石巻でボランティア女性、きりで刺される。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110517-777228.html

今まで、たくさんの方がボランティアで宮城県内を訪れた。自衛隊やアメリカ軍、インド軍、その他有名人や様々な団体のボランティアの方々もお越しくださった。

石巻市は隣だけど、女川町にもたくさんのボランティアの方がいらっしゃった。あの大災害、精神的に追い詰められたというのも情状酌量の余地が多少あるとは思う。ただ傷つけた暴力行為はいただけない。なぜ感謝の意思を伝えることができなかったのだろう。

今でこそ各方面の方々のボランティアのおかげで、落ち着きつつあるのに、今回の事件は残念に思う。

私は私なりに自衛隊や各ボランティアの方に感謝の気持ちを自分なり伝えてきたつもりだ(どれだけ伝わったかは別として)。

自衛隊のお風呂にお世話になっていたころ、自宅から総合体育館まで歩いてかよった(田舎のJR路線1駅分)。4回くらいかな、「すいません○○はどこにありますか?」と聞かれた。1回目は総体から自宅に戻る途中、名取から来たグループに尋ねられた。そのグループは救援物資を運びに来たのだという。ただの瓦礫の山で目印が無かったので、「私が助席に乗ります」といって家とは反対方向だったけど、車に乗りナビ代わりに教えた。

2回目も総体から自宅に戻る途中に「役場に行きたい」と尋ねられた。仙台から女川にある施設の無事を確認しにきたのだという。やはり自宅とは反対だったが助席に乗せてもらってナビをした。

3回目は以前、日記にも書いたけど、自宅から総体に行く途中、横浜から来た5人組が「地元の人ですか?」と尋ねられた。話しをしていく内に「横浜から!?」なんてビックリしている。最終的に仲良くななはらアドレスを交わして、いまだに交流は続いています。

4回目は自宅に戻る途中、「総体はどこですか?」と聞かれたので、その人の車に乗りナビをした。雑談を交わしていると「総合体育館に避難している知人と連絡が取れたので、会いに行く」とのこと。目印を教えて、帰ろうとした時、その仙台から来た年配の夫婦さんがパンを一斤を持って「もらってください」と言った。ナビをしてくれたお礼だと言う。私は受け取らなかった「俺は大丈夫です。他に必要としている人がたくさんいますから、その人に渡してください」と言うとその夫婦はそれ以上言わなくなった。気持ちはすごく嬉しかった。でも受け取れなかった。あの混乱期でも。

今は様々な団体や個人のボランティアのおかげで多少落ち着きつつある。

少なくなってきたとはいえ、まだまだ混乱期は続くとは思う。でも、復興に近づいているのは確かで、これからはこの恩をどうやって返して行くか、これが我々に課された宿題だと思う。

そういうの考えていただけに一部の方が恩を仇で返したのが非常に残念である。