年長児の息子が、自分のヤリタイコトを言語化して意思表示することが多くなりました。
「○○がしたい」
「自分でやりたい」
「お誕生日には○○を買ってほしい」
などなど…
私が幼少の頃、自分の意見を尊重してもらった記憶はあまりなく
ただ、自分の意見を言っただけなのに(それを100%通したいとは思っていないのに)
「今、お母さんは大変なんだから、わがまま言うんじゃないの」
と、聞いてもらえることもせずシャットアウトされた記憶があります。
親になった今となっては、それを子どもに言いたくなるタイミングはしょっちゅうあります。
でも、でもね。
言いたくなる気持ちをぐぐぐぐーーーっと抑えて…ではなく
出来るだけ、受け止めて、話し合って、可能な限り折り合いをつけて双方合意できるように心がけます。
私は、子供にどうなって欲しいのか?
自分の意見を抑える子…ではなく、自分の意見を言える子になって欲しいです。
(もちろん、周囲に対する配慮は必要かと思いますが、配慮=意見を言わない…ではないかと)
でも、私が何も意識せずに育てたら、きっとそのような子にはならないでしょう。
なぜなら…(意識して変えていかない限り)自分が親から育てられたように、自分は子どもを育ててしまうのだそうです。
親に育ててもらったことは(今となっては)感謝できるけど、自分のような子ども時代は過ごして欲しくない、その思いで子どもと接しています。
自分の意見を言う=わがまま
と捉えられてしまうと、自分の意見を言うこと自体に気が引けます。
次第に、「自分の意見を言わないほうが平和なんだ」という思考になってしまいました。
承認欲求自体を放棄していた時期もありましたねぇ…
どうせ私なんて誰からも認められないんだ…って、自分から放棄してた
子どもの意見を受け止められる「ココロの器」を用意できるようになるためにも、親自身が「自分を満たす」ことが必要なのです。
自分を満たすために、何が出来るのか?何を意識して何を大切にしているのか?
今度は、そんなことも書いてみたいです♪