確かにそーかもしれませんね。だけどそもそもの問題は蕎麦やラーメンといった汁物の出前システムが普通にまかり通ってる点にあるんじゃないでしょーか。ピザや寿司のデリバリーならともかく、汁物は最も美味しい状態で届けるのは不可能でしょ…
そして3人で初詣に。
俺は自分が良ければ他がどーなろうが知ったこっちゃないという人間ですが、さすがに初詣の時だけは家族や友人の健康を願ってしまいますね。神様の前だから本当の自分が出ているのか、それとも神様の前だから良い人間を演じているのか、それは俺にも分かりかねますが…
そしてかなの書の部門で文部科学大臣賞を獲得したのがこの子。
漫画ではちょこちょこ見かける京都弁キャラですな。キャラを立てるのに方言という属性を付与するのは簡単な手法にも思えますが、これはこれでなかなか難しいことなんですよ。漫画で方言を表現するのが難しい一番の原因は「方言を活字にすると読みづらい」という点に尽きると俺は思ってます。俺もね、このブログを始めた当初は関西弁で文章を書いてるんですよ、だけど不思議なことに自分でも読みづらいんです。世に溢れてる書籍の99.99%は標準語で書かれてますからね、関西人といえども関西弁を聞くことには慣れていても関西弁を読むことには慣れてないんです。関西弁を書くことにも慣れてないんです。俺もブログを書きながら関西弁での表現に四苦八苦し続け、こう結論付けました「正真正銘の関西弁は活字化できない」と。これはメールやLINEでも同じことでね、関西人が関西弁で文章を書いてもそれはもう関西弁じゃなくなっちゃってしまうんです。だから俺は割り切って「しゃべる時は関西弁、文章を書くときは標準語」と区別してます。関西弁だけで文章を書くとどうしても無理が出てくるから標準語を織り交ぜる、その結果エセ関西弁っぽい文章になる、それが嫌だから俺は関西弁で文章を書かなくなったんです。
さてここで昼食タイム、しかし問題が発生します。
ウワサは本当だったというか、関西人にとっては当たり前のことです。これに難癖つけてくる他地域の人間もいますが…そもそもの議論の前提として「炭水化物+炭水化物」というのは別に何の問題もないということを認識していただきたい。例えば焼きそばという炭水化物にパンという炭水化物を合わせて焼きそばパンになっても何の問題もないでしょ?ラーメンという炭水化物にチャーハンという炭水化物を合わせて食べても何の問題もないでしょ?つまりお好み焼きをおかずにライスを食べるのがおかしいかどうかを議論する際に「炭水化物+炭水化物はおかしい」という点は論点にはならず「食い合わせが良いか悪いか」この点だけが論点となるべきなんです。
我々関西人といえどもさ、ピザをおかずにご飯を食べたりはしないし、寿司をおかずにチャーハンを食べたりはしません。合わないものは食わないんです、つまりお好み焼きと白米は合うから食べてるんです。ただそれだけのことなんですよ。なのに「炭水化物をおかずに炭水化物を食べるのおかしくない?」なんて発言をすること自体が的外れでみっともない。という事実を他地域の方々は認識していただきたいものです。
そして晩御飯の後。
何が凄いかってこんな巨石を運んだ人たちが凄い。大阪城に点在してる巨石は瀬戸内の島々から切り出されたものだそうですからね、それを大阪まで運ぶのは至難の技です。現代人にそれをやれって言ったって多分できませんよ…
そんなこんなで大阪で出会った望月と一条。2人は小学校の同級生でした。
小学校って何故か男女をペアにして座らせますよね。まぁ小学校低学年の頃は特に問題はありませんが、高学年にもなるとあのシステムは様々なドラマを生み出してましたよ。甘酸っぱくて懐かしい思い出ですよね…そんな一条が通う豊後高校書道部、全国1位に輝きます。
そんな豊後高校に対して全国制覇を目標に掲げたら笑われちゃった望月さん、だけど心は折れません。
ふ~ん、頑張ってるんだなぁと感じてしまいますが…冷静に考えると世間の運動部はもっとやってますよね。これは一条くんの高校の書道部が凄いのではなく、世の中のほとんどの文化部がユル過ぎるというだけのことです。
世の中に100%無理なことがどれほどあるかは別として、自分の可能性を否定されたくないという気持ちは我々大人だって同じですよね。だけどさ、我々大人はより可能性を持っているであろう子供たちに対してついついその可能性を否定してしまうような言動を投げかけてしまいがちなんですよ。子供のためなんていう言葉を使いながらその可能性を潰して世間一般のカタにハメていく作業が教育だと信じて疑わない大人が実は多いんですよね…