≪ヨーロッパ便り第26便=最終回=纏め≫ 東海林さんからのお便りです。 | 私たちの50年!!

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1962年5月にサントス港に着いたあるぜんちな丸第12次航の同船者仲間681人の移住先国への定着の過程を書き残すのが目的です。

≪ヨーロッパ便り第26便=最終回=纏め≫ 東海林さんからのお便りです。

 

去る4月25日に、フランス、イタリア、スペインなどを訪問する15日間のツアーを終えてサンパウロに戻りました。各訪問地から気付いたことを、「ヨーロッパ便り」としてW50に逐次お届けしましたが、そのまとめを下記します。

ご存じの様に、ブラジルは、世界中から集まって来た移民とその子孫たちで成り立っている国ですが、とりわけヨーロッパからの移民が最も多く、第一位はイタリア、次いでポルトガル、スペインとなっています。特にサンパウロ市には、それらの移民たちの子孫が雑然と居住しており、人種・文化・習慣的に、いわばヨーロッパの縮小とも言える雰囲気を持っています。そんな街、サンパウロに住んでいる我々が今回訪れた国々は、雰囲気的に全く違和感がなく、異なるのは「言葉だけ」という感じです。その言葉とて、元はと言えば、語源は同じラテン語なので、単語こそ異なりますが、モノの言い方は似通っており、ポルトガル語を習得していて「会話の趣旨」が同じであれば、何とか通じます。例えば、レストランに入って食べたい料理を選ぶ場合など、ウエイターとの会話で、大概はそのモノに行きつきます。メニューの構成は、前菜、パスタ、肉料理、鳥料理、魚料理、デザートと分類されているのはブラジルと全く同じで、見ていると似通った単語がいくつか見つかるので大体の見当が付きます。一つ違いがあるとすれば、フランスとイタリアでは「ライス(米)」の項目が無いことでしょうか。ウエイターたちの対応、料理の味付けと出し方、食べるマナーなどはブラジルと変わりなく、どこでも違和感なく、落ち着いて食事ができました。また、お店に入って品物を買う場合ですが、一応値段がついているので、交渉があるとすれば、その内容は「2つ買えばいくらになりますか?3っつなら?」などになり、全くブラジルと同じで10%、20%引きなどで話がまとまります。その他では、人々の歩道の歩き方、スピード、道路横断の仕方などは、サンパウロと極めて似通っています。という訳で、ブラジル(サンパウロ)に半世紀も住んでいると、私たちは、知らず知らずの内に、ヨーロッパ文化・習慣を身に付けていることを実感しました。

ヨーロッパの特徴は、歴史が豊かなことですが、残された遺跡の多さとそのすばらしさには、あちこちで感動させられました。

 

特に印象に残ったのは、イタリアの「ポンペイア遺跡」で、約2000年前に火山の噴火によって一夜にして火山灰の下に消えてしまった古代都市が、18世紀になって掘り起こされたということですが、整然とした街並みとその施設の豊かさは、到底2000年前のモノとは思えない程充実しており感動的でした。パン屋、ワイン工場、洗濯屋、風呂屋などがあったことが解明されていますが、印象的だったのは「遊郭」が既にあったことで、俗に言われる「売春は世界最古の職業である」を実証する遺跡でもあります。

 

「ローマ」と南イタリアの「アルル」の残っている円形闘技場の遺跡も、強く印象に残っています。特に、「アルル」にある闘技場は、ローマのコロセウムより保存状態が良く、内部の「アリーナ」はそのままの形で残されており、見る人をして「グラジエーター(剣闘士)」の戦いを想像させます。

 

 

約 90m x 60m と、想像よりずっと大きな「アリーナ」をジッと見つめていると、ラッセル・クロウ主演の映画「グラディエイター」の、あの迫力ある剣闘士たちの戦いと、興奮する観客の風景が思い起こされ、私はしばらくその昔の円形闘技場の雰囲気にひたっていました。

今回のツアーは、乗り心地のいい「バス」で、メンテナンスの行き届いた高速道路を、約3000キロ走破しましたが、ひとたび街を出ると大小の農場が地の果てまで続いており、農業のためにはどの国でも土地の活用に怠りのないことを感じました。ブラジルの風景と異なる点は、牛を放牧している牧場がほとんど見られないことでしょうか?それと(アメリカや日本では見られる)ゴルフ場が、一つとして目に入りませんでした。

サンパウロのグアルーリョス空港に着くと、Duryfreeショップで、セールになっていた「ジョ二黒」を一箱(12本)買って、Uberで家路につきました。

 


家に着くと、娘に預かってもらっていたワンちゃんの温かい歓迎で、旅の疲れもフッ飛びました。

東海林