他人の念仏で極楽参り。 | 慶祐のつぶやき。

慶祐のつぶやき。

少しばかりでも誰かの幸せにつながっていければ幸いに思っています。

慶祐

"他人の念仏で極楽参り。"という言葉があります。

意味

"他人の努力や培ってきたものに便乗して、自分は何もしないまま利益を得ようとすること。"をあらわします。

"自分自身で念仏を唱えずに他人の念仏によって極楽に参ろうとするいわれ。"ですね。

誰かが必死に頑張ってきたものを自分の利益にしてしまおうという考え方をもってしまわれる方もいらっしゃります。

素直な気持ちから努力をしてコツコツ積み上げて作ったものが、妬みの類で事実を塗り変えられたり、作ってきた信頼や功徳などが盗られたりするなんていう事は当たり前に誰にでも起こっていくものなんだと思われます。

努力して這い上がればいいだけなので、他人に嫉妬する気持ちは自分には全くわかりませんが、嫉妬してしまうのは幼い家庭環境からの流れが非常に問題点となってるのだと思われます。

自分の幸せから離れるので、嫉妬は極めてよくないように思われます。

誰かの名前を使ったり、ある事ない事言って嘘つきになったり、自分の力で這い上がる努力をしなければ、結果的に上手くいかないのは当たり前ですし、上手くいかなくなるのは必然の事なんだと思われます。

そこに自分で気づかないといけないわけであると思う。

現在、全く縁がない人や自分とは関係もない人、さほど仲良くもなく知らない人を知ったかぶりをしてしまったり、自分の力を誇示するために誰かを利用をしなくてはやってはいけないくらいの心構えならば、本当の意味では栄える事は考えられにくく、後ほど非常に厳しい状況になる事は必然の事なんだと自分は考える。

自分が幸せになりたいのならば、大きな心で真心で誰かに一生懸命になって良い事をして生きていきたいと思うようにする‼︎ただ、それだけであると自分は思う。

自分にしか出来ない事は大切にしなくてはいけないのだと思われる。

ただ黙々とそれらを追求していればいいだけなので、意識を他に向けてる暇はないように思う。

妬んでしまう人は人に意識を向けてるという事なので、よほど暇だから妬み続けてしまうのであり、最終的にはすぐに自分に適してない事をはじめてしまう。

例えば、ある人が居酒屋やラーメン屋をして成功したから、自分も居酒屋やラーメン屋をしたら成功するんだ‼︎と思ってしまいますが、はい現実はそんなに甘く無い。

そんな考え方では上手くいかないのは必然的であり、当たり前の結果しかないのである。

何故なら、それに適してない事が自分で一番気づけるでしょうので、天から選ばれてもない事をしてるのは自分ではわかっているからなのである。

何で人は人の事を妬むのだろう、、、

人はすぐに自分で自分の事ばかりを考えたり、相手を脅威に感じたりして、自分の事ばかりを考えてきた結果が見えてくるからこそ、自分さえ良ければそれでいい‼︎という、それらの思いが全てだからなのだと思われる。

自我に染まれば、どんなに正義を売りにしても、冷静に見える人なら、中身がないのがわかってくるように自分自身を自分で見る事が出来なくなりますし、本来、見えてくる世界も見えてこない世界になるのではないだろうかと自分は考えている。

何が自分に適した事なのかは、自然と見えてくる時がきっとあらわれてきてくれますから、どんな環境であろうとも、人を素直な思いで頑張ってお役に立とうとしてる人、人を心から思えていない人との差ははっきりと天と地の結果で出てくるように、苦しみの状況を作り出している原因は基本的には他の誰のせいでもありませんし、自我に染まってる自分が一番悪い‼︎という事を自身で把握して、自分がどうあるべきか?を追求する事に意味があるのだと思う。

他人の足の裏の汚ればかりを指摘している人は自分の足の裏の汚れに気づいてないように、人は人、自分は自分、自身の足の裏の汚れを洗う事に専念しなくてはいけないように自分は思う。

慶祐