7月最初の週末、岐阜県の天気が2日とも良さそうなので前回のゴール恵那から中山道ジョギングを再開だ東京からの最短ルートは東海道新幹線で名古屋経由なんだけど、木曽路の総復習を兼ねて北陸新幹線で長野経由で行くことにした
「都の西北」は早稲田大学で、その隣がバカボンのパパ出身のバカ田大学ついに「都の北」学園が出来るとは区立体育館を解体した跡地と中学校の運動場に新校舎を建てドッキングさせ、小中の旧校舎を解体して運動場にするって、なかなかセンスの良いリニューアルプランだ
荒川を渡って埼玉県に入りますこの通過中のルートが旧中山道大垣のゴールにたどり着いたら、軽井沢からのリターン・ジョギングを企画しよう前回走ったのが2008年なので、街もかなり変わってるだろう安中の核シェルター付きマンションとか鴻巣のカメランドヒグチとかまだあるのかな
軽井沢を越えると浅間山が現れた昨年の夏ジョギングした時に、今年の夏こそ軽井沢でワーケーションだと思ったのを思い出した都心が泣きそうに暑い日にヒョッコリやって来て、素知らぬ顔でテレワークしようかな
長野から特急しなの12号で篠ノ井線を南に進むと、姥捨駅手前の車窓が秀逸やはり、特に夜景が素晴らしく、日本三大車窓の一つに数えられているここは追分宿から長野、そして奥の細道の直江津へと続く北国街道ジョギングの重要チェックポイントにしよう
恵那駅に着くと、メチャクチャ良い天気気象庁のHPでこの日の恵那の最高気温を調べようと思ったらデータが入ってないそう言えば、この週末はauの通信障害でデータが転送されなかったんだ近くの中津川の最高気温は34.5℃ジョギングは控えた方がいい気温だ
なので、この日は恵那の観光スポットを見て、気温が下がる翌日走ることにしたのでしたまずは中山道広重美術館に来たこの日の企画展は「浮世絵DESIGN」浮世絵は流行に敏感な江戸の庶民を中心に流通したので、常に斬新なアイデアが求められたそこでアングルやレイアウトに工夫を凝らしたオリジナリティーのある作品が創出され続けた
広重の「北陸道七ヶ国」では、大小異なる形をした画面枠に、右上「若狭」の干しカレイ、左上「越前」はウニ取りをする親子、左下「加賀」は偽の勧進帳を読み上げる武蔵坊弁慶右下「能登」は日和山からの九十九湾が見事に描き分けられてます。確かに印象的な構成だ
2Fには「重ね摺り体験コーナー」があってこの3点の重ね摺りを、ボランティアのアドバイスを受けながら体験出来ますこれは楽しくて感動しました小中と図画工作はずっと「3」だったので、だいぶズレちゃったけど、このくらい離れて見ると、それなりにいい感じだ
北に見える台形の山は笠を置いたように見えるので「笠置山」、標高1128m山腹から頂上にかけて、古代絵画・文字が刻まれたピラミッド・ロックなどの巨岩群があるみたいだ
恵那納涼水上花火大会は恵那峡公園一帯で7/30開催二千発の花火の大音響が峡谷にこだまし、恵那峡の湖面に大輪を咲かせます2年間中止となっていたので、今年は実施出来て良かった若者たちも、その咲き誇る花を見せたいという根源的な本能を、長い間封じられてきたので、それを存分に開放して欲しいものである
大井宿の明治天皇行在所は、1880年6月に明治天皇が御巡幸の折に、急遽、お隣の土地を譲り受けて御座所とお風呂、畳敷きの便所を新たに作ったものこの欄間は一本彫りで作られてて相当気合入ってます明治天皇は、甲州街道から木曽路に入り、恵那から下街道を抜けて名古屋に、桑名から東海道を神戸まで御巡幸され、船で帰京馬車での御巡幸だったので、箱根峠、碓氷峠、和田峠などの難所を避けたんだな
この部屋が1880年6月28日に明治天皇がお泊りになった後、誰も泊まっていない部屋2021年に改修されてかなりきれいになってますボランティアの方に丁寧にガイドしてもらって、とても良かったです「そうですか、中山道をずっと、この後、十三峠は大変ですけど、碓氷峠ほどじゃないでしょ」と、普通の時だったら、そうなんですけどね
そして、この日の宿は、旅館「いち川」さんかつては「角屋」と呼ばれた街道沿い、枡形の角にあり、若山牧水、北原白秋など文人墨客に愛された400年の歴史を持つ老舗旅館だ大井宿で41軒あった中で唯一現存している旅籠なのである
中に入ると、いわゆる昭和初期の旅館風でHP最初の「懐かしい場所におかえりなさい」がピッタリな感じだ寛永年間、初代市川佐右衛門が創業。大井町長をしていた第13代が1935年に枡形道路は不便だと、所有地を提供して大井橋までを直線化し、その際に新築したのがこの建物と14代がHPで語り、この日は、15代女将と16代若女将にご挨拶頂きました
客室は、奥の別館で庭に面した落ち着いた部屋で、ぐっすり眠ることが出来ましたこの日はauが通信不能な日だったんだけど、Wifiも完備してて、助かりましたニュースを見て、台風4号が東シナ海に入り、もともと土日ともに晴れだった天気予報がだんだんと下り坂になっていることを知る
夕食は、わざわざ2Fの一番見晴らしの良い部屋をアレンジしてもらって、飛騨牛のしゃぶしゃぶをメインとした会席料理ビールと地元岩村醸造の地酒「女城主」を飲みながら美味しく頂きました
翌朝は出来るだけ早く出発して、午後から降り出す雨をかわしたかったので、この後すぐに精算して翌日は鍵をフロントに置いて出るだけの態勢にして眠りにつくきむきむなのであった何とか天気が保ちますように、との祈りは神様に通じるのか