きよの漫画考察日記983 修羅の刻第9巻 | きよの漫画考察日記

きよの漫画考察日記

我が家の本棚のマンガを1冊づつ考察中。
ちなみに3,000冊近くあります...

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お月様

さて平氏vs義経、その開戦の地はここです。
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今の兵庫県の加東市です。この加東市、全国的な知名度は皆無だといってよいですが、兵庫県民はかなりの確率でここを訪れたことがあるはずです。なぜなら加東市にはこれがあったからです!
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東条湖ランド!
兵庫県民じゃないとピンとはこないかもしれませんがね、ポートピアランドと双璧をなしていた遊園地です。俺と同世代の神戸っ子で東条湖ランド行ったことが無い奴はおらんでしょ…

つーわけで義経がさらに進軍したのは…
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鵯越!
俺の実家の最寄り駅は神戸電鉄の箕谷駅とゆーところです。ここから→山の街→北鈴蘭台→鈴蘭台→菊水山を経て次の駅が鵯越です。たった5駅ですが、歩いたらまる一日くらいはかかっちゃいます。ちゅーか油断してると遭難します(笑)「ここ、本当に神戸なの⁉」と思わずにはおれん秘境ですから。だって鵯越の隣の菊水山という駅に至ってはあまりにも山奥すぎて普通列車すら停まりませんからね(これはホントの話。1日の総乗降者数がたったの6人だと聞いたことがある)
そんな鵯越、もちろん「鵯越の逆落とし」で有名なんですが、これは神戸の北区っ子には納得できない事です。義経に鵯越で背後の崖から急襲された平家軍は散り散りに海へと逃げたという事になってますが、これは不可能です!絶対に不可能なんです!なぜなら鵯越ってのはホントに山の中でさ、どんなに平氏が馬鹿でもあんな所に陣を敷くわけはないし、そこから海へ逃げ出そうとしても海まで半日はかかりますから(笑)

つーわけでね、実際に戦闘が行われたのは鵯越ではなくこっちではないかと言われております。
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鉄拐山からなら崖を下ればすぐ海岸なんで史実には一致します。なので俺的にはこっちが正解なんだと思いますよ。つーか神戸の北区っ子は全員そう思ってるはずです。鵯越は無いわぁ…

さて迂回する義経、その頃源氏の本隊が教経と激突したのが…
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生田の森、これは現在でいうところの神戸の三宮や元町あたりのことを指します。さすがに森は残っていませんが、今でもその名の名残りはここに残っているんですよ…
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生田神社!
なんと1800年の歴史を誇るこの神社は神戸っ子にとって特別な場所です。この生田神社の周囲の土地は生田神社の所領だったわけでね、神社の所領、つまり神戸(かんべ)だったんです。ここからなんですよ、神戸という名の由来は…
……やっぱね、神戸という地名はかっこええよな。少なくとも県庁所在地レベルでみると一番カッコええ都市名でしょ。神戸に次ぐのが宇都宮でその次が松江かねぇ(あくまで名前の響きのみ)

さてさて鉄拐山に到着した義経。崖の下には平家の本陣…もちろん超有名なあのシーンです!
義経
「見よ、鹿だ!鹿も四つ足、馬も四つ足、なればいけぬはずはない!まずはこの九郎が参る!」
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これこそが「一ノ谷の逆落とし」です。
源義経の性格や人物像を正確に知る術はもはや無く、世間一般からの義経に対する好意的なイメージが正しいものなのかは判断しようがない。がしかしね、義経の戦歴から一つだけ断定できることがあります。それは義経が「奇襲の天才」だということです。少数の兵による奇襲で大軍を破る、最も有名なのはやはり桶狭間の戦いとゆーことになるんでしょーが、義経の戦いは常に大胆な発想に基づく奇襲の連続です。軍師と聞いて思い付くのは竹中半兵衛や黒田官兵衛、山本勘助あたりでしょーが、実は日本における最高の軍師は源義経だったのかもなぁ…

さぁもちろん義経に続いて崖を駆け降りる源氏の兵。
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カッコええ言葉よねぇ「命を惜しむな 名こそ惜しめよ」これぞ武士、これぞ侍よなぁ…
でもね、「武士道」という言葉が作られたのは江戸時代の事です。鎌倉時代における主君と武士の関係ってのは、御恩を与えられたから奉公で返すといった対価関係に基づくところが大きかったよーですよ。「武士は主君のために死ぬ」とか「武士は二君には仕えない」なんていう発想は当時はまだまだ弱かったそうです。俺達現代人は鎌倉時代の武士も江戸時代の武士も同じように捉えがちではあるけども、その思想的な礎は大きく異なっていたということを理解しとかねえといけねえよな…

