
歌い新境地を開き大ヒットの連続で
百恵の世界を決定的に形作った
その後 宇崎夫妻の提供曲は
シングル・アルバムを合わせ69曲
この2人を作家として指名したのは
周囲のスタッフではなく
実は百恵本人だった
今日も
岩田佳子のブログに
お立ち寄りいただき
有難うございました
流行っていた曲で
青春時代を思い出します
オーディション番組
「スター誕生」で
一躍有名になった
「花の中三トリオ」
このキラキラしたキュートな
お姉さんたちに憧れ
歌番組・バラエティ番組・ドラマや
人生設計などプライベート
なことまで釘付けでした
夢を叶えるために
オーディションに
挑戦する
子供達の自己価値
を上げるのも
私たち大人が
キュートでい続ける
ことではないでしょうか
だって
「あれしなさい これしなさい」
で「はいはい」という指示待ち
では自分で考え行動できる
大人にはならないし
子供の性格や
光る長所を見つけられるのは
やっぱり親ではないでしょうか
そして
その背中をそっと押すための
環境づくりなら
してもいいのではないでしょうか
まずは
不要なモノは置かない
モノの定位置を決めて
お部屋を整える
これだけでも
何事をするにも時短で
サクサクできるので
イライラしない
自分の外見も整えたら
鏡に映る綺麗な私に
ますますLOVEして
自己肯定感も
毎日UP
毎日コツコツ磨いて
大人がいつもキラキラで
キュートでかっこいい背中を
子供達に
見せてあげることは
あなたでも
ラクラクにできる
善は急げ
やってみよう
最初は
鏡の前で口角を上げて
キュートな自分を演じてもOK
いつの間にか
キュートな大人になってるから
では また
Have a nice dream❣️