うちの息子が
「今日、いやなことがあったの」と。
クラスのお友達が(仮にAくんとしよう)、
ウソを言うのがイヤ
自分はいいコトをしているつもりなのに、Aくんは「オマエは悪いことをしているから先生に言うぞ」って言うのがイヤ
とのこと。
まあ、ウソつかれて脅されたと感じてるならば、確かにイヤでしょう
A君は(選択理論的に言うと)明らかに力の欲求が強いタイプ。
うちの子に負けたくないんだろうな…
何かで(仮にAくんが)負けになったとしても、認められないだろうなと言うのは簡単に予想できる。
それに、息子にとって「いいコト」でも、相手の立場で見たら同じように見えるとは限らない…
とは思いつつ…
まずは
「イヤだったんだね」という気持ちの再確認。
その後、どうやって声かけするか少し悩んで
「気持ちは分かった。で、ママにどうして欲しいかな?」と聞くと
「A君のママに『Aくんがウソをついている』と言って欲しい」とのこと。
おっと!
まさに(選択理論的に言う)外的コントロールですな
「自分は正しい、相手は間違っている。だから相手を正さなくてはならない」という
私の中では、外的コントロールは使って欲しくないのですが、 「あえて」 そのことは息子には触れませんでした
なぜか?
選択理論を学んでいること、選択理論の考えに共感しているのはあくまで「私」であって「息子」ではありません。
私には「私の正しさ」、息子には「息子の正しさ」、Aくんには「Aくんの正しさ」があって、自分の中の正しさは自分だけが大切にすればいい話なのです
どういう風に会話をするか悩みましたが…
私「ママはA君のママに言うことは出来ないよ。さっき、Aくんが『先生に言うぞ』って言ったとき、○○(息子の名前)はどう感じた?」
息子「いやだった。けいさつにたいほされればいいのにっておもった」(←おいおい
私「今、『けいさつにたいほされればいいのに』って言ったよね。もし、キミの望み通りAくんのママに言ったらAくんはどんな気持ちになるかな?」
息子「かなしい」
私「だよね。今、キミが言ったことはAくんが『先生に言うぞ』って言ってるのと同じようにママには聞こえるんだけど」
その後、
Aくんの脅しを無視するとか忘れるという選択も出来るし Aくんから離れて、Aくん以外のお友達と一緒にいるという選択も出来る
「いついかなる状況でも、自分が幸せだと思う選択を自分で選ぶ権利がある」ことは忘れないでね
今日のこと、ママに話してくれてありがとう
と伝えました
ちょっと1年生には難しかったかな?
小学生になると、幼児期に関わってきた親子の姿がそのまま子どもに出るな~ということを、改めて実感した出来事でした。
トライアンドエラー
その繰り返し。
今日も息子に学ぶ日々です