さて一ノ谷で平氏に壊滅的被害を与えた義経、さらに平氏の拠点を攻めます!
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これがいわゆる屋島の戦いです。瀬戸内海上の屋島に陣を構えていた平氏に対し義経はなんと陸から騎馬で奇襲をかけたんです!
どーゆーことよ?どーやって騎馬で島に攻め入ったのよ?と思う人は多いでしょーが、これは讃岐に詳しくないと分かりません。讃岐っ子には常識なんですが、屋島という島はね…………高松から電車で行けるんです(笑)つまりはこーゆーことです。
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この真ん中にあるのが屋島なんです。そーです、ほっとんど四国本土と陸続きなんですよ。まぁ埋め立てられてる部分もあるんで源平の時代にはもっと島っぽかったんでしょーがね。そんなわけで讃岐の人間で屋島を島だと考えてる人は誰もいません。だって電車で行ける島なんてありえないでしょ?屋島は島ではなく単なる地名扱いなんです。
ちなみに香川県には112の島があります。小豆島、与島、男木島、女木島あたりは有名ですな。さすが香川だなぁなんて思ってたらこれは島が多い都道府県ランキング18位。1位はそりゃ長崎だろうけども18位は低すぎねえか⁉と思い調べてみたところ、なんと6位に東京都の名前が。なんと東京都には330の島があるそーです!これは意外っ!

さてこの屋島の戦いにも有名なシーンが2つあります。1つ目は那須与一。那須与一が沖に浮かぶ平氏の舟の扇を射抜いたというのはこの屋島の戦いが舞台なんです。
そして2つ目の有名なシーンがこれ。
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義経の弓流しです。非力がゆえに張りの弱い弓を使っていた義経が自分の弓を平氏に拾われるのを嫌って拾おうとしたところ、この義経を平氏方の矢から守って佐藤嗣信が戦死するという、これも屋島の戦い屈指の名シーンなんです。

さていくら戦功を挙げても義経の功を認めない頼朝、平氏からよりもむしろ鎌倉方から義経を守りたい鬼一は奥州に帰るように勧めますが、頑として聞き入れない義経!
鬼一「死ぬ気か?」
義経「はい。陸の本営をいかに叩いても平家は亡ぼせませぬ。舟戦で勝たねば平家には勝てぬとここでも知らされました。しかし源氏には舟が少ない。なればわれの命を捨てて戦うしかごさりませぬ。」
鬼一「馬鹿が…平家を亡ぼしても亡ぼさずとも、鎌倉にはうとまれる…分かっているだろう。」
義経「馬鹿ゆえ分かりませぬ。ただ…」
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作者はこのシーンが描きたかったんでしょな。陸奥がなぜ戦うのか、それは陸奥の名を背負っておるからな訳であり、死ぬかもしれないからといってそこから逃げ出す事はできない、そしてそれは義経も同じだと…
…名前というものはやっぱ重いんやね。そー考えるとやっぱ自分の名前が佐藤や田中でなくて良かったなぁと思うね。さすがにありふれた苗字じゃ重みもクソも無いもんなぁ(笑)
ちなみに俺の苗字は「福岡」です。初対面の相手にはだいたい「福岡県出身?」と聞かれるんですが、これがまたウザいのなんの。福岡県出身の福岡さんなんかそうそう居るわけゃないやろがい!とツッコミたくなるのを毎回我慢しています。そこでそんな俺と同じ思いを共有しているであろう「都道府県名と同じ苗字」を持つ方々のためだけに、都道府県名と同じ苗字で多い順ランキングというのを作ってみました(暇だなぁ俺って)

1位山口さん(14位) ()内の順位は一般の苗字を含めた総合順位

2位石川さん(27位)

3位宮崎さん(66位)

4位千葉さん(90位)
5位福島さん(134位)
6位福井さん(196位)
7位長野さん(386位)
8位福岡さん(408位) 8位かぁ…まぁこの辺りがちょうどいいのかも。
9位宮城さん(421位)
10位秋田さん(498位)
11位奈良さん(554位)
12位香川さん(706位)
13位山形さん(748位)
14位長崎さん(737位)
15位岡山さん(863位)
16位富山さん(873位)
17位熊本さん(1324位)
18位佐賀さん(2115位)
19位広島さん(2118位)
20位山梨さん(2473位)
21位島根さん(3156位)
22位兵庫さん(5397位)
23位大阪さん(7152位)
24位鹿児島さん(7922位)
25位愛知さん(9237位)
26位青森さん(9574位)
……もームリだあぁぁ!残りは勝手に調べてくれい。俺はそんなに暇じゃない!

つーわけで屋島を落とした義経の前に鬼一が拉致って連れてきたのはこの男!

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熊野別当湛増!
「熊野別当」
とは熊野三山の統轄役の役職名です。湛増は21代目の熊野別当であると同時に、熊野水軍を率いておったわけですな。
この熊野水軍といい後の九鬼水軍といい、紀州方面は伝統的に海軍力が強いですな。その理由は耕作に適した土地が少なかった代わりに材木資源が豊富だったことにあるといわれています。海に出て行かなけりゃ食っていけない、そりゃ強い水軍も組織されますわな…

つーわけで熊野水軍を配下に入れ、ついに源平最後の決戦へ!
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壇ノ浦の戦い!
海上で重い甲冑を着込んでこんな不安定な舟をぶつけながら斬り合う…正気の沙汰ではありませんなぁ。俺は泳ぎには自身があるけど、さすがに甲冑着たまま海に落ちたら即溺死でしょドクロ中世以降の海戦はいかに敵船に砲撃を当てるかという陣形論に変容していくけども、接船しての白兵戦が主流だった時代の海戦ってのはホント命懸けよな…