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ある戦争体験者の年配の方は言いました。

「私がどれだけ戦争の悲惨さや平和であることのありがたみを語っても、戦後生まれの人達は熱心に聴いてくれない。」

様々な人々の運命を左右した第二次世界大戦。本当に日本人や我々の先祖達があの様な行動を取ったのか。アメリカ国民の怒りが広島・長崎に原子爆弾を落とすまで巨大なものにしてしまった。その怒りを我々の先祖達が売ってしまったのか。私達にその先祖達の血が流れているのかと考えるとおぞましさを覚えますが。現実を受け入れ、二度と同じ過ちを犯してはならないと思うと同時に、そのおぞましさを受け入れたくないと言う拒否反応すら覚えてしまいます。

出来事は時を重ねる事に忘れ去られるものなのかも知れません。年配の戦争体験者が語ったように。

そして、性質や規模こそ違いますが、この津浪のこともいつの日か忘れ去られる日が来るのです。

東日本大震災。死者15,854人、行方不明者3,276人。女川町の場合、震災当時約1万人。これに対し死者575人、行方不明者347人(2月末現在)。町民の12人に一人の計算になる模様。学校の一学級に換算すると2、3人となるか。震源地に近かった女川町。女川は地盤が強いことで有名で、この地盤の強さに東北電力が目をつけ女川原子力発電所を建設した。9年前の2003年の地震の際も石巻震度6弱、女川4。2007年宮城岩手内陸地震の際も栗原市で震度7、女川はそれ以下。地震に対する恐怖よりも津浪に対する警戒心は以前ももっていた。引き合いに出されるのは1960年チリ地震津浪。死者は0であるが。当時の写真(女川第一中学校に通じる坂から撮られた物)を女川の図書館で見た覚えがある。当時の国鉄女川駅に迫る波を町民が呆然と見ている図である。しかし、今回の未曽有の大震災。あまりにも失うものが大きかった。

体験した私の思いは風化される。なにを残すかだと思う。教訓。

高台に逃げること。この時期、新しい志と共に古里を離れる方も多いと思われるが、新天地での避難経路確保することも忘れてはならない。防災グッズを揃えること。懐中電灯や蝋燭類はもちろん、家が高台にある方はプラスしてカセットコンロ(オール電化の家に住まいの方は必須)、食料品、水の確保。

災害はいつ起こるか解らない、地震だけとは限らない。土地によってことなる。火山の噴火、地滑りだったり。

なぜこのような事を書くか、今日は昭和三陸地震から丸79年目。あの大嘯災記念碑に記された津浪に用心の先人達の教え。

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