岡山桃太郎空港に降り立って走り始めた岡山ジョギング岡山市の日本三大稲荷の最上稲荷🦊から田園地帯を南に走ります前回元祖街道ランと言ったのは秀吉の「中国大返し」のこと
そのスタートポイントが秀吉が水攻めをした備中高松城1582(天正10)年3月15日に秀吉は姫路城を2万の軍勢を率いて出陣4月15日に高松城を包囲しかし高松城は低湿地を利用した沼城で鉄砲・騎馬戦法に強く城主が立て籠ったため、容易に攻め落とせる状況でなかった
そこで5月1日、秀吉は難攻不落の高松城を「水攻め」することを決定低湿地の沼城の利点を逆手に取った奇策だった秀吉は農民らに土俵1につき銭百文、米1升という当時として法外の報酬を与え、長さ3キロの堤防を僅か12日で完成させ足守川を堰き止めその水を流し込む
「秀吉はあそこの石井山に本陣を設けてこちらを見てたんです」城址資料館のボランティアガイドさんが説明してくれる。5月15日、秀吉は毛利軍との直接対決に備えて信長に援軍を要請信長は備中に赴く準備をして本能寺に入るそれを材料に秀吉は毛利氏との講和交渉に入る
6月3日夜、秀吉は明智から毛利への本能寺の変を伝える密書を手に入れ、和睦を成立させ4日午後には山陽道を東へ向かうこれがいわゆる中国大返し京都山崎天王山までの200キロを1週間で駆け抜けて、明智光秀を討ち、天下取りに向けて邁進するこの200キロランは、今後のジョギングリストに登録しておこう大河ドラマ「黄金の日々」で、緒形拳さんが演じた、主君信長の死を悼みながらも天下取りの野望を抱く秀吉の心理を見事に表現した名演は必見だ
一方、守る城主の清水宗治は、忠義の武士(もののふ)であった信長から寝返りを進められるも頑として応じず毛利輝元から「寝返ったフリをしろ」と指示が出ても「1日たりとも逆臣と言われるのは武士の恥辱」と拒み、城兵を助けることを条件に水上の舟の上で自刃辞世の句は「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」こういう高潔な武士の魂が日本人のDNAの奥深くに刻まれていて、それが現在の倫理観につながっているんだろうな
堰き止められた足守川には亀「亀は万年」てことは、あの歴史的イベントを目撃したのかなわけないか側頭部に赤い斑があるアカミミガメは、昨年より「条件付特定外来生物」に指定され、野外への放出が禁止されました小さいミドリガメの時は飼育が容易だが、成長すると攻撃的になり育てるのが大変になる外で日光浴させる場合、脱走することがあるので要注意
造山古墳は全長350m、高さ31mの前方後円墳で全国に築造された5200基の前方後円墳の中で第4位の規模を誇る葬られている人物は、通説では大和政権にきっ抗した吉備政権の大首長最新の古代人DNA解析で分かってきた古墳期の渡来人の大量流入と吉備国の隆盛との関連はうーん、この大首長のDNAを解析して欲しい自らのルーツの探求心と先祖を敬う心の葛藤
総社市に入り、備中国分寺741(天平13)年、聖武天皇は「国分寺建立の詔」を出し、貴族の対立や疫病・災害の危機を仏教の力で鎮め護ろうとしただが国司の怠慢のため、多くの国分寺の造営は滞った。747(天平19)年「国分寺造営督促の詔」により、造営体制を国司から郡司に移し、完成させたら世襲を認めるなど恩典を示すと、本格的造営が始まったいつの世も「ホントにやるんすか」みたくゴネる連中がいて、相当なメリットを与えると始めるみたいだ
ここの五重塔は壮観でした江戸末期の1844(弘化元)年頃に完成岡山県唯一の五重塔で下から、地・水・火・風・空の5つの世界(思想)からなる、仏教的な宇宙観を表しているアリストテレスの宇宙論も、土・水・空気・火・エーテル現代物理学の物質の状態も、順に、固体Solid、液体Liquid、気体Gas、プラズマPlasma、真空Vacuum紀元前から分かってた
