宗教者を馬鹿にしない事。 | 慶祐のつぶやき。

慶祐のつぶやき。

少しばかりでも誰かの幸せにつながっていければ幸いに思っています。

慶祐

ある方はこのように言う。

供養や祈願はお金がかかる。
神仏の世界ではお金は一切もらったらだめなんだ!と言っている方がいた。

もちろんその方の言う通りで仏さんの世界はお金はいらん。

しかしながら、日本に住んでいたら行者さんや神主さんや坊さんは生活があるんだからお金はいるに決まっている。

運営があるんだから、光熱費も含め、常識的なお金をいただけなくなったら潰れていくに決まっている。

もちろん、不安を煽って人を騙したりして法外な金額を請求するのもよくない事は間違いない。

供養などで自分の親孝行をしていただいたり、祈願で厄払いをしていただいりするのだから、ご祈願のご寄進やお布施をいただかないと、どこの神社もお寺も運営ができなくなるのだから、後ほど潰れていくに決まっているのだ。

潰れていけば、今皆様の周りにあるお寺の供養という親孝行や祈願ができなくなり、神社のお祓いや祈願がなくなって、やがてみんなの心から感謝の心や供養(尊敬)の心がなくなってしまうのも間違いないのだ。

最近、たまたまとある記事やYouTubeなどを見た時、神仏事にお金を使うのは意味がない事だから自分で祈願や供養したらいい!とか、神仏に携わってる方はお金をもらったら力がなくなるんだ!と、寺院や神社、神主さんや坊さんを批判をしたりしてる方を最近は見てしまうのだが、そのように色々と言ってる方程、単なる参拝の事を神様と繋がれる参拝ツアーなどといってなかなかの高額なお金をとっていたのだから、自分はいろいろと矛盾を感じたものだ。

それを見ていたら何だか色々と悲しくなり、また配信するようになった自分も実際ここにいる。

ある日、神社や仏閣が皆様の周りからなくなれば世の中から人の事を考えられない人ばかりになり、人の心に巧みな悪魔を持った心が生まれてしまう。

自分には関係ないや!と思っていいが、やがてそのような考えは必ず自分自身に返ってきてしまう。

それら悪しき行動が自分に返ってきてしまう現象の事をまさに自業自得という。

自分の事しか考えない人ばかりになれば、必ず自分の周りから自分の事を考えてくれる人がいなくなっていく。

そうやって結果的には自分が苦しくなっていく。

神社や仏閣、神や仏、どれだけ尊い存在なのかを再認識した方がいいように思う。

それが心から理解できずにいるのならば、誠に哀れな事だと自分は思っている。

それだけ、仏様や神様の功徳は尊い。ただそれだけなのである。