昨年GWにオーストリアのウィーンとハンガリーのブダペストに行っていた。ウィーンのMercure Grand Hotel Biedermeier Wienは素泊まりには申し分のないホテル早朝到着なのでEarly Check-inして早速街に繰り出す。
シュテファン大聖堂はウィーンのランドマーク的存在。南塔は1359年に65年がかりで完成136.7mで教会の塔として世界第3位足利尊氏がいざ都へと進んだ1338年に建造中だったんだ
ペスト記念塔、三位一体塔 1679年ウィーンでペストが大流行して少なくとも76,000人が命を失った。ネズミに寄生するノミを媒介して感染拡大東西交易の要衝なので物資と共に病原体がやってきていたそこでハプスブルク家のレオパルド1世が流行終結後建てたのがこの塔。最上部の西の顔が父なる神、東が神の子、北が聖霊を表してる
ミノリーテン Minoriten 教会 高校卒業時に『マイナー志向なのに”受けをねらう”ので、失敗していじめられる、とてもいい性格』と自称していたので、何となく親近感が湧く名前でした
Corner Stoneは、このMinoriten教団の創設者のアシジの聖フランチェスコ比較的裕福な身分で享楽的な生活を行っていた青年時代から回心して、1208年頃から「裸のキリストに裸で従う」、つまり福音に書かれたイエスの生活を完全に模倣する活動を開始、当初は好奇と侮蔑の対象となったが、その後、共鳴する仲間が増え、「小さき兄弟団(Ordo Fratrum Minorum)」を結成。その後発展し、死後、聖人となるミッキー・ロークが主演の映画にもなってるんだ不図見た何かに魅かれて写真を撮り、それが波紋のように拡がっていく過程が大好きだ
マリア・テレジアK.K ( Königin 女王 & Kaiserin 皇后) は、実質的なハプスブルグ家の「女帝」ハプスブルグ家カール6世の長女として生まれ、6歳の時にロートリンゲン家の15歳のフランツに初恋彼と奇跡的に恋愛結婚を果たし、男兄弟が夭折したため、フランツはハプスブルグ=ロートリンゲン朝の皇帝になり、彼女は皇后となるその後、男5人、女11人の子を産み、末娘がマリー・アントワネット
美術史博物館は秀逸でした正面がアントニオ・カノーヴァの「テセウスとケンタウルスの戦い」
「テセウスの船」とは、パラドックスの一つで、アテネの伝説の王テセウスがクレタ島から帰還した船をアテネの人々は大事に保存していた。彼らは朽ちた木材を徐々に新たな木材に置き換えた。この時、このテセウスの船は同じものと言えるのか、違うものなのか?という命題「動的平衡」の福岡伸一先生は絶対「同じもの」派だね
昔パソコンの壁紙にもしていたくらい好きなブリューゲル作品群が多く展示されていて、その中でも一番好きな「バベルの塔」3つのしもべに命令だ!3つって…怪鳥ロプロス空を飛べ♪1羽、ポセイドンは海を行け♬1台、ロデム変身地を駆けろ♪1頭か1人、だから共通の数え方が出来なかったのか
そしてルカ・ジョルダーノの「大天使ミカエルと叛逆天使たち」 このテーマは、宗教改革以来最も重要視された主題のひとつで、対抗勢力に対する勝利と失墜を意図とし描かれたと解釈されている。要は勧善懲悪ってことそんなにヨーロッパ人って分かりやすかったっけ
ラファエロの「草原の聖母 Madonna del Prato」は、ダヴィンチの影響を受け、聖母子と幼児の聖ヨハネを三角の構成で表した作品假屋崎さんのよく言う生け花の三角形の構成はダヴィンチから受け継がれたものだったのか
みたいな感じで、素っ頓狂で的外れな解釈をしながら、しかし真面目な眼差しで絵画を眺めているきむきむなのであった中心街のリングを脱出してシェーンブルン宮殿を目指してジョギング開始だ