中山道美濃路の最後の宿場今須宿にやって来ると、広重の今須宿の浮世絵右の木の根元にあるのが『今中』の校章左下に2016.1.28 平成27年度卒業生一同なんと!卒業記念制作が地元の浮世絵のシャッターアートってスゴくないですか今中、なかなかやります
今須小中学校の窓に「おかえり」の文字コロナ明けの登校復活の時にこれを見たら涙出ただろうなえっ、2021年3月で廃校となり、関ケ原小中に統合なんと!でも登下校時に必ず見れる素晴らしいシャッターアートも残ってるし、今小中の思い出はずっと残ることだろう
今須宿の問屋場(といやば)跡問屋場は宿場で最も重要な施設で、メイン業務は、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶ、人馬の継立業務もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける、継飛脚(つぎびきゃく)と呼ばれた、飛脚業務やっぱロジって、いつの世も大事なんだな
オーツカは、1947年に笠松の紡績工場から創業して1973年に関ケ原工場を建設自動車・インテリア用カーペット、産業用資材等の不織布製造など、新素材・新技術のエキスパートに自動車のフロアやトランクもオーツカさん知らないところでお世話になってます
おくのほそ道 芭蕉道季語入りの上五を足せば一句完成だ右の石碑に発端と結びの章が刻まれてる『行く春や 鳥啼き魚の 目は泪』に始まり『蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ』で終わる完璧なコンセプト俳諧紀行だとなると『行く夏や 奥のほそ道 芭蕉道』でどうだえっ5点
野ざらし芭蕉道 句碑の『正月も美濃と近江や閏月』は、芭蕉が詠んだか疑わしい存疑句とは言いつつ、工場の敷地の中にこれだけの芭蕉の石碑を並べてくれているオーツカさん、スゴイですこういう社会に貢献する会社、応援したいですね
近江美濃両国境寝物語この50cmの幅のショボい溝が県境って、ちょっとスゴいこの溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので、寝物語の名前が生まれた冒頭のシャッターアートに描かれた広重の浮世絵はここだったんだ
しばらく進むとGoogle Mapsに「分水嶺」と書いてあるんだけど、なかなか見つからないと思ったら、この長比城跡登り口の溝の所に何か立て札が建ってる
右側の溝には「この溝の水は伊勢湾に流れます」どう流れていくかというと、この溝→今須川→藤古川→牧田川→水門川→揖斐川→伊勢湾ほんまや東海道ジョギングで通った伊勢大橋の下を通って海に流れ込むんだ
左側の溝には「この溝の水は大阪湾に流れます」どう流れていくかは、この溝→天野川(ほたるの川で有名だ)→琵琶湖→瀬田川→宇治川→淀川→大阪湾ということはこの道路が分水道道の上にトレーサー水分子を置いて伊勢湾に行くか、大阪湾に行くか、実験してみたい
名古屋9:48発金沢行きのしらさぎ5号だ冬の越前海岸ジョギングとかやりたいなぁ北陸新幹線の2024年春の敦賀延伸に向けて、そろそろ計画を作り始めなければ
柏原宿の喫茶「柏」には「やいとうどん」ってどんな「うどん」なんだろうとHPを見ると
「やいと」とは「お灸」の旧名中央のとろろ昆布と紅生姜がお灸が燃えているように見え、その下には人肌に見立てた卵があるこれはお店が開いてたら、食べてみたかった
(みなさまの…)ショッピングセンター信沢昔の街並みが残る宿場町でこれだけの大きな店舗があるって、ほんとに市街地化した宿場町以外ではけっこうレアかもしれない
柏原宿からしばらく行ったところの「Cafeにしむら」さんでアイスコーヒーを飲んで一休みちょっとヒートアップしてきていた身体を休めることが出来ました
ちょっとした森の中に入って行きますこの森を抜ければ次の新しい町が待ってる何かそういう新しい風景との出会いのためにずっと走り続けているような気がしてきたきむきむなのであったそれに出会ったら何かいいことがあるの?と素朴に聞かれると答えられないんだけど自分の中の「そぞろ神」と「道祖神」が新しい土地への漂泊の旅に常に誘って(いざなって)きて、それに無条件にホイホイと乗ってしまうのだ