⑮2015/8/9 石巻~登米 39.1km
2015年の夏、インドに行くつもりだった。飛行機もホテルも予約して成田空港に行って、
カウンターでパスポートを渡すと
「お客様、ビザは」(パスポートを素早くめくりながら)
「いや、この『地球の歩き方』に書いてるように、デリー空港でVOA(Visa On Arrival)を取りますから」
「お客様、その制度は2月に変更されました」
「えっ!」
ということで、成田から飛び立てず、スゴスゴ自宅に引き返す。瞬殺だったポッカリ空いた夏季休暇そうだ、あの続きを走ろう
翌朝、衝動的に早起きして6時32分のはやぶさ1号に乗り込み、仙台から石巻を目指します
仙石東北ラインはこの年5月31日全線開通前回のジョギングで工事していた海際の線路を通過します直してたものが完治しているって嬉しいものです
前回左下から「萬画の国・いしのまき」に入り、さるとびエッチャンの日和大橋を渡って、鹿妻のぶー亭を見て、鋭角ターンして、石巻駅まで戻ってきたのでした。今回は北へ北上川をずーと遡ります
旧北上川の堤防の上を走りますこの堤防を溢れるような津波が遡って来るなんて想像できないですよねもともとはこの川が本流だったんだけど1911年から23年かけて、東側に付け替えられる
北上川だ確かにこれを最初から開削したら20年くらいかかるかもしれないこの下流には、津波で児童74人、教職員10人が犠牲者となった大川小学校。現在、震災遺構として整備中。2021年4月に公開予定。本当はルートに入れたかったんだけど、ちょっと遠すぎて断念
この場所は、上空からはこの年の6月アメリカから帰って来た時にたまたま見ていて、右から左に流れているのが北上川最下流で、真ん中に新北上大橋。その左上に大川小学校はあって、震災の時には、混乱の中、橋のたもとの高台に待避したところを北上川を逆流してきた津波に飲み込まれたのでした。
「どうぞ安らかにお眠り下さい。」
北上川沿いの国道45号線をひたすら北に進みますただ靴が足と合わなかったようで、足裏がだんだん痛くなってきたこれはやっちまったかもしれない
登米市柳津に入ると松尾芭蕉ゆかりの地のモニュメント碑には、この辺りの奥の細道の文が書かれている。『明くれば又、知らぬ道まよひ行く歌枕をよそめにみて遙なる堤を行く心細き長沼にそふて、戸伊摩と云う所に一宿して、平泉に到る。』 戸伊摩(といま)???登米(とめ)なんですけど
とよま盆おどり大会は8/15交通公園にてって(とよま)???奈良時代以前からこの地には「遠山(とおやま)村」という村があり、これが「登米(とよま)」の語源。明治初めの郡区町村編制のときに簡易な読み方として「とめ」が郡名に採用され、郡名は「とめ」、町名は「とよま」となった合併によって誕生した登米市の市名は「とめ」だが、旧町名の大字の読み方は「とよま」である
この日は登米(とめ)祝祭劇場大ホールにてピアノ&声楽のサマーコンサート何か文化的な町だ
みやぎの明治村・とよま観光物産センター遠山之里登米の名物「あぶら麸」や「はっと」をはじめとした地場産品・お土産品・季節の地元新鮮農産物や手作りの加工品などを取り揃えております
「油麩」は、グルテンを練り上げて棒状にし揚げるたもので、煮物や味噌汁の具として用いられるが、ここでは「油麩丼」として食する方法が名物化カツ丼のカツの代わりに油麩を使うところ以外は基本的にカツ丼と同じであるが、油麩がカツより水分を多く吸収するため、だし汁を多めに使用する必要がある
「はっと」は、小麦粉を練ってつくる郷土料理で、小麦粉に水を加え、耳たぶ程度のかたさになるまでよく練り、寝かせ、熟成した生地を指で薄く延ばしながら醤油仕立ての汁に入れ茹であげる
食すんだったか 何か「とよま」は「とめ」に対して対抗意識満々だし
教育資料館は、旧登米(とよま)高等尋常小学校校舎建設に携わった大工の山添喜三郎は1873年のウィーン万博で日本館を建設し、その後、西欧建築を学んで帰国。この校舎を建設するにあたり、屋根瓦は一枚一枚重さを計り、一夜水に漬けて翌日また重さを計って吸水量を調べ、多くを不合格としたため納入する瓦屋は倒産工事請負をした大工棟梁は夜逃げ工事の厳しさから山添に恨みを抱く者もおり、検査のため山添が屋根に登ったところ梯子を外されたなど、山添の妥協を許さない態度が理解されずトラブルが起きたが、どんなことが起きても屈しなかったからこそ今日まで残る堅牢優美な校舎があるのであるこういう孤高の人いるけど、正直チームワークで作り上げた仕事にはかなわないと思う
このあと、登米の穀倉地帯の真っ直ぐな道をひたすら進むんだけど、天気が良くなってきて気温が上昇靴の選択を間違ったため足裏が相当痛いでも東北本線ははるかかなた進むしかない
そして、この青い空のおかげでインドに行きそびれた残念を振り払うことが出来ました
迫川(はさまがわ)は低湿地帯を流れる河川だったので、曲がった旧河川を8年かけて真っ直ぐな広い水路の新迫川に付け替えて旧北上川にダイレクトに流し込むようにして水害を防ぐことに成功
奥の細道ジョギング初のお泊りですここ登米に来るためには、仙台からバスで1時間半かけてくるのが最短それなら明日も走って平泉まで行ってしまうのが得策と判断して、初の宿泊をするきむきむなのであったしかし、翌日、悪夢が待っていた