川島芳子と今の僕(最終回)中編 | ♪ HARUNAのブログ ♪

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男装の麗人川島芳子とHARUNA(遥菜)のブログ

前世で行った場所を初め、色々な場所に訪問した時の
紹介ができたら良いと思ってます♪


川島芳子と今の僕(最終回)中編

前編、中編、後編で最終回。


僕の前世である川島芳子の記憶の紹介やスケッチ写真を
交えて紹介していこう。ドラマには描けていない部分の紹介。

前編からのつづき。


◆紫禁城
川島芳子時代の記憶で、子供の頃、紫禁城の記憶がある。
それは子供にとっては広大な広さの敷地に、僕以外誰も
居ない時があり、一人寂しい気持ちになって、その時の
そよ風がかえって不安になったのを覚えている。
何か芳子時代、全体的に寂しい記憶しかないかもね。

(記憶のイメージに近い写真が無いが、空はこんなに明るくない)


◆三等国民
日本に初めて来た時、不安な気持ちが有った。ブログの
いじめ問題でも触れたが、現世と前世で同じ体験をして
いる。同じ人生経験は幼年期から始まっていたのだ。
芳子時代、学校へ通う様になると、当時支那人は三等国民
として馬鹿にされた。長期的にちゃんころ言われてね。


◆粛親王
粛親王の葬儀を覚えている。当時遺体に口の中に丸い物を
入れる風習が有ったのだが、理由までは覚えていない。
確か魂がどうたらとか、だった様なうる覚えだが、その口に
入れた遺体を観るのが現世の僕は嫌だ。写真でしか見る事が
できないが。

(写真右:粛親王家)


◆松本高等女学校
松本高等女学校と川島浪速別荘の記憶は『youtube』で訪問した
際の動画が見る事ができます。


◆炭鉱
何処の炭鉱だろう?撫順かな?夜の炭鉱の記憶もある。
木製の渡り廊下が長く斜面に面して、ジグザグに続いており、
裸電球が一定の間隔で闇の炭鉱の通路を照らしている。

(昔見た記憶のイメージ写真は無いが概ねこんな感じ。

スケッチを描いてみた事があるが上手く描けないので資料写真のみ)


◆雪の降る夜
雪はとても印象が深い!雪の降る静かな夜の事、赤レンガ
造りの建物の窓から外を眺める。現世で似たような風景を
観て思いだしたのが、ニューヨークに行った際、泊まった
ホテルがレンガ造りのホテルで窓から眺めた感覚と、
前世の記憶がリンクした時だった。現世2002年頃かな?

(記憶がリンクした場面とは異なるが、別の記憶)


◆建物
レンガ作りの建物はかなり記憶があるが、室内の記憶も
多い。ある戦争映画のシーンで懐かしいと思って記憶と
リンクした場面がある。それが下記のシーン。場所は
覚えていないが懐かしいなぁ。


◆船上

船舶での記憶。
多分福岡大連を結ぶ連絡船に乗った時の記憶のスケッチ。


◆九五式一型練習機
真夏の暑い日、入道雲を見ていると、九三式中間練習機
(複葉機:赤とんぼ)が並んで2機飛んでいる。現世でも
夏に入道雲をみるとタイムスリップしてその時に戻った
感覚になる。懐かしく良い雰囲気の時だった。
複葉機の戦闘機だったと思うが、乗った記憶もある。


◆滑走路
海軍だと思うが格納庫と広い滑走路の記憶がある。この
記憶とリンクしたのが、航空自衛隊木更津駐屯地に
航空際で中学生の時に行った時に戦時中を思い出した。

(格納庫のイメージは大体こんな感じ。錆びたイメージだが)


◆開戦
前のブログでも少し触れたが、真珠湾攻撃のラジオを聞いた時の

衝撃が現世では9.11同時多発テロだった。
芳子時代と同じ年齢の頃に現世でも起きた。現世でも歴史的に

似たような出来事が有るのは、もしかすると未来の歴史も

決まっているのではないかと疑う。
この辺の事は僕にも分からないわ。しかしあまりにも重なる

出来事が多くて。


◆海軍工廠
港の工業地帯や海軍工廠など複数の港の記憶がある。
僕が現在住んでいる千葉に似たような風景の場所が、湾岸
地域に一ヶ所ある。

基本的に海が好きなのは多く記憶が他にもある。

(スケッチは港近くの町)


(後編へ)

芳子&はるな