吉備路れんげまつりが開催中で、連凧が揚げられてる凧と言えば、1974年にアメリカから輸入されたゲイラカイトの上昇力はすごかった風が弱くても揚がり、風が強い日には真上を超えて90°以上の角度まで行って焦ったものだったまだ売ってるのどこか揚げる場所あるかな
三宅酒造さんは1905年創業で吉備の酒・粋府を醸造「酒づくり大学」では、市民の皆様に、酒づくりの最初から最後まで、つまり日本酒の原料の都米の田植えから酒の仕込み、瓶詰めまでを、これまで一般には閉ざされていた酒蔵で、極力手作りでご体験頂き、交流の輪を広げるとともに日本酒に対する知識、理解を深めて頂きますこういう社会貢献、いいですよね
峠を越えて、倉敷市にやって来た人口47万人で中国地方で広島、岡山に次いで第3位そして西日本を代表する工業都市で、製造品出荷額では、倉敷市だけで岡山県内の約45%、全国では豊田市に次いで第2位このJR西日本の電車は相生行き普通岡山駅まで17分、意外と近い
岡山と言えば、天満屋1829(文政12)年に備前西大寺に天満屋小間物店を創業1925年に本店を岡山市に移し百貨店に2008年に倉敷店を三越跡地へ移転女子陸上部は1992年に働く女性の象徴的な存在とすることと、この年バルセロナ銀メダルの有森裕子さんが岡山市出身でマラソン熱が高まったことを受けて創設ここのきれいなトイレで着替えさせて頂きました
この日の最終目的地の倉敷美観地区にやって来たここはジョギングは別にしても、是非来たかったので、やって来れてとても嬉しい1642(寛永19)年、江戸幕府の天領に定められて倉敷代官所が設けられ、備中南部の物資の集散地として発展倉敷川の畔に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残しているGWの美観地区は多くの観光客で大盛況でした
「くらしき川舟流し」では、かつて物資を積んだ川舟の風情が味わえるゆったりと進む舟に腰を下ろして眺める白壁の町並みはまた格別チケットは当日券のみのため、到着したらまずは倉敷館観光案内所で購入するのがおすすめ大人700円ウェディングや前撮りでの貸切利用は1時間14000円「瀬戸の花嫁」的な写真が撮れるのだろうか瀬戸ワンタン 日暮れ天丼
大山日ノ丸証券倉敷支店(旧北田証券)の前に達筆のチョークで書いた「当面の相場見通し」4月初頭は、日銀の緩和政策継続と中東情勢悪化を受けて、株価は当面上値の重い展開を予測8月初頭の日経平均の急落急騰の前に読んどくんだったパニック局面で持ち高を変えることは運用成績悪化につながりやすいちょうど新NISA開始でビギナーの個人投資家が多いので、パニクるのも理解できるけど長い目で見てセクターを分散させて投資することが基本なのだ
大原美術館は、倉敷で親の代から紡績業を営む実業家大原孫三郎が、プロテジェ(被支援者)の洋画家児島虎次郎に託して収集した美術品を展示するため、1930年に開館ここの代名詞エル・グレコ『受胎告知』は渡欧中の児島がパリの画廊で偶然発見。大原に掛け合い高額だったが購入現在この名画が日本にあることは奇跡と言われてる今度空いてる時に見に来よう
というわけで、30キロの岡山県ジョギングを堪能して倉敷駅からJRを使い帰路に就くきむきむなのであった短い滞在だったが、岡山が産業・文化面で非常に肥沃な土地だと感じた近年多くの「クセがすごい」個性的な有名人を輩出してるのも納得だまだ行けてない岡山市街地は「中国大返し200キロジョギング」でお邪魔するとしようプランを練るのが楽しみだ