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記憶の中で思い出を重ねた時 記憶の中で思い出の扉を開いた時 あなた達がそこにいて私もそこにいる あなた達は私の記憶の中で生きている 記憶の中で生きている 触れることはできなくても 温もりは消えない あなた達の声 笑い声 不器用な 未完成な そんな人間だった 生き抜いていること自体が「罪」なんだと感じていた時も あなた達のためにも深く生きると誓った時も 早く忘れてしまいたいと思った時も あなた達は私の記憶の中で生きていた 忘れないよ あなた達の短所も長所も 忘れられないよ雑踏の中でも 私の中であなた達を「過去の人達」にできないから 同じ時間を共有したあのひととき 稀に私の夢の中に出てくるよね 雨が止んだ時 雪が止んだ時 涙が渇いた時 また会おう 体、壊すないように 世界が違うだけ 価値観が違うだけ 再会を果たす時までお互いに深く生きよう この次出会う時も 幸せな笑顔を あの海に眠る時まで 私は女川を愛したい
あなた達が残した言葉を あなた達が刻んだ足跡を みんなに伝えたい。

14時46分。皆さんはどこで大切な人へ祈りを捧げましたか?私は女川の海岸線に立っていました。女川町の追悼式典には行かず、海を見つめていました。サイレンが鳴り黙祷。ボランティアかも知れませんが、お坊さんがその場でお経を唱えていました。そして、すぐ高台の女川地域医療センター(旧女川町立病院)へ。そこにいたNHKのクルーが生放送で14時46分の様子を伝えたのを見届けると、地域包括センターの後ろにある熊野神社の階段へ。最後の画像がそれです。

m.youtube.com/watch?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DDngU0NJl3cY&v=DngU0NJl3cY&gl=JP

町内のいたるところで、亡くなられた場所・家があった場所と思われる所にご家族で花を置いて合掌する姿が見受けられました。

私は私なりにあの日の津浪を想定し、熊野神社の階段へと避難訓練をしてみました。なぜなら私はあの日の津浪を肉眼で見ていないからです。津浪を目撃された方は海を見ることすら躊躇うはずです。その方々の分も深く、私なりの避難訓練をしてみました。

全世界、全国から様々な支援がありました。心からの感謝とこの祈りが届くことを信じて。