今日は朝から息子にキレました
家を出る予定時刻を5分過ぎてなお、
パジャマ姿で朝ごはんを食べながらテレビを見ている息子
時刻をお知らせしてみたが、焦る気配なし(と私には見えてしまったが、後から息子は時間に気がついて慌ててご飯を食べていたらしい)
「遅刻はしたくない」「学校は休みたくない」とグズグズ言い出した…
さすがにキレ気味になり
「時間は分かっているよね、じゃあ何でテレビを途中で見るのを止めて支度しないの?」
って言ったら
「は?ウザ」
って息子が切り返してきたので完全にキレました
(何言ったか覚えてないくらいキレたwwww)
久々に完全にキレた私を見て、息子は泣きながら支度して学校に行きました
この際だから、遅刻でも何でもさせればよかったんだよなぁ…
(遅刻することによって学ぶこともあるでしょう)
このシチュエーションで、泣きながら支度をしてちゃんと学校に行くのも、あと数年でしょうか。
高学年、中学生にもなれば、徐々にこの手段は通用しなくなります。
そうなる前に、親子共にこれ以外のパターンを身につけておく必要があるのは
分かってる!
分かってるけど!!
あーあ、キレちゃった
人間ですから、たまにはこういうこともあるあるってことで
過去は変えられないので、これからどうやって関係性を修復するか考えます。
選択理論心理学を知って、学び始めて、「叱る」「怒鳴る」「無視する」「脅す」などという手段をもって相手に「正しさ」を「分からせる」ことを手放す決心をしていても…
怒ったり怒鳴ったりしてしまうこと…あるあるですね…
「それはみんな妖怪のしわざなのです」
って言えればいいのですけどね
選択理論的には「他人が私を怒らせた」のではなく「私が『怒る』という選択をした」と考えます。
「怒る」という選択を使う前に何か他に手段はないか考えて、違う手段を「選択」することも出来るわけなのです。
でもね、普段使い慣れた習慣はすぐに出てきやすいのですよねぇ
・状況を的確に判断し
・自分が何をすればいいか選択し
・自分が選択したことに責任を持つ
この3つの能力が必要だと思います。
そのためには、親が子供に「ああしなさい、これはしたらダメ」とガミガミ言って指示することは、あまり賢明ではないかもしれません。
親が子供に代わって物事を判断し選択していたら、子どもが自分で判断し選択する能力を養う機会を、奪ってしまうことになるからです。
親が決めていると、物事がうまくいかなくなった時に子どもは親のせいにします。親ができることは、子供が判断しやすいように役立つ情報を提供することです。
(以下略)
出典:「幸せを育む素敵な人間関係」柿谷寿美江 著 P27
これを知ってて、これを目指しているのにそうならない息子を見てキレてしまったのです。
でもね、これ↑がスムーズに出来るようになるには、(私の経験上、)まず双方が満たされて無いと成り立ちにくいのよ。
だから、
キレる前に
「息子は、何の欲求が満たされてなくて問題行動(=タイムオーバーだと分かっていながらテレビを見続ける行動)を『選択』しているのか」ということを察した上での情報提供をする、ということも出来たかな~って思うわけ。
選択理論では、
問題行動を起こす時は、何らかの欲求が満たされてない
って考えます。
それを「キレる→学校に行かせる」ということで「遅刻させずに学校に行かせる」ことは達成したけど、本当に大事な「根底にある問題(何が満たされてないか)」を見つける機会を失ってしまったわけです。。。
そう、
私がなぜ「怒って」「怒鳴って」子どもに「正しさ」を「教え込む」ことを手放したかというと、
それをやってしまうと、根底にある問題が見えないまま子どもは成長してしまう
(そして、そのまま思春期に突入…)
と言うことに気がついたからなのです。
今思えば、
子どもは学校に行くことで自由の欲求は完全に満たされない(そして、自由の欲求が相当強い人w)、そして、それなりに頑張っている自分を見て欲しい、認めて欲しい(愛所属の欲求と力の欲求)と言うのがありそうだなーと思うので
帰宅したら、その辺を意識した関わりができるといいなぁと思います…
(いきなり「宿題は?」って言わないようにしなくちゃね…w)
そして、そのために「私が」出来ることは何でしょう?何でしょうね?
あー